見出し画像

家庭内成果主義

親に心配されると
極端に落ち込んでしまう。
そんな自分がいる。

自分が信頼されていない。
自分を否定されている。
能力不足を指摘されている。
そんなふうに被害妄想的になる。
素直に心配を受け入れられない。
そんな自分がいる。

だから、親につべこべ
言わせないために、
心配かけないために、
それなりの成果や安心に
値する数字を自分に課してきた。

そうやって誰にもわかる、
目に見える成果を出すことは、
親を安心させる
絶好の材料だった。

でも、そんなふうに
生きてきて感じたことは、
親が見ているのは、自分でなく、
数字や成果であるってことなんだ。
いわゆる家庭内成果主義。
これもけっこう寂しいものなんだ。

だから、数字や目に見える成果に
一見つながらない、そんな自分の選択は、
却下される。
だから、否定され、心配される。
そして自分は落ち込む。
このパターンなんだ。

このジレンマにこれまで、
さんざん苦しんで、
今も苦しんでいる。
いい歳して、親も老いているのに、
なんてざまだって感じるんだ。

親心を素直に受け入れられない。
そんな自分であるのは、
いったいなぜなんだ。
そんな感じである。

でもなんだかんだいって、
親じゃない。
自分なんだ。
自分の価値観の中に、
強烈な成果主義がある。
成果が数字や形にならないと
安心しない。
そんな自分だっていうことなんだ。

いずれにせよ、
いい加減そんな親との葛藤に
終止符を打つ。
そして自分との葛藤をやめる。
そんな時期に来ている。
そう感じる今日この頃である。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?