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約束のアステリズム歌詞解釈と三月と群青との関係

みなさんこんにちは。かずです。今までブログを書いたことがなく、この記事が初投稿となるので読みづらい点などあると思いますがご容赦ください。まずこの記事を読む前に、チャモさんという方が三月と群青についての素晴らしい記事を書かれているのでそちらを先に読むことを推奨します。


本記事で書かれている内容が正しいとは限らないので、こういう解釈もあるんだなあというくらいのスタンスで読んでいただければ幸いです。また、約束のアステリズムについての違う解釈や気づいた点、この記事への感想などあれば引用RT、リプなどしていただければと思います。

1.はじめに

約束のアステリズムは水瀬いのりの3rdアルバム『Catch the Rainbow!』の6曲目に収録されている楽曲で、作詞作曲編曲全て藤永龍太郎さんです。2019年3月24日放送の『水瀬いのりMELODY FLAG』129旗で初解禁されました。また、三月と群青は2ndアルバム『BULE COMPASS』の10曲目に収録されている楽曲で、同じく作詞作曲編曲全て藤永龍太郎さんです。
この2曲は切ない青春を歌っている曲ということで町民の中でも人気が高い曲ではないでしょうか。

さて、『Catch the Rainbow!』の発売日である2019年4月10日に藤永龍太郎さんが上記のtweetをしています。この記事では藤永龍太郎さんが込めた「色々」に少しでも迫れるように考察していきます。

2.登場人物

登場人物は”僕”と”君”の二人です。一応神様も歌詞に出てきますが登場人物の中に入れなくて良いでしょう。
そしてこの二人の関係ですが、なかなか会うことができない描写や、七夕伝説を想像させる描写から遠距離恋愛中であると推測できます。七夕伝説の織姫と彦星は夫婦ですが、歌詞を見ると”僕”と”君”の関係は夫婦まで行っていないと思います。(夫婦であれば「いつかまたここで逢えるように」よりも確度の高い表現を使うと思うので)

3.タイトルについて

アステリズムをwikipediaで調べると以下の定義が出てきます。

アステリズム (asterism) 、あるいは星群(せいぐん)[1]とは、天球上で複数の恒星を連ねて象った天文集合体およびその口語定義である。

アステリズム  Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%B9%E3%83%86%E3%83%AA%E3%82%BA%E3%83%A0

簡単に言うといくつかの星の集まりということですね。約束のアステリズムでのアステリズムとは織姫と彦星、つまりベガとアルタイルです。そして、約束とはまた逢おうという二人の約束なので、まとめると”君”と”僕”をベガとアルタイルに例えてまた逢おうと約束するということになります。まさに七夕ですね!

4.歌詞解釈

では歌詞解釈をしていきましょう。

一人 寝れない夜 空をふと見上げたくなる
君は今 どんな夢を見てるの

”僕”はなかなか寝つくことができず、”君”のことに想いを馳せています。遠距離恋愛中なので隣に”君”はいません。なぜ空を見上げたくなるのかについてはちゃんと理由があるので後述します。

”君”が今どんな夢を見ているのかは気になるところですが、分からないというのが正解のような気がします。約束のアステリズムはあくまで”僕”視点の歌詞しかないので”君”が見ている夢の内容を推し量るのは流石に難しいかなと思います。もし考察をして分かった方がいたら教えていただきたいです。

雨の乾いた匂い 夏の始まる音がした
同じ朝焼けはもう見れないんだね

雨が乾く、夏が始まるといえば梅雨明けを連想します。しかし、梅雨明けの時期は7月中旬~下旬で7月7日の七夕とは少し時期がずれてしまいます。この七夕との時期のずれはなんでしょうか?そしてもう一つ、同じ朝焼けとは何でしょうか?答えは次にあります。

楽しいのはいつも一瞬だった 神様が少しだけ許した時間
嬉しいこと 悲しいことも全部 君に話せたならよかったな

ここから回想に入り、”僕”が”君”と七夕の日に逢ったことを思い出しています。そうです、七夕と梅雨明けの時期のずれは”僕”が梅雨明けの時期に”君”と逢っていた七夕のことを回想していたため生まれたものです。「同じ朝焼け」も同じく、七夕の日(正確には七夕の次の日の朝だと思われる)に”君”と別れた場面のことを指しており、冒頭で”僕”が空を見上げたくなったのも七夕の日に”君”と二人で星空を見ていたことを思い出したからです。(二人で星空を見ていたことについては後ほど)

