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お引越し 時間が切り替わること

2018年がもうすぐ終わってしまいますが…
今年の6月はお引越をしました。

↑これはお引越し直後に新しいお部屋で撮った写真をInstagramの「日々の石写真」にアップしたもの。
新しいお部屋は床が白っぽい色なのでそこで写真撮ってみました。

お引越を敢行して改めて実感したことがあるのですが、それは「物事が終わったり始まったりする<時間の切り替わり>みたいなことが人生にはあるのだなー」ということ。

私は東京に出てきてから結構長いのですが、今回引越すまではご縁があってずーっと豊島区に住んでいました。
だから、ずーっと「池袋がホームグラウンド」みたいな気持ちで生きてしました。

東京に出てきて、池袋でまず圧倒されてしまったのが、何と言ってもジュンク堂。
「あー東京にはこんな巨大書店があるんだ。何ここ天国?」と思いました。
おまけにその向かいにリブロがあって(今は三省堂書店になってますが)個人的に勝手に「最強本屋はしご地帯」と名づけていました。

そしてそのすぐ近くの鬼子母神。
あの界隈もとても好きになってしまいました。
お堂もそうだし、すぐ近くのケヤキ並木とか、かわいい都電とか、あの「古くて静かで清々しい」みたいな雰囲気がとても気に入ってしまいました。
そんなこんなでなんか豊島区大好き人間になってしまったのです。

東京に出てきてから本当に長い間、本屋さんは池袋のジュンク堂とリブロがメインでした。
紀伊国屋書店とか丸善に行ったりすることももちろんありましたが、やっぱりこの2店がずーっと本拠地でした。
ここで沢山の本と出会い、購入し、読んできた。
そして色々なサイン会やトークイベントにも行きました。
中でもジュンク堂で河合隼雄先生のトークイベントに行けたことはずっと心に残っています。
たった一度だけ、実際にご本人にお目にかかることができたのです。
あの時河合先生に質問したこと、先生から質問されたことはずっと心に残っています。
(この記事のテーマからずれちゃうのでその内容はここには書きませんが)

そんな風に、この2つの書店には本当にお世話になっていました。
今の私はこの2店舗に作ってもらったと言っても過言ではない。

最初は、豊島区内でもジュンク堂・鬼子母神からはある程度距離がある場所に住んでいました。
でも段々住まいが近づいていって、豊島区で最後に住んだお部屋(今回のお引越前に住んでいた部屋)はそれらの場所が徒歩圏内でした。
「ジュンク堂・鬼子母神に徒歩で行ける場所」という条件でお部屋を探したのでした。
「東京に出てきて、豊島区で一番感激した場所のそばに住もう」と決めたのでした。

週末はとにかく鬼子母神にお散歩に行ってました。
そして、飽きもせず写真を撮った。
空を撮ったり、木々を撮ったり、お堂を撮ったり。
時には石を持って行ってあちこちに置いて撮ったりしていた。(そういう活動が今の「日々の石写真」に繋がってく訳ですが)

鬼子母神界隈を歩いて、写真を撮ることで四季を感じていたのでした。
以下、鬼子母神界隈で撮った写真達です。

いくら撮っても全然飽きなかった。
いくらでも撮っていたかった。
撮れば撮る程、自分の心も見えてくるような気がした。
鬼子母神界隈で撮る写真には、いつも自分の心模様が投影されているような気がした。

そんなだったから、「もうずーっとこの界隈に住むのかも知れない」と本気で思っていた。
「ここが私の新たな地元になったらいいな、なって欲しいな」なんて思っていたこともあります。

だから、お引越を検討しはじめた時も、最初は同じく鬼子母神周辺でお部屋を探そうと思っていたのです。
場所に不満があった訳ではなく、お部屋(建物)への不満からお引越を検討しはじめたので。

でも実際にお部屋を検索してみたり、お引越に向けて実際に色々検討してみると「やっぱり他の場所っていう選択肢もあるかも?」と思い始めました。

今まで訪れた都内の色々な場所。
「好き」って思える場所は東京の中にもっと沢山あった。

「いっそ浅草橋に住むのが一番手っ取り早いんじゃない?」ということは前にも考えたことがあった(浅草橋はビーズの聖地)。
「3月のライオン」を読んで「桐山君みたいに川のそばに住むっていうのもなんだか面白そう」と思ったこともあった。

