大学5年間を振り返る

2020年1月末をもって、履修していた全ての講義を修了し、20000wordsに及んだ卒業論文を提出したため、5年間通った一橋大学での生活が終了した。(卒業が確定したとは言ってない)

備忘録として始めたこの記録媒体なので、大学5年間を振り返りたい!

流石に5年間という膨大な年月をざっくばらんに書き起こすとchaosな文章が誕生せざるを得ないので、大きなカテゴリーに分けて振り返る。


Finance

5年間を通して最も stressful だったことは何かと聞かれたら間違いなくfinanceと即答する。

授業料、食費、家賃、水道光熱費、通信費、書籍代、飲み会代、機材代、その他娯楽、エトセトラエトセトラ...

これらを自分で賄う必要があったのが一番厳しかった。あり得ないほどの時間をアルバイトに注いだ記憶がある。投資というスキルを、ギャンブルという趣味を手に入れたのもこのおかげである。けれど、一生ものの体験もそこでは得られたとおもっているのでその振り返り。


教育職

大学に入って、家庭教師・小中学生向け集団授業塾講師・高校/浪人生向け個人指導講師をやってた。

家庭教師は推薦を取れる水準に成績を維持するだけのイージーな仕事だった。けれど、ちょっとだけ場所が遠かったのと一回90分という絶妙な時間の使い方が自分には合わなかったので生徒の推薦が決まったところでやめてしまった。

家庭教師を付けて、部活とかもさせてもらえて、恵まれた子供だなあとどこか達観していた。


某大手小中学生指導塾は、ほぼ子守だった記憶がある。塾長が適当で、教室で競馬見たりパズドラしたりしていた。そんな塾だから生徒はバカばっかで学外教育の意味を割と真剣に考えさせられた。結局は親の自己満だったり塾業界のいいカモになってるとしか思えなかった。

バイトとしては、この後の世界旅行編で出てくる素晴らしい仲間に会えたり、塾長とパチスロや競馬、音楽の話ができたりととても楽しく働けて結果、とてもいい思い出になった。


大学受験向け講師としては、全然別でメリトクラシー教育の意義みたいなものをずっと考えていた。先輩の紹介で入った某ベンチャー塾は栄えていたし、かなり儲かっていたけれど、受験に関しては結局個人の才能と努力次第ジャンという元も子もない感想を抱きながら、地頭のいい生徒を当てられることを祈って講師としての結果を残すという不毛なことをしていた節がある。

ここで初めて友達と同じバイトをするという経験をして、バイト後遊んだり、バイト前遊んだり、バイト中遊んだりして楽しかった。上司もいいひとで、塾業界は音楽関係の人が多いのかなあなどと勝手に統計をとったりもした。

夜職

夜の仕事に適性を覚えた大学生活だった。バー/クラブに始まり、キャバクラやラウンジのボーイとしての楽しさを覚えた。

軽音の先輩に紹介してもらったバーは最強で、ワンオペでやりたい放題の場所だったし、仲間とは今でも交流があるくらい本当に一番いいバイトだった。EDMとか、ハウスミュージック、hip hopに初めてちゃんと触れたのもこの箱で働いている時だった。

基本的なバーテンダーとしての知識やスキルも学べた最高の時間だった。


キャバクラのボーイも軽音の先輩の紹介で入った。昼は塾で夜はキャバクラという意味不明なバイトの掛け持ちをしながら、たくさん知り合いができたしいろんな経験をした。

や○ざとかチンピラとか半グレ、変態、社長、いろんな客と接することができてとっても楽しかったと同時に、立川の治安の悪さを実感した時間だった。中でも、犯○者がこれだけ身近にいて、知らないところでいろんなことが行われていることを知れたのは相当デカかった。

記録に残してる以上、多くは語りません。


ラウンジでもバーテンも現在進行形でエキサイティングな経験をしていると思っている。一晩に何十万も何百万も、下手したら一千万以上使う客が、たくさんいる事実とそのダイナミックな経済に最初はショックを受けた。

知れば知るほど、うまくできているなあと感じるのは、誰にも知られず飲みたい・遊びたいという金持ちと、会員制というブランディングで単価をあげたい店の受給関係がマッチしていて、そこに六本木という街全体で、資本・業態・価格帯・ターゲットなどの面で棲み分けが行われていることだった。

