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ちっさいな、・・・私の器。でもいいの。

自分が人としてどうとかこうとか、まぁぼんやり考えたりしますけれど、突き詰めて考えるわけでもないんです。その理由は、すでに私は自分の人間としての小ささをちゃんと知っているので、もしや、もしかしたら気のせいでちゃんとした人なのでは・・・とうっかり妄想したりする余地もなく自分を見てしまっているので、そこはね、まぁ仕方がないという境地に至ってるんです。

世間に疲れた、生活に倦んだ女。格段に素晴らしくも、酷くもないけれど、自分を過大評価せず、駄目なところもたくさん知っていて、マァマァかもなぁというところもたくさん持ってて、そう、みなさんと同じですよ。引いちゃうような高い自己肯定感もあるわけでもないけれど、私はそういう私でいてもいい、とある時から思えるようになってしまったんです。理想とか世間には色々あるけれど、未完で中途半端で、諦めが悪くて、上がったり下がったり相変わらずしている私を、言ってしまえば、愛情を持って受け入れているというのが一番近いです。自分を愛してます!ジャーンという感じとは違って。嫌いなところや、残念なところを持っている私を、愛情を持って見ている。受け入れている。なんか親友みたいな感じ。嫌なところもあるけどさ、好きだよね、親友って。そんなゆるい感じでいるのです。

もちろん、器も大きくはない。すぐ溢れてアワアワすることもあります。で、頑張って大きな器になろうと言うことを自分に課すのを辞めています。より素晴らしく、より強く、より人として優れることなんかもうしなくて良いと。そのまま、自分のタイミングでだんだんと気づく私でいいと、大変に大きな目で見るようにしています。笑

だってもう十分に日々頑張ってると思うのよ。私。健気に。だからもっともっとと自分を追い立てることは辞めて、とりあえず今の器で自分に丸をあげてます。

#矮小 #小さな器 #駄目な自分 #頑張るの辞める #親友 #note始めました #ゆるい自己肯定

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