父親という存在

幸せな話ではないことを伝えておきます。
でも、私がラブグラファーをずっと続けていく上で切っても切り離せない内容であるため綴らせていただきたいです。



こういったことを公開するべきではないのかもしれないが、このnoteを読んでくださった方に今ある本当に当たり前な小さな幸せを感じて欲しいため書き記すことにした。
同情して欲しいとかでは全くもってない。

最近、家族連れの人を見る度に考える。
「私も親同士が仲のいい家庭で愛情を受けたかったな。」
私には父親がいない。死別したのではない。
4年前、私が大学生になるタイミング。
もともと私が産まれる前から仲がよかったわけではなかったらしい。記憶する限りでは小さい頃からそこそこ言い合いをしていたように思う。

私の中で異変に気付き始めたのは小4くらいのときだ。それまではまだ微かに父親からの愛は感じられていた気がする。
父親は学歴に執拗に拘る学歴重視人間だった。(そういう姿勢が嫌過ぎて私は相手の学歴は一切気にしなくなった。そのおかげか人の本質を見抜けるようになったと思う。)父親の気分次第で態度が豹変するのを知ってからどんどん父親が嫌いになっていった。私が一番辛かったのは、当たり散らす主な対象であった母親が涙を流す姿を見ることだった。
これをきっかけに私の父親に対する感情が憎しみに変わってしまった。憎しみは相手に伝わってしまうものであるから父親とはほぼ一言も会話をしなくなっていた。母親には挨拶くらいはしなさいと言われていたが、当時考え方が幼かった私はそれすらも嫌がった。

そこからだったと思う。家庭環境が酷くなったのは。父親はそれまで以上に何かにつけて攻撃してくるようになった。父親がいるときの家族間の会話がほとんどなくなってしまった。
今思うと、小さい頃は父親なりに愛情を注ごうとしてくれていたのだとは思うが。

耐え切れなくなった母親は、私が大学生になるタイミングで離婚を決断した。私は父親と離れて暮らせることのほうが平和に生きられると思っていたので、それを聞いて一気に安心からか脱力したのを覚えている。

前置きが長くなってしまったが、私が伝えたいことは唯一つ。

お父さんとお母さんが仲良く話していること。

いってきます、ただいま、おかえり、おはよう、おやすみ、ありがとう、ごめんね、が言えること。

ちゃんと話し合いが出来ること。

家族で会話が出来ること。

些細なことかもしれないけれど、どれも幸せなことだから。
お父さんは不器用なことが多いからあまり言葉にして愛情は感じられないかもしれない。でも、確かにそこに愛がある、幸せがある、ということを忘れないで。

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