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やりたい事がわかった日。必死な努力の先に見えたもの⑵

やりたいと思っていた事が努力と勇気を要すると思っていた時
その努力をスタートさせる勇気が出なかった

今になってその考えは勘違いだったと気づいた。ことに驚いた。。。

やりたい事がわかった日。
必死な努力の先に見えたもの⑴の続き。

只今可愛い息子が高3の受験真っ只中
今ふと思う事がある。
私の選択を父は母はどんな気持ちで見てくれていたんだろう
あの頃の選択に口も挟まず学費のことも言わず
何も言わずにそっと見守ってくれていたと改めて思う今日この頃。

私は浪人を既に決めていた高3の秋。(なんて親不孝ものw)
勉強の仕方もわからず、いつも通り定期試験の一夜漬けをしていたあの頃。

あの頃受験勉強しながら定期テストまでこなそうとしていたら
私は卒業できたのだろうか。。。

そう思うと現役で合格していた大学時代の友達や
息子たちのことは心の底から尊敬する。

私は高校時代に体育の先生を目指していたわけで、そもそも勉強にさほど興味もなかった。

ということで

0から勉強する。

という考えで選んだのが数学と化学。
英語は外せないなら頑張りますかー。

なんてそんな安易な考えから勝手に理転。
文系クラスにいたので基礎的な理系教科を一つも勉強せずに
その英語・数学・化学で受験できる大学といえば
うちの家族は理工学部・薬学部しかいなかったので
自然に選択は薬学部。

文系の勉強さえ勉強していない私が薬学部を選ぶので
当然浪人からのスタート。

数学が得意なら経済とか受ければよかったじゃん。と息子に言われましたが
君の想像を超えるほど私は勉強をしていなかったんだね。。。w
地元の短大さえ合格する気がしないくらいでした。

(あ、ちなみに私2浪していますw)

ここも相当の諦めない努力により第一目標よりちょっと上が手に入ってしまったために
今まで苦しんできた要因がここにもありまして。

私の中では浪人からが勉強なので2年間だけは必死に勉強したという意識。
現役で合格しようとしている息子にしたら3年間も勉強したんかーい。
って最初の頃よく言ってたけれど
私と息子の会話が噛み合わないくらい
現役時代の受験の認識が驚くほど異なっていて
当時の私の努力や必死だった事は全く参考にならないw
息子には申し訳ないくらい受験を経験している母にも関わらず
現役生(息子)の苦労はわからない😅

学校にいきながら受験勉強するってどれくらい大変で
どれくらい友達と励まし合えて
どれくらい楽しいのか苦しいのか。

全くわからない。。。。残念すぎるくらいw

ということで予備校が始まった3月後半から全力疾走しか選択肢のない私は
一年目の12月を乗り越えられず。。。
東京に一人で出てきた私は何もかもを頑張らねばならなかった。
勉強も洗濯も掃除もご飯の準備も。。。息抜きの仕方もわからず。。
心の糸が切れてしまったのを今でも鮮明に覚えています。

ということを考えたら息子が勉強頑張るのであれば
サポートできるものはしてあげたいなーとも思ったり
母としても受験生時代にも自分が全く経験したことのない
現役生の本気の勉強を見守っています。

が、うちの子は天才なのか。
はたまた今どきの子なのか。

どうやら天才ではなさそうw
だとしたら予備校でがむしゃらに頑張った私としては
ガムシャラに勉強する。とかガリ勉とかって聞いたことある?

って質問してみたけれど俺の辞書にそんな言葉はないと言われ。。。

でもよくよく考えたら予備校でがむしゃらに勉強したら
息切れして挫折して私がいたわけだから同じことする必要もなく。

なので

そっか。続かないのか。
学校に通いながら息抜きしながら勉強を進める息子を
当時の私からしたらちょっと甘い?と思いつつも
がむしゃらすぎるのも考えものだと思い出した。

そう。私が今最近まで悩んできたのは
頑張りさえすればある程度のものは手に入ると思ってきたけれど
頑張らないと手に入らないことに手を出せなくなったってこと。

あんなに頑張らないと達成できないんだとしたら
あの勢いはもう続かないしできないかも。。。

息子の勉強のペースをみて
そんなに余裕があるならもう一段上の学校狙ってみないの?などと余計な提案をしてしまったりしたけれど
自分の挫折を思い出し、今現状を考えると
私の思考がどっか違うのでは?????をものすごく考えるタイミングがやってきました。

