第9回

第9回 本当の自分はどこにいる?

 会社で働いていた頃、私はトイレで鏡を見るたび自分の顔が暗く沈んでいるのを見て、嫌な気分になっていた。朝、家から出るときは普通なのに、出社して数時間が経つと、たちまち表情が沈んでしまう。「ああ、また顔が変わった」とそのたびに思った。顔は正直だ。自分がいるべきじゃない場所で生きていると、皮膚が黒くなり目から光が消え表情が歪む。その違いは自分の目にハッキリとわかる。学生時代はもっと酷くて、死んだ顔をしていない日はほぼなかった。生きた顔を手に入れたのは、フリーランスになってからの20代中盤以降だ。
 性格においても、「なんか違う」という違和感が常に付きまとっていた。私の中には今とは全然違う「何者か」が潜んでいて、それが出てこないことには、「私」が「私」として生きることはできないだろうと思っていた。その頃は、図書館にいてもスーパーにいても、どこか偽りの自分でいないと存在できないことを自覚していたからだ。もしも本来の自分を手に入れたら、離れていく人もいるだろう、ということまでわかっていた。でも肝心のその自分が出てこない。どうしたら出てくるのかもわからない。10代、20代は、そのことばかり考えていた。結局、統合が取れたのは、30歳を過ぎてからだ。つまり自分の仕事がある程度、社会で受け入れられてからだった。
 今ならわかる。人は本来あるべき人生を送っていないと、とうてい自分にはなれないということ。それぐらい、ある種の人間にとって「自分になること」は難しい。たぶん、何もなくても個人が尊重されて育っていれば違うと思う。でも今の社会はそうじゃない。家庭、学校、世間、常識など、物心ついたとき既に周囲にあるものによって、知らず知らず誘導され、それに合わせて無理やり一つの型に押し込められる。できるだけ他者に否定されないように、精いっぱい偽って人格を形成する。
 
 私の周りには、発達障害の診断を受けた人が何人かいる。彼らの話を聞いていると、それは後天的なものではないかと思うことがしばしばある。例えば、人との距離感がわからない、暗黙の了解がわからない、冗談を真に受ける──、などの性格があり、そういうことで人間関係を作れない、友達ができない、仕事がクビになるなどの問題を抱えているとする。自分は人と違って何かがおかしい、と考えて病院で検査を受けると発達障害という診断が出る。「なんだ生まれつきの障害だったのか、ならしょうがない、原因がわかってホッとした」と言う人も多い。
 けれど、彼らがどんな家庭で育ったかを聞くと、そうならざるを得ない環境だったのではないかと感じることがある。例えば親の言うことを聞き、口答えせず、何をされても押し黙って耐え、何か問題が起きても見なかったことにする、ということが暗黙のうちに求められる家庭で育った場合、そこに適応した性格ができあがる。しかし人の顔色を窺っているだけの性格では、社会では通用せず、コミュニケーションも取れない。そして病名がつけられる。
 もちろん様々なケースがあって、生まれつきの発達障害と思われる人にも会ったことはあるけれど、中には発達障害だと思い込まされている人もいるのではないかと、素人ながらに思うことがあるのだ。

 解離性同一性障害(DID)という病気がある。多重人格のことだ。私は2人の当事者に会ったことがある。そのうち一人は、知り合って7年ほど経ってから、初めて別人格に会うことができた。仮にB子ちゃんとしよう。一般的に別人格は、信頼してる人の前でないと出てこない、と言われている。しかもそれは別人格たちの判断だから、主人格にはコントロールできない。例外はあるだろうが、ここでは私が見てきたことだけを書いてみよう。
 その日は、B子ちゃんとその彼氏と一緒にご飯を食べながら「今日は〇〇ちゃんが出てくるかも。インベさんに会いたがってたから」なんて言われていた。けれど私はまったく期待していなかった。7年もの付き合いの中で一度も会えない別人格と簡単に会えるとは思えないし、それどころか彼女がDIDであることすら、頭では理解できても完全には信じられずにいたからだ。
 しかし、これといった前置きもなく、大げさな動きもなく、ご飯を食べて談笑しているとき、B子ちゃんはいきなり別の人に変わってしまった。その瞬間、私は相手が一言も喋り出す前から、「入れ替わった」ことに気が付いた。特に何かが大きく変わったわけでもないのに、ただ目の前で座ってご飯を食べている人間が、さっきまでと違う人間であることがなぜかわかる。これは不思議な感覚だった。
 その後、会話を交わせば、喋り方は違うし、話の内容も絶対B子ちゃんが言わないような発言をするし、それまであまり食べなかったのに、綺麗に平らげてしまうし、そういう面はもちろんわかりやすく違う人格ではあるけれど、私が驚いたのは、そうした物理的な変化が見える前から別人であることがわかったことだ。肉体という入れ物は同じなのに、中身が違うだけでこんなにも顔や、醸し出す雰囲気や、身にまとう空気が変わるものなのかと驚いた。つまりそれくらい、人の雰囲気は心が作るということだ。「中身は外見に表れる」とはよく言うけれど、実際目の当たりにすると衝撃を受ける。
 DIDという病気がある以上、人間にはそうした側面がそもそもあるのだと思わざるをえない。一人の人間の中にも、まったく違う性質がいくつもあって、例えば「自分は控えめな性格だ」と思っていても、実は自己主張の激しい性質が眠っているだけかもしれないし、一人でいるのが好きだと思っていても、実は社交的な性質が眠っているだけかもしれない。自分とは180度違うタイプの人間になれる可能性を、人はそもそも秘めているのだ、と思うと夢が広がる。

 「自分探し」という言葉は、だいぶ使い古されてしまった。ひと昔前は、自分探しのために旅へ出たり、たくさんの習い事に挑戦してみたりする人をよく見かけた。けれどたいていは冷笑されて、「自分なんて探して見つかるものじゃないよ」とか「今の自分が自分そのものだよ」などと言われたりしていた。でも現実には今も、本当の自分はどこにいるのか、自分らしい自分は何なのか、と悶々としている人は多いと思う。 
 人は、環境によって作られる。どんな人間に囲まれて、どんな価値観の中で、どんなことを言われながら育つのか。成長する過程で、周囲の環境に適応する形で人格は作られる。
 そうした中で「自分がわからなくなる」というのは、本来あったはずの自分の気質や感情、これが好き、これが嫌い、こういうことをして生きていきたい──、などが捻じ曲げられて、世間が望んでいる姿に過剰適応してしまったことからくる、自分に対する違和感だと思う。
 私は、今は眠っているだけの“本当の自分”は、案外いるものだろうと思っている。本人が「いる」と感じているのなら、「いる」のだと思う。

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インベカヲリ★

1980年、東京都生まれ。写真家、ノンフィクションライター。写真集に『やっぱ月帰るわ、私。』『理想の猫じゃない』『ふあふあの隙間①②③』、著書に『ノーモア立川明日香』(共著)、『のらねこ風俗嬢-なぜ彼女は旅して全国の風俗店で働くのか?』など。@kaworikawori
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