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葛藤なき人々の中で

大学や専門学校は無数にありますが、少子化が進む中で経営は厳しいものになっています。様々なところで大学の広告を見るたびにそう感じます。最近では外国人留学生がターゲットになっているという記事をちらちらみますが、その辺は詳しくないのでまた調べて述べたいと思います。いずれにせよ、学生が「お客様」になっていて、学生もサービスを受ける感じで…なんだか諦めたくなる気分です。

私がここで「諦め」と表現したものは、大学のランキングとかレベルの高さとかというものではなく、忖度なく自由に物事を考える場所がなくなったということです。社会から少しだけ逸脱できる場所ではなくなったので、ずいぶん前からも指摘されていたことですが、やはり何も期待できなくなりました。

自由に物事を考える場所、というのも少し掘り下げてみると、それは「葛藤が許容できる場所」ということではないでしょうか。葛藤はコスパが悪いため、現代社会では悪。成果にたどり着かないことや挫折はとにかく悪です。しかし長い人生ですから、社会性から距離をとろうとすればとれる大学やら専門学校という時に、葛藤し、自分に向き合うことは必要ではないかと思います。

葛藤を感じられない創作、思想にあまり魅力を感じません。私には社会的に成功している肩書きだけ人間よりも、葛藤を抱えた人間のほうがずっと魅力的に見えます。ですので、スペック重視で、要領の良い人間が評価される大学に、もはや魅力を感じることができません。そして、葛藤を抱えた学生の価値を見出せない大学教員、あるいは、葛藤を悪として排除する社会にも興味がもてません。

大学から離れて言論活動をしている知識人もいます。現在の大学の状況を考えると、極めて健全だと私には思えます。例えば、東浩紀さんなどはそうではないでしょうか。私は、メディア等で見る彼の言葉に面白さを感じる一人です。それは、彼の中に古き良き葛藤が感じられるからかもしれません。






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