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シリコンバレーでスタートアップを立ち上げ、事業売却をするまでの話

初めて note を書きます。プログラマの井口です。モバイル×クロスプラットフォームにフォーカスした開発が得意分野です。サンフランシスコで創業したスタートアップを解散した話 という記事に刺激を受け、自分の経験を共有することが他の誰かの役に立つと良いなと思い、書いてみることにしました。

私は2012年にカリフォルニア州マウンテンビュー、いわゆるシリコンバレーでスタートアップを立ち上げ、2015年に事業を売却しました。会社を解散してからもう何年も経つので、振り返りや反省を含め、創業の経緯をまとめておきたいと思います。なるべく分かりやすくすることを目指しておおざっぱに書いた部分や、大人の事情で曖昧にした部分などありますが、シリコンバレーでの起業に興味がある人の参考になれば幸いです。

全ての始まり

2012年、私はスマートフォン上で動くゲームの根幹部分のフレームワーク「ゲームエンジン」といわれるソフトウェアを開発していました。当時スマートフォン上でのゲームといえば日本でもアメリカでもソーシャルゲームが盛り上がり、技術的には Facebook が推す HTML5 ゲームが流行をみせている時期でした。日本でも HTML や Flash で開発し簡単なクリック操作でゲームを進めるパラパラ漫画のようなゲーム、いわゆる「ポチポチゲー」が流行していた時代でした。

今でこそ Unity が全盛ですが、当時は Facebook が HTML5 に力を入れていたこともあり JavaScript でのゲーム開発が注目され、JavaScript や HTML5 で作られたゲームエンジンが雨後の筍のように次々と発表されていました。私が開発していたゲームエンジンも同様のものでしたが、Appcelerator 社の Titanium という開発環境・フレームワークをベースとしていたことがユニークな部分でした。開発したエンジンはオープンソースで公開し、誰でも使えるようにしました。技術的には既存技術の寄せ集めで、隠すことなど何もなかったからです。

スポンサーとの出会い

私が開発したゲームエンジンの評判は良く、公開してほどなく Appcelerator 社 CEO のジェフから連絡がきました。最初は Twitter で「すごいね!」というようなたわいのないやり取りだったと思います。彼とはこの時点まで何の面識もありませんでした。

それまで、Titanium 上で動くゲームエンジンはまともなものがありませんでした。「できるかもしれないけど、難しいだろうね」ということで誰も挑戦してこなかったのです。 私が作ったものは技術的には特別なことは何もないものでしたが、しかしそれでも「今までになかった、動くものを、実際に作った」という事実が高く評価されたのです。

当時 Appcelerator 社はスマートフォンの急速な普及を背景に事業を拡大していました。Titanium のゲームエンジンは、スマートフォンで爆発的な盛り上りを見せていたソーシャルゲーム市場に参入できるチャンスである、と受け止められました。

私は日本で独立して仕事をしていたのですが、この頃には日本向けの仕事は全てキャンセルして、ゲームエンジンに全力を傾けていました。そこで、何通かのメールのやりとりの後、「このエンジンで新しい事業とか始めてみませんか?100% コミットしますよ」と持ちかけたのです。

「それなら、新しく会社を作ろうと思う」
「ファンドを作るから投資するよ」

会ったこともないのに、信頼されているな、と感じました。
シリコンバレーのスピード感を感じた瞬間です!

駅に張ってあった広告。めっちゃアメリカンドリームやん。

共同創業者との出会い

Titanium 用に開発したゲームエンジンのために新しい会社を作る、という方向性は決まりました。私は新しい会社の CEO にはならない、と決めていましたので、共同創業者、CEO を探さなくてはいけませんでした。

そこで紹介されたのが、カルロス・イカザでした。カルロスは当時すでに一定の評価を得ていたスマホ向けゲームエンジン開発会社の共同創業者であり、CEO でした。
いわば、ライバル会社の CEO です!

正確には、私たちが会社を立ち上げる少し前、カルロスは自分が立ち上げた会社の CEO を辞め、次のビジネスを探していたのでした。

カルロスはイラストレータや Flash Lite の開発に関わった Adobe 出身の元エンジニアで、スマホ向けのゲームエンジンに関しては技術、ノウハウ、人脈を持った人物です。まさに奇跡的なタイミングで、こちらとしては願ってもないことでした。

カルロスとはその後、文字通り二人三脚で事業をドライブしていくことになりました。起業の聖地シリコンバレーのどまんなか、マウンテンビューのオフィスの一角から始めたベタベタなスタートアップの始まりでした。

会社発表イベントにてカルロスと

初めてのミーティング

2012年初夏、マウンテンビューの Appcelerator 本社にて、カルロスとジェフと私とで初めてのミーティングをしました。 2日間に渡って私のゲームエンジンでできること、できないこと、今後の方針などを話し合いました。

