オリンピック後に感じたこと
オリンピックを振り返ると、本当にあっという間で、一瞬で終わってしまったように感じる。
最下位という結果に対しては、悔しくて申し訳ない気持ちがとても強いが、後悔という感情は驚くほどない。
2019年に熊本で行われた世界選手権の強化のままオリンピックを迎えられていたら、
無観客ではなかったら、
この結果は確かに違ったと思う。
それほど、この1年延期のハンデは、ヨーロッパを主戦場とする世界のトップたちを相手に戦わなければならない私たちにとっては大きいものだった。
ともあれ、オリンピックが開催され、その舞台に立てたことは間違いなく自分の人生の中のハイライトで、幸せな時間であった。
しかし今思えば、そこに立つまでに日本代表として過ごした13年間こそが本当に濃くて長くて、自分を成長させてくれたかけがえのない時間だったように思う。
夢の舞台はどうでしたか?とよく聞かれるが、正直、試合中にそんなにオリンピックで戦ってるっていう実感はなかった。(ので面白くないコメントしか残せなくて苦労している苦笑)
ただオリンピックの開会式で日本代表選手団として入場した時に、「この景色は一生忘れないだろうな」と強く感動したことは覚えている。
あとは、オリンピックになった瞬間、他の大会とは注目度違いすぎて、「すげーーーーなオリンピックは!」と何度も思った。これは、周囲の人から感じさせられたことっていう分類になるのかな。いやもうね。知り合い増えたよね。
日本代表選出、おめでとうって言ってくれた人たち。。。今まで世界選手権とか、アジア大会とか、私ずっと日本代表として戦ってきたよ?笑 知らなかったでしょ笑
って思うことも多々あった。オリンピックが世界選手権とは比べ物にならないほど注目されているのだと、肌で感じた出来事の一つ。
周囲の人から気付かされたことの一つに、「オリンピックを初めて自分の身近に感じた」って言われたことが印象に残ってて、、。
ハンドボールは45年ぶりの出場だったんだけど。
そうよね、知っている人が出ている大会とそうじゃない大会ってのめり込み度違うよね。
まず私のお世話になった先生、トレーナー、ドクター、ファン、会社の人、家族は、もはや自分が出てるんじゃないかってくらいになるよね。
私自身もみんなの技術や想いも全部私が請け負って、みんなの代表として闘ってると思ってた。
日本ハンドボール界としても多分今関わってる中で、年配の方以外の方たちは初めてオリンピック。オリンピックでの日本ハンドボールの立ち位置を実際に見て、感じるものがあったんじゃないかなって思う。
まずこの「オリンピックを自分ごととして捉える」っていう機会があったことが日本ハンドボール界にとっての大きな一歩だったのではないかと。ここがすごく大事なことであって。
今まではオリンピックを目指して頑張って、行けなくて、オリンピックは私たちからは別世界のことだった。
そこから、今は出場し、勝利したけど、結局は最下位に終わってしまったこと。
コート以外の、注目度、利権に関する様々なこと、評価、結果を出すことでどれだけ世間からの目が変わるか、ってことを突きつけられたこと。
ここが新たな始まりで、次のオリンピックでは結果を出すところまで辿り着いていなければならないという危機感。
そういうものをちゃんと自分たちのものとして捉えられる機会が、いつもオリンピック予選で負けた、その時より、より鮮明に、克明に、広い範囲の一人一人に刻まれたのではないか。と思う。
そして、コロナ禍での大会という事で、本当に難しい状況の中、沢山の方のご尽力で開催されたこと。
オリンピック開催に際し、賛否両論あり、色々な感情がごちゃ混ぜになりながらも受け入れてくれた日本国民。
そんなオリンピックに参加したことで、オリンピアンとして日本に還元していく責務があると強く感じた。
スポーツの持つ価値や意義を多くの方に届け、健康や生きがい作りのきっかけとなりたい。
スポーツが身近にあることで笑顔や前向きさが増えるような、そんな風なスポーツとの関わり方を知ってほしい。
年々子供たちの体力低下は進み、高齢化社会になっていかに健康寿命を伸ばすことが大切かが叫ばれるようになった。
スポーツが出来ることは本当に沢山ある。
私自身もオリンピックから途中で帰ってきて、コロナ禍で自粛している時に色々なスポーツを観て勇気や感動をもらった。
今日は何の競技があって、何時から応援しようかなってワクワクしていた。
日本代表の活躍に一緒に喜んで、一緒に悔しかった。
こんな気持ちで、ファンの方々は一緒に闘ってくれてたんだなって、嬉しくて愛おしかった。
これからもハンドボールを通して、
スポーツを通して、
みんなの人生にちょっとだけ良い時間を増やしたい。
改めてハンドボールを文化に。
スポーツ文化を日本全体に広めていきたいなーーー。
そんな風なことを考えていたオリンピック後の石立でした〜。
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