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ピアニスト、藍の使者になる(2)

 音楽大学に進学し、イタリア人の先生に教えを乞うことで自分の「ルーツ」を意識することになった私の、楽しく悶々とした日々についての振り返りです。当時は意識しておりませんでしたが、今の私の「考え方」の手掛かりや基盤となる経験をたくさん積ませていただけた、贅沢な学生時代でした。

(1)終わらないレッスン

 先生はレッスン中に感情的になって怒鳴り声を上げたり、叱責するようなことは一切ありませんでした。ただ、簡単に許してくれない。とにかく辛抱強く「できない」私に時間を割いて伴走し続けてくださいました。私だけにではなく、全てのレッスン生に対して等しく辛抱強く接しておられました。

 午前10時にレッスンに伺うと、正午のランチタイムになってもレッスンは終わらず、そのまま一緒にお昼ご飯を頂き、適度にお腹を満たした後でレッスン再開。これが学校ではなくご自宅でのレッスンだったりすると、生地からお手製のピッツァ(ピザではありません、ピッツァ!!と何度も念を押されました。)をご馳走になることもありました。

 先生がお手本として演奏してくださるパッセージには、「その日のうちに」私に「気が付いてほしい課題」が込められており、これに私が「ピン!」と来ないうちは帰らせていただけませんでした。私はカンの悪い方ではないと自負しておりましたが、それでも相当の時間のかかる課題が毎回繰り出されました。「もう一回」「もう一回」「もう一回」「しばらく続けて」「少し、分かってきた」「でも違う」「言いたいことは分かるんですが、なんか変です(これを言われると物凄く凹みました)」「そうねぇ…もうちょっと…」。

 とてもよく課題にされたことは「呼吸」でした。口から息を吹き込んで演奏する管楽器ではなく、10本の指で音を出すピアノですが、「呼吸」を問われることがとても多かったように記憶しています。「それ、どこで息してるの?(聴いているだけで)息が詰まりそう。」「息しないと死んじゃうでしょ?僕を殺さないでください。」はい、そうですね…息しないと死にますよね…
 四苦八苦しながら問題になっているフレーズを繰り返し弾き続ける私に背を向けて立ち、耳を澄ましておられた先生が「多分、指使いが違います。番号書きますか?」とおっしゃられた時は「もう泣かない」と約束していたのに泣きそうになりました。
 先生、私の指、ご覧になってなかったじゃないですか…それなのに指番号の指摘をなさるのですか…(心の中で滝涙)。正しい指番号で演奏していたら起こるはずのない「微妙なリズムのひずみ」が起こっていた。それをご指摘なさったときのことでした。

 ほとんど毎回「いつ終わるんだろう…」と果てしない気持ちを味わいました。そうして午後のレッスンを終えて帰り路に着くころには、夕方の5時とか6時…ということが度々ありました。(レッスンがスタートしたのは午前10時です。)門下生の中にはそうした厳しさについていけなくなり、レッスンを休みがちになる人もいましたが、私はというと(時々重い気分になりながらも)ムキになって通い続けました。(先生のご自宅のインターホンをならす時、いったい何時にこの扉から出てこられるだろう…と考えるだけで既に軽い眩暈を感じる日もありました。)
 ここで音を上げたら、その後で誰に何を教わったとしても、後悔し続ける気がする。確たる根拠はありませんでしたがそう感じていて、度々途方に暮れながらもレッスンに通い続けました。


(2)感覚の「違い」を感じ続ける

 ピアノのレッスンで常に感じていた「ヨーロッパと日本ならではの感覚の違い」は、レッスン時に指摘されたことだけを問題にしていていいものだとは認識しておらず、できることがあれば可能な限りその「違い」を的確に払拭する機会を持ちたいと考えていました。
 その結果、観る映画もハリウッド系のものよりヨーロッパから届いた作品をより意識して鑑賞するようになり、ヨーロッパの歴史に関する書籍も以前より興味を持って読むようになりました。

 特に夢中になったのが、ヨーロッパの映画でした。フランス、イギリス、ドイツ、ポーランド、そしてもちろんイタリア…ジャン・リュック・ゴダールデレク・ジャーマンといった監督の名前をこの頃に覚えました。
 複雑な暗い歴史を持つヨーロッパ各国の映画作品は、ハリウッドのきらびやかなエンターテイメント作品と違った印象を持ちました。
 分かりやすいエンターテイメントとしての勧善懲悪話しはほとんど見当たらず、謎かけのような余韻を持つものが多いなと感じていました。
 ビルの窓ガラスが割れたり、ヒーローが高いところから飛び降りたり、パトカーが道でひっくり返ったりするシーンの無い、静かな映画が多かったように思います。

 別の試みとして、ドラムを習いに行ったこともありました。
 音楽の命は「リズム」にある。もっとダイレクトにそのリズムだけに触れてみたら、何か変わることができるのではないか…そう考えてのことでした。

 そういった様々なものに親しんでも、結局のところ、ルーツによる感覚の違いの払拭に至るわけがありませんでした。むしろその「違い」を俯瞰する角度が増えるばかりで、考え込むことが増えました。
 先生がお手本で演奏してくださる音楽はいつもとてもかっこよく、私の憧れでした。どうやって近づいたらいいのかと、ピアノに向かって練習しているときもそうでないときも、考え続けていました。頭で考えて解決できることではなく、いい音楽をたくさん聴いて、良いイメージを持ち、それを自分で表現できるように練習を重ねることが最も重要で、先生と様々なコンサートにご一緒させていただく機会も持ちました。

 取り組んでいることの何がどんなふうに働きかけてくれるようになるのか、それとも何の役にも立たないのか、はっきりとは分からないまま日々を過ごしていたように思います。一所懸命ではありましたが、不安でした。


(3)掴めてきた「感覚」

 私が小さな日本人であることは百も承知の上で、クラシック音楽をじっくり手ほどきしてくださる先生のもとで過ごすうち、「日本人の私なりの表現を、恥じることなく奏でられるようにならないか」と考えられるようになったのが大学3年生の秋でした。きっかけとなったのは、その年の学内演奏会で披露するために、先生から課題として渡された曲です。

 シューベルト作曲:リスト編曲「ウィーンの夜会 第6番」
 https://www.youtube.com/watch?v=89qssOFNe80

 洒脱なワルツ。「呼吸」や「リズム」を課題にし続けてきた私の、当時の集大成となるような曲をお選びいただきました。
 先生のレッスンは、超絶技巧をたやすくこなすための技術の習得などには重きが置かれず、誰が作曲したどんな音楽の楽譜を目の前にしても、私が「息をするように自然に、その音楽を楽しんで演奏できること」に主軸を置かれていたように思います。

 本番直前のレッスンでこの曲を聴いていただいたとき、先生は開口一番「出だしのところ…」と言いかけられたので「もう一度」と言われるな、と鍵盤に手を置こうとすると「めっちゃかっこよかった!もう一度!」という予想もしない言葉をかけられ、逆に緊張しました。
 たまたまかっこよく弾けただけで、2度目はダメダメだったらどうしましょう…仕方ないのでもう一度弾いてみたら、「うん、いいです!リズムもう分かったね。」え…マジですか?これで大丈夫ですか?そうか大丈夫なんだ…なるほど、こんな感じで行けばいいんだ……相変わらず私は小さな日本人のままですが、先生が「かっこいい!」と言ってくださるような表現が可能になるんだと、初めて自信を持つことができた瞬間でした。

 それにしても、この記事を書くために久しぶりに「ウィーンの夜会 第6番」を聴きました。懐かしくて、ちょっと泣きそうです。

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