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陰キャの独白② ~「推し」への正しい向き合い方を考える~

 よく「なぜVtuberにスパチャするのか理解できない」という文言を見たり聞いたりする。私も言葉通りに受け取れば同意見である。しかし、この文言には「スパチャをするのかが理解できないのが正常であり、スパチャをするのは異常である」という意味を内包しているように思える。そういった考えには私は反対である。様々な事柄において、正常と異常の境界線は人によって異なる。できる限り、法を犯さない限りは「多数派」と「少数派」であるだけで、少数派も尊重する考え方をしていたい。

 

 Vtuberだけではなく、誰かの熱狂的なファンというのは沢山存在し、その中には大金を落とす者も存在する。現在、私には熱狂的になれる「推し」なるものが存在しない。個人的には推しがいないよりいる方が良いと思っており、生き甲斐となるような推しが欲しい。人生にやる気がなく無気力に生きるよりも、多少金を出してでも推しという生き甲斐を持って活力のある毎日を送る方が、自分にとっても社会にとっても良いと私は思う。そこで今回は、「推しにハマる」ということをある程度理解し、自分にもしそういう存在が見つかった際の指針を作ろうと思う。

 

 ある人やグループにハマるとどういう傾向があるのか。結局、程度の違いはあれど「その人やファンの影響を受ける」ということに尽きるのではないだろうか。友達と好きなyoutuberの語録を用いて会話することは軽度に影響を受けていると言って良い。更に染まり始めると、趣向や考え方の一部が推しと同じようになっていくのだろうし、周りのファンがやっているからとグッズを買ってみたり、スパチャを送ってみたりするのではないだろうか。
 
 推しに染まるという例の1つとして、配信や動画投稿を行っている「ゆゆうた」を挙げたい。私は彼の即興のピアノ技術を素晴らしいと感じて、時々動画を見たり初見の曲を耳コピで再現している切り抜きを見たりしている。そんな彼に関する最近の動画や配信には、コムドットを馬鹿にしたり、Vtuberやそのファンを馬鹿にしている様子であったり、その他角が立つ言い方で何かを批判しているものが増えてきた。昔から炎上騒動に乗っかった動画を出すことは変わっていないが、自身の考えを棘のある言葉で表現することはここ最近になって数を増やしたように感じる。このようなスタイルは配信者「加藤純一」に似通っている部分がある。ゆゆうたは最近加藤純一との関わりが増えたらしく、自身の視聴者の層が近くなったことも相まって、自分より人を集める加藤純一の配信のスタイルを真似ていると考えられる。つまりゆゆうたは加藤純一やそのファンの考え方に影響を受けて、自身の配信や動画スタイルに変化が現れたのだ。

 

 「影響を受ける」という観点で大事なのは、良い影響を受けて、悪い影響を受けないことであるのは間違いないであろう。良い影響についてはさておき、悪い影響を受けて、他人を不快にさせたり他人に迷惑をかける行為をしないようにすることは「推し活」にとって最も重要なのではないだろうか。
 
 例えば、配信者「加藤純一」はよく人を馬鹿にしたような言葉を放ったりする。それ自体には問題はないだろう。不快に感じた人は彼の配信を見なくなり、同感だと思う人は嬉々としてコメントを走らせるだけであろうから。しかし、そういった言葉をツイッターや他の人の配信や動画のコメントなどの加藤純一の配信の外に持ち出すことは良くない行動である。ツイッターには様々な考え方の人が存在し、その人が自分の好きなものや人について検索した際に悪口の投稿を見かけたら不快になるからだ。他の人のコメントに残す等は、そのコミュニティの空気を壊してしまうためもっとやってはいけないことだ。とはいっても、そういった行為を行うのはごく一部の人達なのだろう。その人達のせいで全体にマイナスイメージが付くのは非常にもったいない。しっかりしているなと思ったのは、加藤純一本人はツイッター上では一切悪口を放っていないことだ。ツイッターは自身のテリトリーではないことをちゃんと理解しているのだろう。
 
 一部の人達の行動が全体にマイナスの印象を与える別の例を挙げるなら、Vtuberに対する所謂「怪文書スパチャ」を送ることも良くない行動だと感じる。その人の配信を見ている他の人でさえおそらく不快に感じるだろうし、そのスパチャを馬鹿にされることによってファンの民度を低く見られたり気持ち悪がられたりすることは他のファンにとって迷惑であろう。もちろん怪文書スパチャをツイッター等他の場所に持ち出す輩が良くないのは間違いないのだが、そういった輩に馬鹿にされないようにコメントやスパチャの際は一度立ち止まることが大事であろう。

 

 また、「推し活」において、法を犯さない限り他人に迷惑をかけなければ何をやっても問題ないと私は考えている。たとえ何百万とVtuberにスパチャを送っていようと、キングコング西野亮廣のクラウドファンディングにいくら金を突っ込んでいようと、それが他人なら気にすることはほぼない。気にするのはただ1つだけ、「これだけの金額を出して後から後悔しないか」ということだ。現在「スパチャを投げることやクラファンに金を落とすことで幸福になっている」ことは大前提として、推しの裏の顔が明らかになったとか、単純に貯蓄が尽きて貧乏生活になったとかいう状態になった時でさえも後悔しないなら問題ない。しかしもし私がそこまで金を貢いでいたら後悔すると思う。金以外でも、時間や手間、中には恋愛感情のようなものを捧げる場合には後から何があっても後悔しないと覚悟を決める必要があるだろう。「推し活」においてもう一つ大事なことは、「後から後悔しない行動を取ること」であると言えるのではないか。

 

 私がもし「推し」なる存在に出会った際には、「他人を不快にしたりに迷惑をかけない」「後から後悔しない」の二点を心がけて行動したい。また、他人の推し活にとやかく言う人間にはならないようにしたい。すべての人が健全で幸福な推し活を送れることを心から願っている。

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