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ちぇるのべるVol.3「一大決心」

 朝晩の冷え込みが厳しくなってきた11月のある日、俺はある『決心』をした。その決心とは、長年曖昧にしてきた腐れ縁の女友達 木下美貴との関係性を一歩前進させることだった。

 彼女との出会いは小学生の時。共通の友人 加藤徹也との家族ぐるみでの外出の場に居合わせたのが、彼女とその家族だった。そこから、徹也を含めた三人で遊ぶことが多くなり、俺らは家族ぐるみで仲を深めていった。

 そんな俺ら二人の関係性が「親友」から微妙に変わったのは、中学二年生の時だった。
「山ちゃんに話があるんだ」
帰り道で話を切り出した彼女にいつものようなチャラついた表情は無く、ひどく動揺したのを今でもよく覚えている。
「な、なんだよ」
「実は、山ちゃんの事が好き、なんだ」
彼女の声は今までに聞いたことが無いほど弱々しかった。そんないつもと違う彼女を前にして、俺は何を言えば良いか分からなかった。
「――その返事、また今度で良い? 今は、まだ整理がつかねぇから」
「うん、大丈夫だよ。ごめんね」
いつもの勢いを失った彼女の表情は今までに見たことが無いほど寂し気で、まだ精神的に未熟だった俺の心を動揺させるには十分だった。
 数日後、俺は彼女に告白の返事をした。場所は、俺の家の前。学校帰りの別れ際に彼女の想いに対する答えをぶつけたのだ。
「この前の返事なんだけど――。俺、美貴の事を恋愛対象として見れないわ。ごめん」
「……そう、だよね。私こそごめんね、山ちゃんに負担をかけさせて」
彼女は今にも泣きそうだったが、俺の目の前で涙を流すことなく家へ帰っていった。

 その日以来、俺らは所謂〝友達以上恋人未満”の関係性を続けていた。彼女が俺への好意を打ち明けたのもあって、俺らは中学校を卒業した後も月に一度ほど会う関係性になっていた。彼女は変わらずに俺に好意を抱き続け、俺はそれをのらりくらりとかわす。そんな時間を何度も過ごした。
 「山ちゃん、好きだよ」
「はいはい。お前がもっと可愛ければOKしたけど、お前に言われても嬉しくないから」
「意地悪」
「おう、意地悪で結構」
いつも変わらない言葉を交わすことがどれだけ幸せなのかということを、この時はまだ知らなかったのだ。

 彼女への想いが変化していったのは、高校を卒業してからだった。高校を卒業すると彼女は大学へ進学し、俺は土方の仕事に就いた。彼女より少し早く社会人として歩みだした俺は、毎日のように疲労困憊で帰宅し、休みの日は一日中寝ているような生活を送っていた。一方で、大学生活を楽しんでいた彼女は、毎日を楽しく過ごしていたようで、たまに連絡を取れば明るい声色で近況を報告してきた。そんな彼女に当り散らすことも多くなったが、そんな時でも彼女は俺に構い続けた。
「お前は楽しそうで良いよな。俺はな――」
「ごめん、山ちゃんが辛いのに私は楽しい思いばっかりで……」
「もう電話してくるな!」
俺が一方的に電話を切った時も彼女が先に謝ってきた。そんな彼女にありがたさを感じ始め、それが次第に恋心へと変わっていった。
そして、彼女も社会人としての生活をスタートさせ、お互いに生活も安定してきた25の秋に俺は彼女への想いを告白しようと思い立ったのである。

 俺が一大決心をした週の水曜日、家でゆっくりしていた俺に美貴から電話がかかってきた。職場の同僚からの電話であれば無視をするところだが、彼女からの電話となると出ないわけにはいかない。
「もしもし?」
「もしもし、私だけど」
「おう、美貴か」
着信があった時から電話の主は分かっていたが、緊張のあまり頓珍漢な事を口にしてしまった。しかし、彼女は気が付いていないようで他愛もない話を始めた。彼女とルームシェアをしている友人たちの話や職場での事など様々な事を喋って満足した彼女は、「そういえば」と前置きをしてから本題に入った。
「今度の土曜日、駅のショッピングモール行かない?」
「MUSHの二人と行けば良いじゃん」
MUSHとは、彼女がマネージャーを務めるお笑いコンビである。MUSHの二人は俺たちの中学時代の同級生でもあるので、三人で出かけることも多いらしい。
「今回は山ちゃんと行きたいの。空いてない?」
「そ、そうか。土曜日は俺も休みだし、久しぶりに行くか」
「やった! じゃあ、土曜日の10時に駅で待ち合わせね!」
「分かった」
彼女の直球な言葉に一瞬だけ怯んでしまったが、鈍感な彼女には気づかれていなかったようだ。彼女の明るい声色に押されるまま、二人で会う約束が決まった。――あとは実行に移すのみ。

