醒めた場所から熱狂的に祈れ6

世紀末社会に浸透する“めめしさ革命”─ザ・スミス

ザ・スミスの音楽を、モリッシーの歌声を聴くたびに、僕はいつも何か言い様のない崇高な気持に捉われてしまう。それは彼らのアコースティック・タッチのサウンドや、ジョニー・マーの弾くクリアーなギターのせいなのか? ヴォーカリスト、モリッシーの繊細で陰影に富んだヴォーカルのせいなのか? マンチェスターの貧しい労働者階級の人々の人生を描いていると言われるモリッシーの、文学的香り漂う、翳りをおびた歌詞のせいなのか?
ザ・スミスというグループを一言で語るのはかなり骨の折れる作業のようだ。日本で発売されている彼らのレコードの宣伝文を拾ってみても、”シンプルなロックン・ロールの奥にイマジネイティヴな感性が光る”、“現世の存在形態を問う、英国の知性スミス”、“時代が求める彼らのバランス感覚、これほどまでに何気なく洗練された攻撃性のサウンドを持つザ・スミスは、聖紀末を飾るエクスタシーだ” 等々、何やらわけわかりません風なのである。 そういえば英国のザ・スミスのレコード評にも“ドクター・フィールグッドとマガジンの出会い”とかいう、よくわからんのがあった。

ここから先は

7,638字

¥ 300

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?