僕の頭の中
高校の先輩が大学を留年することは無意味じゃないよ、ストレートで卒業することに縛られすぎるのもよくないのではという趣旨の文章を書いていたので僕の意見をかく
「ストレートで大学を卒業することってそんなに大事なことなの?」
この問いに対し、卒業後数十年は働き続ける必要があるから、この限られたモラトリアムの時間を謳歌するのも選択肢にあるべきという趣旨の主張があるようで、
この意見は一見、斬新で、これまでの凝り固まったステータスによる強迫観念に駆られた生き方に疑問を呈しているように見えなくもない
が、個人的に実は依然として旧来のtypicalな生き方に自分を当てはめてしまっているように思えた
いや、卒業してからでも、勉強できるしやりたいことできるでしょ、例えば就職して、あるいはギャップイヤーとしてインターバルがあってからPhDをとることだって、一文無しでバックパッカーすることだって、留学することだって、突然海外移住することだって、転職する事だって、脱サラして母校の非常勤になることだって、あるいはそうして部活動の指導をする事だって、道は無限にあるのに。
全部今のうちだけだから、「留年して」やっとかないと
という焦りで正当化しているように思える。道を自ら狭めているように思える。
ほんとうにそうだろうか。
「やりたい事」をするために、「学部を4年で卒業」という道を踏み外さないことは重要ではないけれど、
「やりたい事」をするために、「大学生」あるいは「社会人」という身分を踏み外さないことは重要
というやや矛盾した前提にいまだに縛られてるのでは?と思います。
未だに「やりたい事」への視野を広げきれていないのではないかと思います。
かくいう自分も、1年前に「やりたい事やるぞー」って言って休学して、結果的に留年しているんですが、
留年して世界旅行している最中に、とうに仕事を辞めた世界中のバックパッカーの人たちに出会って、なんて自由で、「やりたい事」をやっているんだろうって
自分は資金にも時間にも縛られたバックパッカーをしてて羨ましくなった
留年してイギリス留学している最中に、学士号を3年でとり修士号を1年でとってしまうイギリスの学生たちに出会って、将来自分が「やりたい事」をやるためになんて効率的なんだろうって
自分は5年もかけて学士号しか取れていないこんな所で足踏みしているのが本当に恥ずかしくなった
留年してケンブリッジにきて出会ったアメリカの大学生が飛び級して3年半で卒業して一刻も早く、ずっとなりたかった心理カウンセラーになるよと言われて、「やりたい事」がなんてクリアな目標として据えられてきたんだろうって
自分はクリアなやりたい事を見つけるのがなんてのろくて、時間をかけすぎているんだろうって気付かされた
留年してワーキングホリデーしている最中に、海外移住のためにそれぞれの夢を持って世界中からワーホリ移住してきた人たちに出会って、なんて自由で夢に向かって「やりたい事」を追求しているんだろうって
自分だけ滞在期限に縛られてこんなに楽しい海外生活に人生をかけれないのが悔しくなった
留年しなくてよかったんだ、卒業して思いっきり「やりたい事」やった方が経験は豊かだ、少なくとも身分による制限がない、「本気のやりたい事」であればあるほどに。
留年は「中途半端に」やりたい事をする時間かもしれない。本気では到底無理だ
大学を留年して、世界旅行して留学してワーホリして、僕は後悔してしまったのであった。後悔に、気づいてしまったのであった(もちろんそれらの経験自体は全く後悔していない。「留年して」経験したことについて)
「大学4年間は人生の夏休み」
うーん、ちょっと違うかな。
人生自体が夏休みの如く自由で、「やりたい事」を追求できる
別に夏に休まなくたっていいのかもしれない、秋でも冬でもなく、ただただ休んだ時が休みになるという事だ、やりたい時に休めばいい、それがたまたま夏かもしれないが
幸運なことに、そんなことに気づいた僕の留年期間だったのでした。
p.s.
休むのは自由だけど、恵まれた国に生まれた限り、同時に社会的責任はちゃんと果たそうと思う。
リビアやスーダン、シリアの近々のニュースを聴いていると、僕の主張がグローバルスタンダードとは、とてもじゃないが言えない、あくまでも日本の社会の中で。
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