 土曜日、ついにこの日がやってきた。前日は緊張してなかなか寝付けなかったが、目覚めは悪くなかった。今日の為にしっかりとアイロンがけをしたYシャツに袖を通す。もう10年以上も遊んできた奴の為に着飾っている己に自嘲する姿が鏡に映し出された。
「いけねぇ、もうこんな時間!」
どうやら身なりを整えるのに時間をかけすぎたようだ。これでは待ち合わせ時間に間に合うかどうかも怪しい。俺は急いで家を出た。
 午前10時10分、待ち合わせ時間には少し遅れてしまったが何とか駅に着いた。辺りを見回すとすぐに彼女の姿を見つけることが出来た。こういう時に背の高い相手は便利だ。急いで彼女の元へ向かうと、彼女も俺に気づいたようで笑顔を見せた。
「お待たせ、遅くなった」
「ううん、大丈夫だよ。そんなに待ってないし。――それより、山ちゃんかっこいいね」
「そうか? ありがとう」
彼女の褒め言葉に俺は思わず赤面してしまった。しかし、彼女に褒めてもらえたので服装にこだわってきた甲斐があった気がする。そして俺の目の前に立つ彼女もお洒落をしてきたようでいつもと服装が違う。
「美貴も、いつもと違ってお洒落じゃん。俺と会うだけなのに何で急にめかしこんできてんの」
あぁ、何の気なしに盛大なブーメランを投げてしまった……。アイロンまでかけて意気込んで着飾ってきているのは俺の方なのに……。しかし、彼女は俺の心の嘆きを気にしないかのように照れた表情を浮かべた。
「べ、別に良いじゃん。久しぶりに山ちゃんに会えるのが楽しみでテンションが上がっちゃっただけだし」
「そんな発言しても可愛くないから」
「知ってますー」
久しぶりに会ったからだろうか、口を尖らせる彼女の姿がたまらなく愛おしく感じる。長年、この安定感をないがしろにしていたのかもしれない。そんなことを考えていると、彼女が口を開いた。
「ねぇ、そろそろ行こうよ」
「そうだな。ぼーっとしてたわ」
彼女の言葉で我に返った俺は、ショッピングモールへと歩みを進めた。

 ショッピングモールでは洋服店を見たり、雑貨屋に入ったりと「ザ・若者」といえるような行動をしていた。昔から二人で何気なくショッピングモールを歩くことはあったから、特別気まずい空気が流れることもない。
「このマグカップ、買っちゃおうかなぁ」
「それよりこっちの方が良くない?」
和気あいあいと買い物を続け、モール内を一周する頃には二人とも両手に買い物袋を持っていた。
「いっぱい買ったね」
「そうだな」
「持って帰るの大変かもね……」
「美貴が車を持ってれば楽だったのにな」
「何で私!? 山ちゃんが運転するのが妥当でしょ」
いつもの小競り合いをしているうちに時間が過ぎ去っていたようで時計は既に5時を指していた。彼女はそろそろ家に帰らなければいけないらしい。――ということは、覚悟を決めなければならないのだろう。会話が途切れたのをきっかけに、俺は話を切り出した。
「そうだ、美貴に話があるんだ」
俺の言葉に、彼女は驚いた表情を浮かべながら俺を見つめていた。まあ、いきなり「話がある」なんて言われたら驚くか。それにしても、ずっと見つめられると少しだけ恥ずかしい。
「何で俺の事ずっと見てるんだよ」
「ごめん、いきなりでびっくりしちゃって……」
「でも、今からもっと驚くこと言うから。心の準備は良い?」
俺の言葉に、彼女が頷く。いよいよ、この時が来た。――数年間はぐらかしてきた想いを彼女にぶつける日が。
「美貴、お前が好きだ。お前のことを1度は振った俺だけど、良かったら俺と付き合ってくれ」
……言えた。いや、言ってしまった。あまりの恥ずかしさに彼女の顔を直視できない。しかし、彼女は俺の予想を大きく上回る反応を見せてくれた。
「何だ、先に言われちゃった」
「えっ?」
――今、何て? そこまで言おうとしたが、彼女の方が先に口を開いた。
「私も、山ちゃんの事が未だに大好きです。なのでこちらこそ、よろしくお願いします」
「お、おう!」
 ――どうやら、俺たちは付き合いが長すぎて思考がシンクロするようになっていたらしい。告白を思い立つタイミングも、勝負服を着てめかしこんできてしまうところも、そして想いを告白する時に緊張しすぎて言葉にする前から赤面してしまうところも。全てが同じだ。数年前の俺なら気恥ずかしくて受け入れなかった事実だが、俺らは所謂『お似合いカップル』のようだ。
「なぁ、美貴」
「何?」
「これからも、今まで通り小競り合いもしながら時々はカップルっぽい事もしような」
「当たり前じゃん! 今更、バカップルにはなれないからね」
彼女の言葉に頬が緩む。やっぱり、俺らは以心伝心の仲のようだ。

 その日の帰り道、俺らは10年以上一緒にいて初めて手をつないで帰路についた。俺が手を差し出すと、彼女は照れくさそうに微笑んでから俺の手を握ってくれた。25歳にもなって、こんな些細な事で幸せな気分になれるとは思ってもみなかった。
「山ちゃん、幸せだね」
「そうだな。まあ、こんな雰囲気は俺らには似合わないんだろうけど」
俺が茶化すと彼女は「もう」と言って頬を膨らませた。夕陽に照らされた彼女の表情は、今までで一番幸せそうに輝いていた。

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