手習い場
江戸時代の
庶民教育の場
手習い場
明治の寺子屋
かつては
個々の親の職業で勉強(手習い)内容が違っていた。
画一的ではなかった。
子どもの年齢や家の職業によって、
様々な教科書(往来物)が用いられていた。
大工の子には大工の子用の「往来物」
炭屋の子には炭屋の子用の「往来物」
その種類、実に7000種。
女の子専用の「往来物」もあった。
教訓、社会、地理、歴史、産業など様々な分野の「往来物」
識字率は約40%
世界史でみるとそんな国どこにもない。
画一的な教育は、戦後の「追いつき追い越せ」の高度成長時代には
その経済成長を力強く支える
金太郎飴タイプのサラリーマンが活躍できる時代。
しかしながら、今、
少子高齢化、人口減少、経済縮小時代に突入し
イノベーションを生み出さないとパイは広がらない。
そのためにも個性、個人、
ひとりひとりの自立した能力、
個性を発揮させ、
失敗を許し、
また再チャレンジできる環境であることが大切。
ニュージャージー州では町税の7割が教育費に使うという。
教育レベルが高い学校がある地域は
年収の多い家庭が集まり、
ひいては地価の水準を下げることないからだ。
まずは教師が生徒1人ひとりにより多く向き合っていた。
明治の寺子屋教育や江戸の手習い場を
今一度
みなおすことが第一歩だと思う。
幕末から明治期にかけて
地方創生はヒントが詰まっているきがしてならない。