実はカルロスとは、この時点ですでにエグジット戦略について話し合っていました。この時点で、エグジットは IPO ではなくバイアウト(M&A)を目指す、ということが決まりました。

IPO は一攫千金の機会かもしれないがハードルがかなり高く、パイが少なく動きの速いモバイル向けゲームエンジン業界ではうまくいく可能性が低い。それよりもバイアウトの可能性の方がずっと高いという判断でした。それに当時、Appcelerator はマイクロソフトに買収されるかも、という噂がありました。大きな会社に買収されればその機に乗じてゲームエンジンのビジネスも売却できるかもしれない、という皮算用でした。結局、この目論見は外れることになりますが。。

また、ゲームエンジンの権利を私から新しい会社に移し、CTO も現地の人を採用、私は新しい会社の経営に直接は関わらない、という方針を確認しました。私は日本にある自分の法人を経由して新しい会社に資本関係とコア技術の提供を以て関わっていき、できるだけゲームエンジンの開発に注力できるようにするのが私の希望でした。

イベント用に作った、会社のステッカー

仲間を探す

会社の方向性が決まったので、共同創業者と2人で1から会社作りです。まずは技術者を集めないといけませんでした。CTO 候補はすぐに見つかりました。過去にカルロスと一緒に仕事をしていた元 Pixer のエンジニアでした。その後、半年ほどかけてコアメンバーを集めました。カルロスの人脈です。それぞれスキル、事情、希望が異なる人材ですがモチベーションは高く、新しいことを始める活気に満ちていました。まるで海賊が仲間を集めている時のようなワクワク感を感じました。

最終的には10人ほどの所帯になったのですが、実際に人集めをしていて以下のことを感じました。

・人脈が重要!!
・エンジニアは超貴重!
・学歴高いマネージメント層はわりと居る

シリコンバレーというと超優秀なエンジニアがたくさん居るイメージだったのですが、エンジニアの採用にはとても苦労しました。マネージメント層ばかり多くて、実際に手を動かせるエンジニアが少ないイメージです。居るところには居るのかもしれませんが Google や Facebook などの巨大企業に全部吸い取られて弱小スタートアップには相当うま味がないと来ないんじゃないかと。実際に採用は創業者のツテに頼ることが多く、スタートアップにとってはエンジニアの採用は人脈・縁故がとても重要だと感じました。

有名スタジオ(D)に採用される

さて、私たちのゲームエンジンを最初に採用してくれたのは、なんとエンターテイメント最大手の D 社のゲームスタジオでした。(甲高い声で話すネズミの)キャラクターなど資産をたくさん持っているこの会社にとって、当時爆発的な流行を見せていた PC 向けソーシャルゲーム (HTML5)を、同じく急速に普及し始めたスマートフォンに「早く、安く、大量に」移植したいというニーズがあったのでした。 このような時代背景もありますが、当時実績もなにもない私たちのエンジンを採用するという決断、スピード感には驚くばかりです。

彼らがなぜ私たちの実績のないゲームエンジンを採用してくれたか、正確なところは定かではありませんが、そもそもこの話が始まったきっかけが、シリコンバレーならではのものだったと聞いています。

実は、当時 D 社のソーシャルゲームを開発していたスタジオがパロアルトにあり、私たちのオフィスがあるマウンテンビューまで車で15分程度とほど近い位置にあったのです。シリコンバレーはやはり起業のメッカということもあり、この会社がどういう技術を求めているらしい、誰がどういうサービスを始めたらしい、という噂は自然と耳に入ってきます。「人と話せばディールが始まる」といった感じでしょうか?物理的な距離や人との直接のつながりがビジネスに直結するという、シリコンバレーのシリコンバレーたるゆえんを垣間見た気がしました。

さて、権利関係が厳しいといわれている D 社ですが、ご多分に漏れず私たちのエンジンを採用しているということは非公表となりました。 大手のゲームに採用されているにも関わらず、私たちのエンジンを使っていると公表できない事実はもどかしかったです。

ゲーム制作に忙殺される

大手の D 社と契約できたことは良かったですが、D 社のゲーム品質に関する要求は厳しく、ゲーム制作に忙殺される日々が続きました。私はゲームエンジンを作りたくてこの事業を始めたのですが、実際にやっていることは「ゲーム制作」でした。零細ゲームエンジン開発会社にとって、自社のエンジンを普及させるには実績を重ねるしかなく、実績を重ねるためには自社の「ゲームスタジオ化」が必要だったのです。この事業を始めるまではそこまで思い至りませんでした。ゲームエンジンのコアを扱えるエンジニアだけでなくゲーム制作をするエンジニアの採用に苦労したことも、私がゲーム制作に忙殺される要因の一つでした。結果、ゲーム制作に時間をとられてゲームエンジン本体の改良が後回しになるという事態が起きました。

