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第4回 何かを演じる

「普通を演じてる。何かを常に演じてるんです」

 と、蘭さんは言った。今年40歳になる女性だ。

「実際は全然面白いと思ってなくて、相手に合わせているだけだったりするんですよ。会話の中で『〇〇が好き』って言われたら、私も相手に合わせちゃう。『教えて教えて』みたいな、さぞかし興味があるように。気持ち悪いですよね。よくよく考えたら酷いことしてるんですよ。でもそうしてしまう自分がいて。本当のことを言ったら周りに人がいなくなってしまうんじゃないかと思って、とにかく相手を不快にさせないようにってことばかり考えてる。食事をする場所を決めるのも、自分の意見とかないし」 

 彼女は結婚7年目で、夫と実父の3人で東京近郊に住んでいる。職業はアパレル。色白でほっそりしていてセンスがあり、いかにもハイブランドのショップに黒いスーツを着て立っていそうな雰囲気だ。

「家に帰って素になるかといえば素になれないんですね。近しい人にも取り繕っちゃう。親の前では良い子でいたいというのもあるし。旦那さんの前でもそう。あんまり深く関わってないかもしれない。そうやって話すと空しいですね。結局全部を取り繕ってる。昔からです。本当の自分を見せられない。見せたいんですけど、誰に見せたらいいかわからない。そのつどそのつど封印しちゃう」

 夫は優しく、友達のような夫婦。子供がいないからお互い好きなことをして暮らしているという。一見何の問題もなく、うまく生きているタイプに見える。でもだからこそ、それは多くの女性が抱える普遍的な心理状態でもあるのだろう。

「なに不自由なく育って、幼少期のトラウマとかもないんですよ。でも、ああしちゃダメ、こうしちゃダメというのが自分の中にあるんです。他者から何かを受けたとかじゃなくて、すべて自分の中から沸き起こる。例えば、女性だったら綺麗にしていなきゃいけないとか、痩せていなきゃいけないとか、ちゃんとしてなきゃいけないって。自分が人に好かれているかとか、嫌われてるんじゃないかとか、そういうことにとにかく敏感。人からどう思われてるのか、いつも常に気になってます」

 人の目を気にして、相手に合わせて擬態する。体型も服装も受け答えも、周りに合わせてそれらしく。

「自分探しじゃないけど、ウロウロしてる。でもどれも自分じゃないし。本当の自分は自分でもわからない。でも、そんなもんなのかな。そもそも自分ってなんなんだろう」

 擬態していない自分はどんな自分なのか、もはや思い出すこともできない。でも人間は、偽りのまま生きていけるほど単純ではない。

「なんだかよくわからないんです。なんだかよくわからない感情が小さいときからずっとある。『自分はこんなんじゃないんだけど……』って思いながらずっときてる。特に悲しい出来事があったわけではないのに、心の中がいつも空っぽ。友人もいるし楽しく毎日過ごしているんだけど、なんかいつも寂しい気持ちのほうが強くて、体の中を巡ってる。それが何なんだろうっていうのは、いつもずっと考えてます」

 これまで、自律神経を壊したり、摂食障害で食べたり吐いたりしているようだ。
 これほどストレスになる擬態を、なぜ続けているのか。  

「なんとなく良い子でいなきゃいけないというのがあったんですよね。小さい頃の記憶で、母親が『近所の〇〇ちゃんはこうだったんだよ、偉いね』とか、『○○ちゃんは、お母さんのお手伝いをしたんだよ、私もそういう子供が欲しいな』とか、寝るときにすごい言われてた。小学校高学年まで家族で川の字で寝てたんですよ。近所の同い年の4人と比較されて、ほかの子供は凄い褒める。私は褒められたことがなかったかも。寝ながら母親のことを、めっちゃ蹴ってました。どうにもならない気持ちを表現してたんだと思う。母親のことをあまり好きじゃないんですよね、きっと。悪い人じゃないんだけど……。こういうこと言うと、どっかに母親がいそうで怖い」 

 そう言うと、喫茶店の店内をキョロキョロした。母親は一年前に亡くなっている。

「大人になっても母親の言葉はいちいち気になる。私の神経を刺激してくる。母親自身、周りの目が気になる人なんです。『〇〇さんはまだ結婚してない』とか、『〇〇さんは孫がいる』とか、母親自身が敏感。私に言ってきましたね、それを。私が言われたらどう思うか考えない人。ズバズバ言う。母がいなくなったので、肩の荷が下りました」

 「理想の猫」を求めてくる相手がいなくなって、やっと、自分の理想を模索する権利を得たのだろう。

「他人と比較するとか、考えるのをやめたい。人の目を気にするのをやめたい。充実した一日を送りたい。充実してるって思えない。なにか満ち足りたい。おおらかにいろんなことを受け入れたり、吸収したいんです。一瞬、楽しいことがあったとしても、よくよく考えるとそうでもないんですよ。相手は楽しそうだけど、自分は楽しくないとか。そこでも猫を被ってる。人と会ってても、頭が明後日の方向にいってる。ちゃんと楽しそうにしてるかな、とか。じゃあ自分がやってて楽しいことって何?って聞かれると出てこないんですけど……」

 楽しい、楽しくないは、全て人間関係で決まる。コミュニケーションが演技なら、何をしても楽しくはないだろう。
 そして仕事の場でも、擬態は要求される。

「販売の仕事をしていたときは、『お客さんを目の前にしているときは、自分を女優だと思え』ってアドバイスされてました。人に合わせる。相手が不快な気持ちにならないように、楽しそうにしてる、笑顔にしてる。だから、悲しいことがあったとしても、そういう自分じゃない自分になるのが、けっこう日常でも癖になってるんですよね」 

 これはよくわかる。私の通うピラティススタジオでも、女性インストラクターたちはみんな嘘くさい笑顔で溢れている。オーバーリアクションで高い声を上げ、まるで幼稚園児に話しかけるように優しく声をかけてくる。社員教育で徹底されているのだろう。本来の業務以外に、過剰なスマイルが義務になっているのはさぞかしストレスだと思う。しかもそれは利用者にまで伝播し、更衣室での客同士のコミュニケーションも、台本が見えてきそうな嘘くさい会話で溢れている。
 こうしたコミュニケーションに積極的に参加している人ほど、いつの間にか退会しているし、インストラクターもすぐに辞める。実際に相当なストレスなんだと思う。

 そして蘭さんは、擬態を止めることを選んだ。

「40歳になって、自分の中でうじうじ考えて毎日を過ごしてるのはもったいないって思ったんです。思いつめて死にたくなったりするんじゃなくて、私は生きていきたい。だからどうにかしたいんですよ。早く死にたいとか思わないし、むしろ長生きしたい。生きる気すごい満々なんです。だからどうにかしたい。でもいろいろ頭で考えすぎて、少し生きるのに支障がある」

 演技しないで人と接したい。そのことがこれほど大変で、努力しなければ手に入らないことなのだ。

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1980年、東京都生まれ。写真家、ノンフィクションライター。写真集に『やっぱ月帰るわ、私。』『理想の猫じゃない』『ふあふあの隙間①②③』、著書に『ノーモア立川明日香』(共著)、『のらねこ風俗嬢-なぜ彼女は旅して全国の風俗店で働くのか?』など。@kaworikawori
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