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[Report] HCDコンピタンス知識編「ユーザー調査・概論」

Hello there!
インフォコム株式会社、UXteamの吉野です。

7月18日に、HCDコンピタンス知識編「ユーザー調査・概論」に参加してきました。
https://peatix.com/event/724286

株式会社アイ・エム・ジェイさんのおシャンティなスペースで鮨詰め状態の満員御礼の盛況っぷりでした。
基礎知識をインプットしていきましょう、というものなので、冒頭に専門家/スペシャリストの方と手を挙げさせられ「何をしにきたんですか?」みたいなツカミがありました。

基礎的なものや、基本に立ち返るというのはとても大事なことで、年1くらいのスパンで行うべきアクションだと思っています。
それは、自分が変に手法にだけ頼っていないかとか、うがった視点になってしまっていないかとか、少しでも成長できているのだろうかとか、トレンドに変化はないかとか、様々な確認をしたり、認識を正したりするのに有効だと思っているからです。
熟れてきたときほど、初級講座とか原点めいたものが良いように思います。

全体的な感想

講師の太田さんが、そこそこな回数でSIerをガッカリ例で引き合いにだすことがあって、SIerに身をおいている立場からすると、変えようと頑張っているので少し複雑な気持ちになりました。
SIerはそう思われている&そんなSIerも多いのが現実だ、と受け止めなければなりませんし、何より一部の中の人もそう思っているのです。
"全員"ではないのが悲しいところですが。

構成として、前置きがあって本編という流れでしたが、本編はコンピタンスの項目に準じたもので(かんたんなまとめを最後においときます)、アイ・エム・ジェイさんでの実例等を通じてわかり良い学びのパートでした。
が、個人的に良かったと思ったのは前置きで、100徳ナイフの画像を見ながら、希望や要望とだけ聞いて実装すると使えないものになりますよとか、エンパシーとシンパシーの混同に気をつけようとか、まさに冒頭で書いたとおり、原点に立ち返るような確認ができる時間でした。

「わかんない人に自分ごとにさせるには、小さくとも成功体験を積ませること」なんてのは、言われるまでもなく誰しもがわかっているようなことだけど、改めて言われてみて、改めて"そうだよね"と思うことが大事なのです。
当たり前は記憶(というより認識かな?)の中で、当たり前なんで薄れていっちゃうんですよね。そう、当たり前なんで。

最近はどうしたら自分ごととしてもらえるか、分かりやすいか(導入検討の意)をとても考えているため、第一歩目的な切り口の視点からも参考になるものが多かったように思います。

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講座中のナイスワードやメモ

全体的な感想で、言いたいことは書いたので講座としてのメモや大事そうなメモは以下にずらずらと並べておきます(横暴)。

## 前置き
* 昭和のビジネスモデルは機能不全をおこしていますよ
 ※ 機能を提供するだけでユーザが買ってくれる時代は終わっているの意
* 暗黙的慾求ことインサイトはみえない、見えづらい
* ユーザの声を重視する=単なるユーザ任せ
* ユーザから提案してもらう ≠ ユーザに提案する
* EmpathyとSympathyの混同に気をつける
* Empathy:他者の目でみる
* Sympathy:自分の目でみて同調する
* デザイン思考はマインドセット、サービスデザイン/UXデザインは手技法、HCDはプロセス・進め方の規格。これらは三位一体。
* 名言「サービスデザインの悲劇はHCDを理解していないPMがアサインされることではじまる」
## A1:ユーザ調査計画
* ユーザ調査の定義は、調査(実査)だけではなく、分析・モデリング迄がワンセット。データを集め、データを分析する。
* 手技方を当てはめるのは、調査計画ではない
* なので認定審査では、A1コンピタンスをできない人が無理やり書くとすぐわかる
* HCDを導入すべきなのかは計画段階で判断できる。ウォーターフォールが適切な場合、無理やりHCD導入すべきではない。
* 名言「リサーチもせず解決策から提案を求められると萎える」
* 相手を納得させるためのアクションも時には必要
* IMJ例:調査母数が少ないとツッコんできたクライアントに対し、150人インタビューをしたが分析結果で差異はでなかった
* 名言「調査と評価を混同してはいけない」
## A3:データ分析
* 現状がうまくいっているかどうかは、次のステップへ進まないとわからない
* KJ法はひとりでできなければワークショップでもできない
## A4:現状のモデル化
* サイクルする中の本質的な価値を、言語化・可視化する
* 1本タイムラインのジャーニーマップが全てではない
* CJMを清書する という行為はIMJではしない。それの利用のされ方から最適な形に”翻訳”し、モデル化に利用しアウトプットする。
* CMJやKJ法はモデル化の際にまた動かす場合やビルド&スクラップする”余白”を残す
* 清書して完成させてしまうと、それが違った場合や違和感があったさいに、壊すことができなくなる
* そんなのは知ってるわ という結果は、調査失敗。本質的なものを探れていない
* 行為の7段階モデルとメンタルモデルは、どこでつまづくのかの仮説調査にもつかえる

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