駆け出し百人一首(26)誰かまた花橘に思ひ出でむ我も昔の人となりなば(藤原俊成)

誰(たれ)かまた花橘(はなたちばな)に思(おも)ひ出(い)でむ我(われ)も昔(むかし)の人(ひと)となりなば

新古今和歌集 夏 238

訳:誰がまた花橘を機に私を思い出してくれるだろうか。私が死んで、過去の人になってしまったならば。

Who will remember me after my death? Who will yearn for me by the scents of mandarin orange blossoms?


まず、下の「和歌の修辞法」をご覧ください。今回の歌に限らず、古文で「橘の花」「花橘」などと出てきたときは、昔を懐かしむ気持ちが含まれています。
私たちが「ラムネ」と言われると、子どもの頃の夏祭りを思い出して懐かしい気持ちになるのとかと似ています。
藤原俊成は『千載和歌集』撰者であり、藤原定家の父親としても知られています。約800年経っても、彼は忘れられた過去の人にはなっていません。懐かしみ、その和歌を愛誦する人に恵まれているはずです。


和歌の修辞法

花橘・昔の人: 本歌取りで『古今和歌集』夏139の読人しらず「五月待つ花橘の香をかげば昔の人の袖の香(か)ぞする」(五月を待って咲く花橘の香りを嗅ぐと、昔の人の袖の香りがする)を元にしている。この歌以来、橘の香りは昔を懐かしむキッカケとして知られることになった。本歌では「昔の人」は過去の恋人といった風情であるが、今回の歌では「古い過去の人間」という意味に展開している。

文法事項

誰かまた〜思ひ出でむ:「か」から推量の「む」に係り結びで疑問。
なりなば:「な」は完了の助動詞「ぬ」の未然形。未然形+ば。仮定条件。


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