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物やお金が集まる半生

体質というものもあると思うのです。品物(贈り物に始まり、お下がり、不用品、未使用の新品、食べきれないお裾分け・お福分けなどなど)がとにかく集まる。亡くなった母は「あなたは、顔に”なんかください”って書いてある」と私が物欲しそうな顔をしているせいだと言っていたく私を傷つけたけれど、そんなつもりはないわけです。強いて言えば、安請け合いをしてうっかり引き受けちゃうみたいなことはあったとしても。で、いっときは「物流センター」とあだ名されるほど、私の部屋にはあらゆる物が持ち込まれ、そしてあらゆる人にもらわれていきました。食器棚、ダイニングテーブルセット、サイドボード、シングルベッド・・・。一番の大物はダブルベッドが持ち込まれ、もらわれていったケースでした。この頃から私は物は「巡る」ということを体感していました。要らないものを、放置して停滞させては駄目と言う感覚です。役に立つべく生まれてきた品々はその生涯を役に立つことで全うする、または終えて役目を終える。今でも、この体質というか宿命的な物をもらう運みたいなものは衰えを知りませんが、私も放出して巡らせることにかなり慣れたので、溜まって停滞することはなく日々つつがなく暮らせています。停滞するととにかく重たいので、日々も暮らしも軽快さをなくして、部屋は狭くなります(笑)。ですからどんどんと「巡らせる」事で物も新しい持ち主も幸せであることを祈り、手放します。(時々ぐったりして、溜まる事も・・・)

お金はまた別の話で、これはどんどん集まるというより、動きの性質を割と早くに知ったと言えます。無駄遣いという言葉がありますが、これは随分と意味が歪曲して伝わっているなぁと個人的に感じます。無駄遣いをしない人は生活には困らないとは思いますが、生涯豊かにならないように思います。物と全く同じで、お金もじっとしている事を嫌いますので、「使われる」ことが大切です。使って、巡らせる。それがスピードをもったり量の増幅を呼んだりしたりするのを、その都度、面白いなと思ってきました。

この話はまた続きをしますが、物もお金も使って、分けあって、どんどん巡らせると、停滞がなくなって軽やかな展開になります。(あくまで私的に実験済み)

#お金 #循環 #法則

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