ずっと手に入れたい事がありました。

私もあんな人になりたい。
あっち側に行きたい。
もっと人の役に立てるように力をつけたい。

諦めきれすにずっと追い続けてきた事。
でも手に入れられそうになった時に
必ず目の前に現れる人や感情があって。

感謝の押し売りをする人

相手には全く悪意がないから嫌いになれないのにうんざりしている自分に
罪悪感が出てきてしまい
結局なんかざわざわするから嫌だ。
という結論でその人から離れる決意をしやっと自由になったと思ったら
また出現。

最初は基本的にはいいことをしようとしてくれている人だから
本当に複雑な気持ちになっていたけれど。。。

ある日気がついたのは

この感情は相手の問題ではない。

ということ。
だって相手は私に嫌がらせをしているわけではないし
悪口を言われているわけでもないし
良かれと思って色々やってくれるわけだし
私への何らかのメッセージなわけで
感謝の気持ちはあるものの感謝しなければならない相手になってしまって
本当に会うたびにざわざわ。。。

前に出現した人はオーナーだったり
今回の人はある仕組みのリーダーだったり

これまで私も何度となく気がつくと人の背中を押す側に回ってきたし
子どもにも私をさっさと超える大人になって欲しいと思ってる。

ただ、何かが私に足りなくて
何か役に立てる人になりたくて
私自身に力をつけたくてでもそれがなんの力なのか
どうそのあの人たちのように力をつければいいのか
私とは違うタイプだから違う力が備わればいいんだとか
本当に色々考えて行動して立ち止まってを繰り返してきた。

でもとうとうここにきて答えを見つけたよ。

そもそも

人の役に立つための力をつけたい

ってなんなんだっけ?

関わって心地のいいリーダーたち。
私たちの先を走ってくれててあんな風になりたいと思える人たちって
私たちに手取り足取り何かをしてくれてるの?


ー ありがたいね ー
ー 感謝だね ー
ー 助けてあげようよ ー

この言葉には違和感しかなかった

助けてあげる?
助けてほしいの?みんな?

って感謝の押し付けの人たちにはそう思っていたのに

私はみんなの役に立つ力をつけたい。
どこにいけばその力を学べるの?
何をしたら助けてあげられるの?

その手段が見つからずに自信を失いかけていた。

ってことに気がついて
私が違和感を感じていた事と
私が自信を失いかけていた事がやっと合致した瞬間があった。

今の私は何かお役に立てればという気持ちで仕事をしていた。
もともと皆さんの持っているものを生かせるようなカラダにするお手伝い。

子育てだった息子に力をつけさせると思っていた時期もあるけれど
結局本人の興味のある部分がどこなのかを一緒に探してみよう✨

をやってきたのに。

なぜ気づかなかった私。

でもやっと気がついたよ私。

ずっとその人の持ってるものを引き出すお手伝い。
幸せのお手伝い。
って思ってきたけれど
私ができることってお役に立ちたいと思っている人の力を信じること。

カラダのことも心のことも
悩んでるってことはその人の中に答えがあって
なかなか自分を客観視できない時ってあるから
質問くらい投げかけても良いかもだけど
基本的には解決することを私がしてあげるのではなく
解決できる力があることを信じてあげること。

最近よく言われるのが

私をみてると
『楽しそう』
『やってみようでやってみていいのか。』
『大好きがいっぱいあっていいなー』
などとにかく見てて楽しそうって言ってくださってる方が増えてきたし
多分これに関しては息子も私を見て思ってること。

勉強はアホだけど人間としては面白い。そして何より楽しそう。

私が得たいと思っていた力をつけたいと思っていた事と感謝の押し付けは同じことだった。違和感ありありだったから手に入らなかったし
それを手に入れようとすると
違和感のある努力になりそうで

心が全く動かなくて手に入りそうな気がしなかった。

それを手に入れようとしたら
結局感謝の押し付けになってしまっていたのかもと言うことに気が付いたら
出会った違和感の人たちは

私がなろうとしていた人は
なりたい人ではなかった。

嫌いじゃないけど嫌だったのは
私が手に入れられなくてモヤモヤしていたものだった。
どうしても手に入れられなくてモヤモヤしていたけれど
手にれようとしていたものは私の嫌だと思っていたものを手に入れようとしていたので、それを手に入れるには心に反する行動ためには
かなりのエネルギーと勇気が必要だと思ってしまっていた

ということに気がついた。

つまり方向性は似ていたけれど
望んでいるものがずれていた。
だから苦しかったし手に入れられなかった。

はっきりした。

私がほしいものは助けられる力なんかじゃなかったんだ
という事がものすごくよくわかったら
力が抜けた。

あースッキリした。

ありがとうございました✨

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