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ピアニスト、藍の使者になる(1)

 8歳ごろから27歳まで、ピアニストになりたくて毎日ピアノを弾いてばかりいました。そんな私が今は「藍染め」原料素材のタデアイと深く関わりを持ち、この素材の可能性を深掘りし具現化していくことをライフワークにしています。
 
 幼いころからの音楽への思い入れやその気持ちの細かな移り変わりは、うまく整理して書けたとしても月をまたいでの日数が余裕でかかるのではないかと想像でき、今は横に置いておこうと思います。(いきなり横置き…。)
 今回は、音楽から藍に私のライフシフトチェンジが起こった時のことを思い返しつつ、数回に分けて、自己紹介としてお届けしたいと思います。

1.音楽大学進学までは(ほぼ)順調でした

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 音楽大学に進学しようと心に決めたのが10歳ごろ。そこからは数多ある魅力的な職業に目移りすることなく、小学生のころから地元のピアノコンクールに参加し、中学時代は帰宅部員としてピアノの練習を最優先する生活を貫き、音楽科のある地元の高校に進学して音楽大学受験に備え、1994年春に念願の音楽大学への進学を(いくつかの挫折を経験の後に)叶えました。

 大学でピアノの恩師としてお世話になったのは、イタリア人の男性の先生です。入学式前にこの先生にご指導いただけることが決まった時は、クラシック音楽の本場ヨーロッパの感覚を学べることに有頂天でした。教えていただきたいと思うことが山ほどありました。自分の音楽人生は、これまでもこれからも明るいと信じて疑いませんでした。

2.憧れの音楽大学進学直後に現れた絶壁

 入学後最初の先生とのレッスンは、自己紹介のような感じで軽めに終わり、ウキウキした気持ちで扉を叩いた2回目のレッスン時に、事件が起こりました。その日、私がレッスンしていただこうと持参した曲はバッハのフランス組曲 第5番。(一生忘れません。)

 小さな7つの舞曲からなるこの曲は、技術的な難易度はそれほど高いものではないのですが「舞曲」という文化に触れる機会の乏しい日本の暮らしの中で、各曲の特徴的なリズムの中に組み込まれた呼吸や間あいの取り方に迷いを持ちながら弾いていました。アルマンド、クーラント、サラバンド、ガヴォット…先生からヨーロッパの風を感じることのできるヒントをいただけないかと期待して、自ら選んだレッスン曲でした。「ヨーロッパの風」…甘いことを考えたものです。
 先生のお手本演奏によって私の眼前に現れたのは、ヨーロッパと日本の「文化の違い」という高い高い絶壁でした。

 一通り私の演奏を聴いてくださった先生が「例えばガヴォットだけど…」とおもむろにピアノに向かい、お手本の演奏をほんの数小節してくださっただけで、「とんでもないことになってしまった」と震え上がりました。同じ楽譜通りの音符を演奏しているはずなのに、まるで別物なのです。
 私の演奏は、「楽譜に記された音符を正しく鍵盤上で再現した」だけのもの。もちろんそれを自覚した上で、何とかしたくてレッスンに持って行ったのです。そこで展開された先生のお手本の演奏は「生き物」でした。音が生きている、と率直に感じたのです。
 お手本の演奏に続いて「やってごらんなさい」と言われ、何とか再現しようと試みるも叶う訳がなく、ロボットのように正確だけれど血の通っていない自分の演奏に違和感を感じて鍵盤から手を下すたびに先生がお手本の演奏を繰りかえしてくださるのですが、あろうことかその最中に涙がポロポロ零れて止まらなくなってしまいました。

 音楽大学進学まで厳しくご指導くださった地元の先生のもとでは、10年間一度もレッスン中に涙を流したことのない私でした。それがたった2回目のレッスンで、しかも厳しく叱咤されたわけでもないのに涙が止められなくなるほど途方もない気分になってしまった…先生もどうして私が泣いているのかお分かりにならない様子で、「もう少し続けてみますか?」と言いながらお手本の演奏を繰り返してくださるのですが、それを聴けば聴くほど涙があふれて止まらなくなります。しゃくりあげそうになりながら「先生、もう、やめてください」とお願いまでする始末……

 「何が起こりましたか?」とお尋ねになるので、「先生の左手が生きているみたいで…」とお伝えしたところでまた涙がこみあげてくる。(自分でも、もうどうしていいのか分からない状態。)「左手?」とガヴォットの左手部分だけを再び演奏されるとまた私がおいおいと涙を流す…今振り返るとまるで喜劇舞台のような眺めですが、当時の私には悲劇そのものでした。

3.自分の「ルーツ」を意識し始める

 教わりたいと思っていたヨーロッパの文化そのものの一端を先生のお手本演奏で垣間見てしまったとき、自分の甘さに一瞬で気が付いて途方もない気持ちになってしまったのです。「教えてください」「はいどうぞ」で体得できるものではなさそうだ…座布団に座り、ちゃぶ台に向かって、左手にお茶碗、右手にお箸を持って、おいしく卵がけご飯をいただく毎日を暮らす身の上には、一朝一夕でたどり着くことのできない呼吸感覚だ…
 先生の演奏から、先生の生まれ育った「ルーツ」に育まれた呼吸を感じ取ってしまった私は、そこから4年間「日本人である自分のルーツ」に良くも悪くも意識を向けながら過ごす事となりました。少し先回りして言うなら、苦しくて楽しい時間でした。そしてこの4年間が無邪気に楽しいだけの物であったなら、私と藍の出会いは一生叶わなかったと思うのです。

 ちなみにこの日のレッスンの最後に先生が私にかけて下さった言葉は、「ちょっと面白い人ですね、あなた。」でした。変な生徒がやってきたと思われたことでしょう……その次のレッスンの始めの一言は「今日からはレッスンで泣かないでくださいね?」でした……(後にも先にも、私が先生のレッスンで涙を流したのはこの日だけです。)

 件のバッハ作曲「フランス組曲」第5番はこんな曲です。

https://www.youtube.com/watch?v=Iv-UwyG8Aas

 かわいらしい曲です。間違っても、涙を流しながら聴くほど辛い曲ではありません。

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