ずっと、ジュンク堂・鬼子母神界隈が大好きだったけど、東京には他にも素敵だと思える場所は沢山あったのだ。

そうこうしているうちに、池袋リブロは別の書店になり、私自身も色々な状況や人間関係が変わったりしていった。
「今住んでる場所にこだわらなくてもいいんじゃない?」と思えるようになっていきました。

別に「豊島区が嫌になった」とか、飽きたとか全然そういうことじゃなかったのです。
強いて言うならば「満喫した」「堪能した」「任期満了」みたいな気持ち。
実感としては、実が熟して地面に落ちるように、本当に「自然な流れ」で「次のフェーズに行く時期なのかな」と思えたという感じでした。

そんなこんなで「思い切って違う街に住んじゃうぞ!」と決めて、いくつかの候補の街から今住んでる場所に決めて物件を探してお引越を敢行。
荷造りはやっぱり大変で「お引越鬱」になりそうだったけど、それは単純に「作業が大変」ということであって、住んでいた土地から離れることについては晴れやかな「やり切った」みたいな気持ちしかありませんでした。

無事お引越が完了した後、住民票の異動手続きの為に豊島区役所に行きました。
当然池袋駅に降り立つ訳ですが、そのときの池袋はそれまでとは全く違うように見えました。

東京に出てきてから、ずっとこの街を「ホーム」のように感じていたのに。
あんなに違和感が無い街だったのに。
お引越完了後に来てみると、びっくりする程「よそよそしい、距離がある街」に感じました。

別に「嫌だ・嫌いだ」という感情じゃないですよ。
ただ「よそよそしい」、つまり「住んでる街じゃなくて<お出かけで来た街>」という感じでした。今の自分とは距離がある感じ。
ついこのあいだまであんなに近しい世界だったのに。
今は何だか「他所様の街」って感じの印象になっている。

そのときつくづく「ああ、私の人生の中の1つの時間が終わったんだ」と思いました。
別にそれが悲しいとか寂しいとかじゃなく、季節が移り変わるような「当たり前のこと」に思えました。

私は子供の頃から「卒業式に泣く」みたいな感じが全然わかりませんでした。
「なんで泣くの?」みたいな。
卒業式を迎える頃には大抵もう意識が「次のフェーズ」に移っていて、そっちのことを考えているのであんまり悲しいとかの感情が湧いてこないのです。

私は割と決断が遅くて、決断するまではあーでもないこーでもないとものすごう悩んでしまったりするタイプですが、一度決めてしまうと我ながら「冷たくないですか?」と言いたくなる程色々なことを終わらせてしまったりします。
(多分実際「冷たい」って思われてることも多いと思う)

でもやっぱり、実感としては「季節が移り変わるように過ぎていく時間に従っているだけです」という気持ちなのです。
優しいも冷たいもなく(時間の流れっていうのは「優しい」「冷たい」というジャッジメントの外にあるものだという気がしています)。
そして、「時間が切り替わる」のはその時間を徹底的に真剣に生きて「堪能」したからこそなのだ、という気がしています。

だから、豊島区で過ごした時間には感謝しかありません。
いつもいつも、いろんなことが面白かった。
でももうその時間は終わって、新しい時間の中に飛び込んでいく時期になったのだなーという気がしてます。

今住んでるところは、徒歩圏内に大型書店がある訳ではありません。
でも、商店街が充実していて、小さくても魅力的なお店が沢山ある。
ご近所をプラプラ歩いているだけでも楽しい。

鬼子母神界隈は、個人的には「純文学的静けさ」みたいなものがあった気がします。
なんか変な言い方なんですが、あの界隈の雰囲気を私の印象で言語化するとこうなる…という感じです。
実際雑司が谷霊園には文豪のお墓があったりしますしね。

今住んでるとこはもっと大衆小説っぽい雰囲気とでも言いましょうか…
雑然としてて、騒がしくて、でも不思議な生命力が沢山溢れてる世界、みたいな印象。

あの「純文学的静けさ」の時間は終わって、大衆小説のるつぼに入っていくのかなあ…、みたいな気持ちです。
それはそれで面白そう。

この先がどうなるのかはわからない。
また色々な状況が変わって、別の街に住む時が来るのかも知れない。
時間はいつ切り替わるかわからない。

でも、先のことなんかどうせわかんないんだから、今生きてる世界を堪能したい。
未来はいつだってその先にあるのだから。



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仕事はデジタル系(BIエンジニア)、でもアナログなものづくり(ビーズアクセサリー、刺繍編み物等)が生き甲斐。 その世界を統合する為数学を勉強中。

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