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ガンになったら、戦わなければならいないのですか?

30年生きてきた中で、衝撃的なできごとがガンによる母の死だったので割と母の話をしがちです。
「いいね」稼ぎのかわいそうコンテンツに見えちゃうけど、
悲しみの底にしずんで、あの出来事はなんだったのかと考えることが、私にとっての気持ちの整理の仕方なので。
申し訳ないですね。

で、母親は胃癌で亡くなったわけです。
おそらくピロリ菌由来のものじゃないかとも思っています。

ガンになったことは、普通なんだけれども
死に方は普通じゃなかった。

というのは、抗ガン治療をしないまま、「そのままでいる」ことを、発覚時に決断したこと。
家族に告知するときには、もう決めていたようで。

こちとら大ショックですよ。
それって、ゆるやかな自殺じゃん。

私にとって母親は仕事も人生も全部のメンターだった。
高校生たちと毎日向き合い、夜遅くまで悩みながら仕事に向かい合っていた母親。私にとっては尊敬すべき女性であり、なりたい姿でもあった。

そんな人が死を決断する。
正直、私が生きた心地がしなかった。

「もう十分生きた。満足した。だから、死なないように生きたくない」それが母親の意見だった。
通院しながら、抗がん剤やチューブに頼る生活はしたくない。
人として、ちゃんと生きて、死にたい。

分かるけど、そんなのわがままだとも思った。
でも、そんなこと何も言えなかった。

一度決めたら絶対に曲げない彼女の意思を信じるしかないと思った。
そして彼女がいなくなった今、泣き叫びながら「そんなの許さない」と言えばよかったと思う。
同時に、彼女の信念を尊重することができてよかったとも思う。よく頑張った自分、とも。

最終的に彼女が希望していたように「家で眠るように死にたい」ということは5月の朝に達成できた。
もういない人に感想を聞くことはできないけど、きっと満足してもらったはず。

彼女はガンと戦うことをしなかった。
それを季節が変わって花が落ちるのと同じように受け入れた。

そして、今。
さくらももこさんなど医療での治療を選ばずに別の方法を選んだ人たちがいる。

民間療法を非難する人は、きっと「ガンとは戦うもの」と思っている。

でも、もしかしたら、戦うとは別の方法もあるかもしれない。
死ぬ前につかむものは、きっと自分の信念なんじゃないかと思う。
それをインチキだ詐欺だというのは、少し違うような気がする。

戦って戦って、傷ついて苦しんで、でも治ったら「勝ち」。
じゃあ、「負け」は?

生きること、死ぬことに勝ちも負けもない、
「ニンゲンは犬に食われるほど自由」だ。



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