6/30 追記
朝焼けは天気が崩れることの観天望気です。七夕の時期は梅雨真っ只中なので天気が崩れることは何の不思議もありません。(今年2022年はちょっと異常ですが…)これは”僕”と”君”が逢う七夕の夜が貴重な梅雨の晴れ間であったことを示唆しており、まさに「神様が少しだけ許した時間」という印象を与えます。


そして、神様が少しだけ許した時間という言葉から連想されるのは一年に一日、七夕の日だけ神様に会うことが許される七夕伝説の織姫と彦星です。”君”と”僕”が1年に1回七夕しか逢っていないのか、あるいはもっと高い頻度で逢っているのかは定かではありませんが好きなときに好きなだけ逢えるわけではないのは確かです。当然ですが、逢うことが許された短い時間では君に話したいことが全て話せるわけではありません。

だからまたね ここで逢えるように 
見えなくなって 何も聞こえなくなっても
君まで届くようにね

君まで届くように何を伝えたのかというと「またね」という言葉です。他にもお別れの言葉はたくさんありますが、「またね」を使うことで君とまた逢いたいという気持ちが表現されていますね。

暗い海の上を 横切る飛行機雲が一つ
たぶん、もうすぐ消えてしまうだろう
君は無邪気なままの いつも一等の光で
笑う癖も何にも変わらないね

この記事を執筆するにあたって飛行機雲について調べたところ、飛行機雲がすぐ消えるというのは上空が乾燥していて晴天が続くことのサインだそうです。ということで星を見る絶好の機会ということになります。
空を見上げている”僕”と”君”の二人には織姫であるベガ、彦星であるアルタイルも見ることができているのでしょう。そこで”君”を織姫であり、遙か昔から変わらずに輝き続けている一等星のベガに例えて一等の光で笑う癖も何にも変わらないと表現します。
また、この部分が”君”がどんな人であるかを描写している唯一の箇所です。

解けない魔法が解けていく いっそ夢だったならよかったのにな
気が付けば大人になった僕らの 全てが思い出に変わっていく
ホントはもっとちゃんと君に 話したい言葉があるんだ
だけど、ええとやっぱり うん、なんでもないや
だから続きは また逢うその時まで

後述します。

だからまたね 君に叫ぶよ
だからまたね 二人の約束ね
見えなくなって
何も聞こえなくなっても
君まで届くように
あと少しで
君と離れてしまうけど
いつかまたここで逢えるように
きっと

1番サビと同じくまた君に逢えるように「またね」と叫びますが、1番の歌詞(回想以降)と比べて2番以降の歌詞はより具体的になっているのでラスサビも同じく具体的になりました。

5.三月と群青との関係


結論から先に言うと、約束のアステリズムは三月と群青の後日談です。いのりちゃんや作詞作曲者の藤永龍太郎さんが明言していない以上仮説でしかありませんが、そう捉えることで約束のアステリズムの歌詞解釈がうまく出来、特に矛盾点が見つからないことからそう結論づけました。
約束のアステリズムを三月と群青の後日談だとする仮説には三月と群青での告白が成功しているという大前提が必要になります。その三月と群青の告白の結果ですが、チャモさんの記事を読めば成功したと分かります。
ということで前提条件はクリアしています。

・"誤魔化すように ありふれた言葉 とめどなく紡ぐ僕は"=延々と自分に嘘を付き続ける僕は
・”3分後の僕たちに手をふる" =「両思いになった"僕"と"君"に別れを告げる」
⇒延々と自分に嘘を付き続ける僕は、両思いになった"僕"と"君"に別れを告げる
⇒自分の気持ちと向き合う決心がついた僕は、"君"と両思いになる未来にたどり着ける

水瀬いのり『三月と群青』歌詞解釈、『HELLO HORIZON』ツアーのセトリにおける位置付けについて  チャモ
https://note.com/tapestry0121/n/n60b6c5a6c4b7#6c350f72-5339-484f-aea3-4ad29fad4182

5-1. 歌詞の比較

先ほど後回しにしていた部分の歌詞解釈に戻りましょう。

解けない魔法が解けていく いっそ夢だったならよかったのにな

解けない魔法が解けていくというのは神様に許された”君”との逢瀬がもう終わりに近づいているということでよいでしょう。そして次です。「いっそ夢だったならよかったのにな」これは君と過ごした短くも楽しい時間が終わってしまうことからが嫌という気持ちから出た言葉ではないでしょうか。
つまり「夢だったら良かったのに」という言葉を、「終わらない夢だったら良かったのに」、夢は夜寝ている間に見るものですから、「終わらない夢」=「明けない夜」と解釈します。(少々強引かもしれませんが)ここで一旦三月と群青の1番Aメロの歌詞を見てみましょう。