事業がスケールしない

自社ゲームエンジンを抱えたゲームスタジオ化、というのは良い面もありました。自社エンジンを使ったゲームのコンサルティングや受託開発ができる、という点です。このビジネスの場合人を出した分確実な売り上げが期待できますが、その反面、事業がスケールしない、という問題点がありました。人月、という言葉がありますが、人一人が一人分しか稼げないわけです。今でこそ「スケールしないビジネス」の良さが見直されてきていますが、当時はベンチャーにとってスケールしないビジネスは魅力のないビジネスである、という雰囲気があったのは否めませんでした。このことが、そのあと追加の VC 投資の足かせとなりました。

巨大なライバルが参入する

会社を設立して1年ほど経った頃でしょうか、2D ゲームエンジン市場に巨大なライバルが参入します。Unity が正式に 2D サポートを表明したのです。Unity の勢いはすさまじく、ゲームエンジンのライバル会社の CEO が Unity に引き抜かれて抜け殻同然になったりと、既存のゲームエンジン開発会社の淘汰が進みました。この頃にはスマートフォンのゲーム市場も成熟し、コンシューマゲームの開発会社がたくさんのお金を使ってスマートフォンゲームに参入するなど、ゲームのリッチ化が急激に進みました。Facebook ゲームをはじめとしたソーシャルゲームのブームは落ち着き、私たち零細ゲームエンジン開発会社は Unity の勢いの前にまさに風前の灯火、という笑えない状況になりました。

新しいスポンサーを探す

新たに進出したエンタープライズ分野での失敗で Appcelerator 社の経営が怪しくなるなか、私たちの会社は常に新しいスポンサーを探していました。大手のスタジオと契約していることが分かると皆興味を示すのですが、追加の投資に足かせとなる問題がありました。それは「特定会社のフレームワーク=Titanium」に依存しすぎている点と、事業がスケールしない点です。当時の私たちにとって、どちらも簡単には解決できない問題でした。当初の目論見であった「マイクロソフトへの売却」という皮算用も当てが外れたようでした。このことから私たちは傷が浅いうちの事業売却を模索し始めます。

事業の売却へ

2015年、ゲームエンジンの事業をアメリカ・ナッシュビルのゲームスタジオに売却、実働スタッフの大半はそちらに移籍しました。私たちの会社はゲームエンジン以外にゲーム開発支援のソフトを細々と販売していたりしたので、その事業だけは継続されることとなりました。

共同創業者の死

2016年、共同創業者のカルロスが自宅の庭で突然倒れ、転倒した衝撃で脳挫傷を負いました。カルロスはそのまま回復することなく、その日のうちに他界しました。ゲームエンジン事業を売却した後は次のビジネスを模索すべくフロリダの自宅に戻り、Swift 言語のコミュニティや起業家のミートアップなどを主催し精力的に活動していたと聞いています。とても残念です。ご冥福をお祈りします。

共同創業者の死去により、私たちの挑戦は名実ともに終わりを迎えることになりました。

事業を終えて

さて、こうして書いてみると奇跡の連続で、全ての経験が貴重なものでした。結果的に目標のバイアウトを達成できたとはいえ、道のりは決して理想的なものではありませんでした。私たちの挑戦の中でいろいろな人たちに助けてもらい、また迷惑をかけたこともあるかもしませんが、私たちとしては全力を尽くしたつもりでした。振り返ってみると「シリコンバレーってやっぱりすごい」と思う反面、「シリコンバレーに夢を見すぎた」と思うところもあります。特に、最後まで、自分が作ったプロダクトの未熟さには悩まされました。事業を始める前は「未成熟なプロダクトでも、シリコンバレーに持って行きさえすれば、天才的なエンジニア達を集めて夢のように問題を解決できる」と楽天的に考えていた部分がありました。しかし現実は、ベイエリアで何人ものエンジニアと出会いましたが、技術レベルが大きく日本と異なるとは思えませんでした。今回は共同創業者の尽力もあり、様々な幸運が重なって優秀な人材を集めることができましたが、それでも、実際にはシリコンバレーに行ったところで自分を超える人材を雇えることはまれだと思っておいた方がいいと思います。

(追記注)「自分を超える人材は雇えない」というのは私がすごい、という意味ではなく「創業者の能力を超える人材は雇えない」という意味です、念のため 😋

振り返ってみると理想通りとはいきませんでしたが、私としては損をしたことは何もないように思います。今回の経験を通していろいろな人との人脈ができましたし、全てが私の人生にとってプラスになっている、と今でも感じています。

ここまで書いてきたことがシリコンバレーでの起業に興味がある人の参考になれば幸いです。この文章が誰かの人生にプラスになることを祈っています。

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Kota Iguchi

モバイル×クロスプラットフォームにフォーカスしているプログラマです。スマートフォン向けのゲームエンジン開発をしていました。

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