無題

我々は知らず———霊魂が本来不可分である肉体の死に際してそれから離れるとすれば、感覚の綜合の以降は如何にして我々に現れ、いかに審判を待つのかを。
 ジュニコス・インカルヌス


 我々は肉体を持って生きている。具体的な質量を持たぬ声の波さえも、その発生を肉体に依存している。真に肉から離れた言葉、完全な意味されたものであれ、その全ての解釈は各々の肉体を待つのみである。心身の分割は専ら生命の本能と其れに抗い死を欲する心としか言えぬのかも知れぬ。

1

 吾レ、受肉セリ。
 自ら進まず、知人の勧めによって。虚な心と吝嗇な質に辟易として身体の生存を見守るのみとなり、時に死を渇望する人にとっては、日々自らを投げて行くことを思い出させた、新たな誕生であった。というように後付けの理由を言うことなどどれほどでもできる。ただ単にやってみただけのことだ。
 私の幼女趣味はペドフィリアの診断を受けたこともなければ、自身を非行に走らせたこともない。嗜好とは症状ではなく方向と濃度に加えて熱意もあろう。不完全なものは完全な調和や体系とは異なり、そこから流入可能な「隙間」がある。曰く黒子美人……。しかし多くてはいけない。私は完全なニンフになるべくそれになった。アンドロギュノスは美しくない。
 とはいえ、熱意もなければ話術の才もない。豈ニ何ヲカスベケンヤ。本意ある訳でもない故、趣味の音楽でも垂れ流そうかと思い、ゆっくりと始めた。音楽を聴くことは出来るが、聴かせることは可能だろうか。
 結局、音楽のみを以てでは成し得ない。当然である。現実の関係の代替として人間同士の繋がりが行われると知る。片方が一方的に仮面を被ることも可能であるのだろうが、それは完全な、あるいはほぼ完全な沈黙によって為される気がしなくもない。ここは仮面舞踏会だ。

2
 属性、烙印のない社会はあるだろうか。全能なる神一人の世界以外には。ここに、多からぬ薄い関係を持った私の経験を挙げる。
 
 私はある人を見た。互いに初めて偽の顔を使って面する。彼はそのニンフを知るべく私の交友を探って言う。
「ああ、君は**のところの人か」
———クランである。ここは部族社会なのだ。モダヌ・ソサヤチ以前の世界である。クッソ数多なつまらぬ人々の中では、有力者と彼を崇拝する儀式が行われ、生活と神話の形成と強化が同時に行われるのだ。彼らの土着信仰は中心に据えられた人の心を持つ神の人間的愛と供物によって成り立つ。そこに苦痛はあらず、むしろ癒しの儀式の場である。彼らの神は全ての刹那、花嫁の姿をして彼らのイスラエルとして下る。その神は人とともに住み、人はその神の民となる。人はその血に抗えない。社会的でない人は居るだろうか。否、社会に生まれない人間は存在しない。
 ただ、吟遊詩人にのみなりたし。

3
 我奏でてはや幾時、練達の兆しあれど彼らの受肉は未だ完せず。いかにしてその受肉、肉体を離れるためにむしろ「脱肉」のような気はすれど、は完成されるのか。
彼らは話す、彼らの肺と喉と口から。
彼らは話す、彼らの感情から。
彼らは話す、彼らの言葉遣いから。
 そのいかなる要素をとっても、彼らの肉体からは切り離されない。感情とは肉体的物質的要素に起因する。言葉遣いから肉体、血を取り去ることは可能だろうか。彼らの言葉遣いには自ずと漢語と七五調が潜み、その下では伝統の悪魔が口を広げて今まさに肉体の地獄へと引き摺り込もうとしている。日常語から離れた美文を駆使すれば肉体を脱したように思えても彼らのワインの残り香はむしろ強まるのだ。
 偉大なる文法と意味体系、それこそが肉体を脱した真なる姿で現れる。しかし発し聞く度にそれは変化を免れ得ない。私の神は変わらない。
 偉大なる音楽理論と響き、これこそ私の神である。それはあらゆるものを抱きしめ、断罪する。私はその調和と体系に帰依する!

4
 完全なものへと向かい、それとの合一が行われないと知っていてもそれを止めることが出来ずにやがて夭逝する。これこそ私の求める生である。あらゆる行いは悉く、全ての属性を持った神の視点から、「何かの欠損」として描写される。奏でるも奏でぬも、全ては何かの不在として同定されることを免れ得ない!
 彼らの言う受肉あるいは脱肉は、私の思うそれ、純粋かつ「切り離されたもの」への変成への道程ではなかった。それを望めば、私はただ自らを何も見えず聞こえない、シャンブル・セパレエに閉じ込めるほかないのだ。それ自体に肉薄せんとすれば、自らの肉体の重みが無限の重みを持った足枷となる!最も普遍的な人間性とは人間から最も遠いのだ。私は自らを切り離すことなど出来ない!どうして自らの肉体を用いて肉体を捨てられようか!ナイフは自らを切ることなど出来ぬ!

醒めに当たって、夢むる所の全ては聖性———特有の奥行き———を失う。
 寺園惺玲

 彼らの受肉とは、結局自らを、肉体に戻す作業なのだ。逆らえ得ぬ再受肉、被受肉———。それは酔いから醒める頭痛である。私のロマンはここにはない。エロースも、挫折も、夭逝も。身体を使うことから逃れる場所はない。全て為す所は間身体的行為の範疇から脱出し得ない。ここは彼岸ではなく、第二の此岸であった。

 大地、万歳。肉体、万歳。肉体の鼓動が聴こえる
 大地、万歳。肉体、万歳。血のリズム

決して離れられぬ。
愉悦と慟哭の海は決して清らかな無味の海とは混ざらない。

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