永遠なんてないんだって
空に溶けてく群青
明けない夜なら良かったのに

するとどうでしょうか、三月と群青と約束のアステリズムとで同じことを言っていませんか?しかしこの2曲での中での意味合いは正反対です。前者では君との関係が変わってしまうのが怖いという後ろ向きな意味合いですが、後者では”君”ともっと一緒にいたいという前向きな意味合いです。さらに続きを見てみましょう。

気が付けば大人になった僕らの 全てが思い出に変わっていく

これに似たような歌詞が三月と群青にありませんか?
1番サビと2番サビにありますよね!

僕らきっとさ すれ違ってまた
大人になってゆく
さよなら
今日の日が 思い出になるから
大切にただ 胸に閉まっておこう

僕らきっとさ こうやってまた
大人になってゆく
さよなら
今日の日が 思い出になるように
大切にただ 胸に閉まっておこう

並べてみるとわかりやすいですが、明らかに約束のアステリズムの2番Bメロは三月と群青を意識して作られています。これで約束のアステリズムは三月と群青の後日談であると納得していただけるのではないでしょうか。

ホントはもっとちゃんと君に 話したい言葉があるんだ
だけど、ええとやっぱり うん、なんでもないや
だから続きは また逢うその時まで

これも、三月と群青の告白の場面を想像させます。

あの時もしもなんてさ
思いたくはないから
大事なこと 君に伝えたい
「ずっと前から君が好きでした」

三月と群青では君に告白し想いを伝えられた僕でしたが、約束のアステリズムでは君に想いを伝えることをせず、言葉を胸に閉まってしまいます。それに加え、その前の部分でも、明けない夜を願ったり、思い出になることを許容したりする描写が見られます。
その事実だけを列挙するとチャモさんの記事で言及されていた自分の気持ちに嘘をつく”だけど”以前の”僕”のようにもみえます。

"だけど"以前の僕は、自分の気持ちを伝えず、なかったことにしようとします。自分自身に嘘をついていると言ってもよいかもしれません。

水瀬いのり『三月と群青』歌詞解釈、『HELLO HORIZON』ツアーのセトリにおける位置付けについて  チャモ
https://note.com/tapestry0121/n/n60b6c5a6c4b7#6c350f72-5339-484f-aea3-4ad29fad4182


しかし、実際はそうではありません。なぜなら三月と群青の時の”僕”と約束のアステリズムの”僕”とでは決定的な違いがあるからです。それは君との関係が友達から恋人になったということで、「離れたらもう届かない」”君”との関係ではなくなったのです。つまり、思い出になることは悪いことではなくなり、今言葉を伝えなくても次があるので「あの時もしも」と後悔する可能性がほぼ消えたのです。
三月と群青の”だけど”以降の”僕”が”思い出”となっていくのを嫌ったのは「あの時もしも」と後悔したくないからで、すでに恋人同士という関係になった約束のアステリズムでは”君”と過ごした時間が”思い出”になってしまったとしても後悔することなどないので悪いことではありません。


約束のアステリズムの”僕”を三月と群青の”だけど”以前の”僕”に重ねながらもそれが決してネガティブなものにならないという歌詞を書いた藤永龍太郎さんは本当に天才ですね。そうすることで三月と群青での”僕”の告白がより一層特別なものとして際立って見えます。

ところで”君”に話したい言葉というのはなんでしょうか
”ちゃんと”という歌詞から軽いものではないことが窺えます。

ホントはもっとちゃんと君に 話したい言葉があるんだ

大事なこと 君に伝えたい

この二つの歌詞、似ていませんか?「ちゃんと」を「大事なこと」という意味でとれば同じようなことを言ってますよね。三月と群青ではその後”僕”は”君”に告白しました。では約束のアステリズムではどうでしょうか。二人は大人になり、関係は友達から恋人に変化しました。そう考えると、話したい言葉というのは一つに絞られるのではないでしょうか。

