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読書記録① 二尊院の二十五菩薩来迎図


積読消化への戒めを兼ねて読書記録をつけていこうと思います。あと、そのときの新鮮な感想ってあとから自分を助けてくれることも多いので残していこうかなと。

読んでくださっている方々はご存知の通り、いつもの如く書き殴りですので誤字脱字、間違い、おかしな文章(最悪)はどうぞご容赦ください。


小倉山二尊院による『二尊院の二十五菩薩来迎図』を読みました。二尊院は角倉の菩提寺ということで、二尊院について知りたい安易な気持ちで買いました。


小倉山 二尊院
角倉了以夫婦と素庵夫婦の墓(供養塔)




角倉の名前は一回しか出てきませんでしたが、控えめに言ってめっちゃ良かったです。




基本的な来迎図について、二尊院略歴と来迎図の伝来について、図版(それも大小たくさん!)、修復過程の取材、箱書き等の基礎資料、化学分析、そして考察。

とても盛りだくさんな内容なのに、コンパクトで読みやすい、図版綺麗!


予約注文したので値段を覚えてなかったんですが、4180円もするんですね……いや、情報量を考えると安いです。



二尊院の創建は嵯峨天皇の時代に遡るとされ、阿弥陀如来と釈迦如来の二尊を祀るちょっと珍しい元天台宗、現在は浄土宗の寺院です。

そして寺宝である「二十五菩薩来迎図」がこの度修復されました。「二十五菩薩来迎図」は二十五菩薩と龍樹菩薩、地蔵菩薩、日輪と月輪を加えた全17幅。

作者は最初に土佐を名乗った土佐派の実質的な祖である土佐行光で、室町時代の作品です。絵の隅には結縁者の名前が書かれ、その中に行光の名前もあることから、依頼されたと言うよりは作者自身も企画に加わっていたと考えられます。結縁者の名前が作品の隅に書かれているのは、絵画では珍しい例。

同じ嵯峨野にある浄土宗の寺院である清凉寺の「融通念仏縁起絵巻」も土佐行光の手によるもので、「二十五菩薩来迎図」と結縁者の重複があるため何らかの関連があると考えられます。




「来迎図」という主題は阿弥陀如来一行が死者を極楽に迎えに来てくれる図で、『阿弥陀経』や『観無量寿経』に出てきます。日本では平安中期くらいから流行り始めました。

17幅と本尊を飾ったときの光景や、本堂をなす背景となる襖との関係の考察はとても面白かったです。修復後に飾った筆者の感動が凄かった。


というのも、「来迎図」というのは死の際に来迎をイメージするためのイメトレ道具の役割を持っています。鎌倉時代の作品には臨終の場面に枕元に来迎図を飾ったものまである。

二尊院の本尊と「二十五菩薩来迎図」を飾った本堂は、「死者を送り出す釈迦如来」と「死者を迎える阿弥陀如来と二十五菩薩」を表現。そして17幅のうちの日輪と月輪は『往生要集』に則って現世を現しています。

迎講(むかえこう)という一説には源信発案という来迎パレードもなかなか興味深かったです。もうそれくらい中世の人々は、来迎を上手くイメージして極楽に行くことに必死!

もうそんな二尊院の本堂は来迎イメトレ道具の中では秀逸の域を超えるフルセットなのですね。図版見てるだけでわくわくします。あ〜京博でフルセットで展示してくれ……特別公開でもいい……行く……


「来迎図」というのも面白くて、仏画はアトリビュート等のルールが基本的に厳しいものなのですが、「来迎図」はかなり自由度が高くジェットの勢いでやってくるものや構図等にも様々なものが見られます。


仏教絵画において鎌倉時代のものが至高で、それに比べると室町時代の塗りのゆるさや造形は評価されていないっていうのも興味深かった。彫刻は慶派が頂点なのでわかる気がするけど、絵画でもそんなヒエラルキーがあるのですね。

大和絵なんかをたくさん参照している宗達は室町時代の仏画のゆるさなんかも満遍なく吸ってるのかなと考えたり。宗達は絵仏師の出だという小説があったな……作者の宗達への気合いが感じられる作品でした。


細かい修復過程も本当によかった。「誓願寺門前図屏風」の修復プロジェクトの動画はリピートしまくったのですが、修復過程って本当に面白い。取り敢えず先人が編み出した技術が凄い。面白かった〜!

何を残すか決め、それによって修復手段を選択する。すごい判断だなと思う。そのなかでわたしたちは疑うことなくそれを享受できる。修復の仕事ってすごい。


最近、床の間についてのお話を聞く機会があったのだけどその中で、床の間が減るということは日本画の表層具を扱う人が減っていくという話を聞いて、「日本美術を守っていく」という意味の大きさを考えました。

見る人が減ってくか否かぐらいの大きさで考えてたなあ……と。


今回の修復に使われた美栖紙も奈良の一軒だけとなっているため、値段も高騰して使う人も減っているとか。

残るような技術で描かれた絵であり、燃やされてしまうような時代も通り過ぎて運か意図あってか残されたものにこうやって出会えるのはとても凄いことだなあと思う。わたしはわがままなので永遠に残ってほしいといつも思います。


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