まあ、芸能人・社長などの金持ちを取り巻く”社交界”が思ってた通りクソで安心した。ああはなりたくないね。


あとは吉祥寺のラウンドワンでもバイトしてたかもw 感想は特にない。


投資

シラガと飯を食ってて、金欲しくね?ってなったときに同じ時期くらいに始めたのが為替トレードだった。今では為替に限らず、先物、商品先物、個別株、仮想通貨、各種指数なども取引するようになったが、これらがだいぶ俺の finance に貢献してくれたと思う。

細かいトレードの思い出は置いておいて、世界の見方を大きく変えてくれたのは為替トレードだった。世界中の投資家たち、ファンド、企業などが毎日みーんな同じ数字を追っているという事実がまず知らなかった、知れてよかった。

しかも相場の世界は完全なるゼロサムゲームで、誰かが得をした分だけ損している人がいる。クレディスイスが日経空売りで大儲けしている裏で、フルレバで全財産を失っている個人投資家がいる。

これはすごい発見で、世の中、金があるところに金が集まるという、マルクス的に言わせれば資本の増殖という資本主義の原理的な機能に絶望した瞬間でもあった。

政治の見方も変わった。金融政策に詳しくなったし、地政学的な話題にも敏感になった。北朝鮮ミサイル発射報道を受けて大笑いしてポジション入れてたのは今でも忘れない。

まあなんにせよ、トレードの利益でいいギター買えたし、留学中生き延びたしよかった。

治験

治験バイトは一回やってみたかったのでできてよかった。

10日で27万くらいもらえた。1日だけ薬を飲んで1時間ごとに血を取られるだけ、それ以外の日は食事を管理されるくらい、の簡単なお仕事。それ以外の時間は何をやっていてもいいし、漫画やwifiがたくさんあるので全く苦痛は感じなかった。

やばいやつ多いのかと思ったけどフリーランスの人とか大学生ばかりだった。


Activity

では、何にお金を使っていたのか。

旅行

一度バックパッカーというものをしてみたかった。大学在学中にその夢をかなえることができたのは本当によかった。大学4年生で中国、ロシアからヨーロッパの果てまで自分の力だけで横断して、たくさんのことを学んだ。

もちろん観光もしたけれど、一番面白かったのは、ユダヤにまつわる学びが多かったこと。

上海のユダヤ人ゲットー、モスクワのシナゴーグ、イェルサレムのユダヤ人街とパレスチナ自治区、ブルガリアの小さなシナゴーグ、ブダペストのユダヤ人地区と虐殺跡、チェコのユダヤ露店商、パリのユダヤ博物館、ロンドンの金融街、ウィーンのアンネ=フランクの生家、リトアニア・ラトビアのホロコースト博物館、そしてポーランドのアウシュビッツ=ビルケナウ強制収容所博物館。

全て訪れ、説明書きを一つ一つ読んでいく中でいろんなものが見えてきた。

世界中にユダヤ民族と彼らの歴史を今世に伝える施設があり、その一つ一つがパズルのピースのように、それぞれのストーリーを持ちながらも、一続きの物語を形成していた。

世界が平和になるのはまだまだ遠い未来だと思ってしまった。


大学1,2年のときに意外と国内旅行もした。沖縄や福岡から瀬戸内海一周、大阪、名古屋、伊豆、新潟、福島、仙台、北海道などたくさん旅行したな〜

飯食って宿いるだけでも楽しい、アウトドアも楽しい

一生ずっと旅行者でいたいとはめちゃくちゃ思う。


留学

ケンブリッジ大学に留学できたことは、一橋大学在学中で人に誇れる唯一のことかも知れない。

世界のトップレベルと自分との間にある絶望的な距離を実感した。正直一生で一番勉強したしそれでも縮まらない差に心が折れそうな日々だった。

それでもそれをポジティブなものに変えてくれるくらいのたくさんの経験をすることができた。友達や教授のおかげでもあり、いろんな外部の活動に顔を出した自分のおかげでもあり、ケンブリッジ という街の環境それ自体のおかげでもあった。