ではなぜ、”僕”はその「話したい言葉」を”君”に話さなかったのでしょう。
答えは三月と群青にあります。三月と群青で”僕”が”君”に告白すると覚悟を決めるまでに長い時間をかけて自分の気持ちと向き合っていました。そんな”僕”があれから数年が経ち大人になったからといって、いきなり”君”にプロポーズできるでしょうか?
その答えはNOでした。人の性格とは時が経ったってなかなか変わらないものです。やはり今の”僕”にも自分の気持ちと向き合う時間が必要なようです。
そしてここでも、「だけど、ええとやっぱり うん、なんでもないや」と「うん」という言葉を入れることで無理矢理自分を納得させているかのような描写になり三月と群青の”だけど”以前の”僕”を想起させます。しかし、「だから続きは また逢うその時まで」と次があることを示唆しているためネガティブな印象を持たせません。


「だから続きは また逢うその時まで」ということで約束のアステリズムが収録された水瀬いのり3rdアルバム『Catch the Rainbow!』発売から3年 、水瀬いのり4thアルバム『glow』で「続き」を聞きたいですね!

5-2. 逢うと会うについて

三月と群青では”逢う”と”会う”が一回ずつ、約束のアステリズムでは全て”逢う”という漢字が使われています。”逢う”と”会う”がどう違うのかというと、前者は恋人など親しい人と出会ったり運命的な出会いをした場合に用いられ、後者は単に人と人が出会う場合に用いられます。(逢うは常用漢字ではないので新聞や公的な場では逢うは使われずに、会うが使われる)三月と群青で”逢う”と”会う”が用いられているのはCメロです。

君に逢えて
本当に良かった
またどこかで会える日まで
またねって言って
ちゃんと笑えるよ

”君”と知り合ったことは運命的なので最初は”逢う”が使われていますが、”君”との関係は友達なので単に顔を合わせることを意味する2個目は”会う”が使われています。
約束のアステリズムでは”君”との関係が恋人へと変化したので単に顔を合わせるという意味でも”逢う”という漢字が使われるようになりました。こういうところからも関係性の変化が読み取れます。

5-3. 三月と群青は”僕”の物語で約束のアステリズムは”君”の物語

実は約束のアステリズムでは一人称がほとんど出てきません。唯一一人称が出てくるのは2番の「気が付けば大人になった僕らの 全てが思い出に変わっていく」の”僕ら”だけです。なので”僕”という一人称単数は出てきません(!)
その一方、三月と群青では”僕”という一人称は2回、”僕ら”、”僕たち”は合わせて4回出てきます。
一人称が少なくなった代わりに約束のアステリズムで増えたのが”君”という二人称です。三月と群青では”君”が5回登場しますが約束のアステリズムでは7回も登場します。


ところで、小見出しに三月と群青は”僕”の物語と書きましたが正確には間違っています。正確に小見出しを書くと、三月と群青の”だけど”以前は”僕”の物語で三月と群青の”だけど”以降と約束のアステリズムは”君”の物語です。
どういうことかというと、三月と群青で一人称が出てくるのは全て”だけど”以前なのです。さらに”君”という二人称に注目してみても”だけど”以前は2回”、”だけど”以降は3回です。”だけど”以前の方が歌詞が長いことを考えると”君”という二人称が増えていることが分かります。


ここから、”だけど”以前の”僕”の視点は主に自分自身に向いているのに対し、”だけど”以降の僕、そして約束のアステリズムの”僕”の視点は主に”君”を向いていると分かります。”だけど”までの間に”僕”は自分の気持ちを整理することができ、それ以降は”君”に目を向けることに成功しました。


6.あとがき

この記事を書き始めたときはちゃんとした記事を書けるのか不安でしたが、いざ書き始めると新たな発見が生まれたり考察が深まったりして面白かったです。
この記事を書いていて思ったのが藤永龍太郎さんすごすぎる!ということですね。チャモさんの記事を読んでいる時からそう思っていましたが自分で記事を書いているとより一層そう感じました。作詞作曲編曲が藤永龍太郎さんの水瀬いのり楽曲はこの記事で書いた2曲の他に星屑のコントレイルとまっすぐに、トウメイに。があります。
まっすぐに、トウメイに。は流石に関係ないと思うのですが、星屑のコントレイルは約束のアステリズムの歌詞に飛行機雲が出てきたり、三月と群青の歌詞に星屑が出てきたりで、この2曲との繋がりを感じさせるので考察が思いついた人は僕と同じように記事を書いてください(笑)
駄文だったと思いますがここまでお付き合いしていただきありがとうございました!


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