大学院へ進学するモチベーションを高めることにもなったし、日本以外の場所で暮らすハードルも下げてくれた。そして何より、イギリスに愛着ができたし、履歴書も華やかになった、人脈もできた、人生の大きなターニングポイントになった。

問題はこれを超えるような経験を将来できるかな、という懸念。刺激的すぎて脳が肥えてしまった。


音楽

正直5年間バンドを続けられるとは思ってなかった。

めちゃくちゃ真剣にギターを練習したとは思えない活動内容だったけど、ロックな自分というものを磨けたかも。その結果(?)性格はどんどん尖って行ったことは否めない。

MSGやら向井秀徳やら、フジファブやらキンクリやらメタリカやらCOVETやらそのほかテクノ、ジャズやらなんやらいろんな音楽を雑に聞いていた自分にとってコピーバンドってちょうどよかったかもしれない。

どうしようもないくらい下手くそなギターで人に何を届けられるかを、自分にしかできないライブってなんなのかを5年間考え続けた結果の、追いコンでのZAZEN BOYSのライブは一生忘れないだろうな。

これからもいろんな音楽に出会いたい。


Academic 

アカデミックなことで何を成し遂げたか。

社会学

社会学部ということで社会学分野の本を結構読んだと思う。

もともと高校時代に読んだ高島善哉『社会科学入門』に心を動かされ、一橋大学社会学部を志たので社会学への興味は特段大きかった。

社会学研究会創設時メンバーとしてヴェーバーやデュルケムなどの古典からハーバーマスの公共論なども読んだ。シカゴ学派の質的研究やナショナリズムの名著にも触れ、幅広い読書活動に貢献してくれたサークルだった。

講義ではオーギュストコントからハーバーマスに至るまでの大きな社会学史も勉強した。あらゆる社会科学の論文を批判的に読む上で欠かせない視座を手に入れた。かなり大雑把にだけど。

とりわけ強い関心を持ったのは宗教社会学の分野だった。ヴェーバーの宗教論に始まり、ハーバーマスのポスト宗教論を用いた論文を出版できたのはかなり大きかった。深澤教授が一橋にいなかったら今の自分はないかも知れない。

政治学

入学前から政治学のゼミに入ると言っていたので、有言実行。田中教授のゼミへ。そこで政治学の様々な論壇の本を読んだ。

プラトンから始まり、近代の政治論からヴェーバー、アーレントなどの大著も読むことができた。そのほか、政治のいろんなトピックの最新の研究本を読んだ。田中先生の文献リストはツボを抑えていて本当にすごい。

中でもロールズ以降のリベラリズム論は特段の興味を持った。公正とは何か?平等を目指すべきなのか?正義とは一体なのか?

長らく疑問に感じていた諸問題に大きなヒントを与えてくれる議論だった。いまだに結論は出ていないが。(自分的)公正とは何か決してunivesalではないものの持論を持つくらいまでには至った。

自身の研究トピックに選んだのは福祉国家論。中でもいま流行りの社会的投資としての教育政策だった。自由主義レジームの高等教育政策に焦点を絞り。その歴史に福祉政策的視座を与える研究をした。

これからも福祉国家の比較政治的研究をしていきたい。


Friends

最後に、あげ出したらキリがないくらいいろんな属性の人間と出会えた。

軽音の音楽仲間、社研の読書仲間、バイトの夜職仲間、飲み仲間、麻雀仲間、旅先のバックパッカー仲間、メルボルンのワーホリ仲間、一橋のクラスの仲間、留学仲間、そのほか本当に上げ出したらきりがないくらいの人と出会った。

巡り合わせってすごいことだと思ってるのでどれも大事な出会いでした。それぞれの全く違うコミュニティで多様な人に出会えたのは運が良かったと思います。これからも関係が続くといいと思う


Conclusion

いろんなことを経験したけど偏らず程よくバランスが取れたいい5年間だった。大学生としてやれること、やりたいことはやり尽くしたし悔いはないと思う、長いようで短かった、あらゆることに刺激を受けて学んだ濃密な時間を過ごした。

お疲れ!!自分!!!


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?