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水瀬いのり「八月のスーベニア」の歌詞解釈

みなさんこんにちは、かずです。今回は水瀬いのり4thアルバム「glow」に収録されている八月のスーベニアについて考察していきます。本記事に書かれている考察が合っているという保証はないのでご容赦ください。

1.はじめに

本記事は私が以前書いた「約束のアステリズムの歌詞解釈と三月と群青との関係」という記事を読んでいることを前提として書くのでまだ読んでない方がいれば是非読んでいただけると嬉しいです。

さて、八月のスーベニアは水瀬いのりの4thアルバム「glow」の8曲目に収録されています。「八月」なので8曲目です。(水瀬いのりMELODY FLAG303旗で言及)作詞作曲編曲は全て藤永龍太郎さんです。作詞作曲編曲藤永隆太郎さんの曲は他に星屑のコントレイル三月と群青約束のアステリズムまっすぐに、トウメイに。の4曲がありますがこのうち三月と群青約束のアステリズムが八月のスーベニアと関わりがあるとして本記事を執筆していきます。(星屑のコントレイルも関わりがあるかもしれないと私は考えていますが本記事では触れません。気が向いたら別記事で書きます。)

2.前提条件

前提条件として八月のスーベニアは三月と群青、そして約束のアステリズムの続編です。登場人物は””と””の二人です。三月と群青で”僕”は”君”に告白してそれは成功、約束のアステリズムでは遠距離恋愛をしている二人の様子が描かれています。そして八月のスーベニアですが、”君”が死んだ後の物語であると仮定してこの記事を書いていきます。

3.歌詞解釈

八月のスーベニアの歌詞解釈をするにあたって重要になってくるのが時系列の取り方です。何回も過去と現在を行き来するので時系列の取り方が難しいですが時系列をどう取るかによって歌詞の解釈が大きく異なってきます。私の解釈では以下の画像のようになります。黄色が現在、水色が過去です。

矛盾や繋がりが悪い場所をできるだけなくそうと努力した結果このような分け方になりました。では具体的に歌詞の考察をしていきます。

甘酸っぱいソーダが喉に残る
今年は花火が上がるらしい
少し褪せた写真 君に手を引かれて
雲を霞んだ残像

ここは現在の”僕”です。今の”僕”に昔”君”と一緒にソーダを飲み、花火を見たことを重ねていると思われますが八月のスーベニアではそのような出来事は描写されていません。写真が少し褪せていることからそんな”君”との思い出から少し時間が経っていることが分かります。

8/12追記
”君”と海に行ったことについては後述しますが、過去に”君”と一緒に行った海に現在の”僕”が再び訪れているシーンだと思われ、甘酸っぱいソーダが喉に残る、花火が上がるという描写から夏祭りが行われている事が分かります。
今年”は”花火が上がるらしい」ということから夏祭りが行われるのは今年が初めてで、それをきっかけに”僕”が”君”が写った写真を持ってこの海に来たと推測できます。写真と同じ風景の海を見ながら”君”のことに想いを馳せますが現在の”僕”に見えるのは残像だけです。

誰もいないバスに乗り込んで
行先も決めずに走り出した

ああ
あの夏が過ぎ去って
今はもうどれくらいだろう
きっと君は大人になっただろう
「海を見に行こうよ」
君は無邪気に笑った
よく晴れて空が綺麗だった

誰もいないバスに”君”と二人で行き先を決めずに乗ります。バスに乗っていると”君”は「海を見に行こうよ」と提案します。
ここで”君”は無邪気に笑いますが、この「無邪気に笑う」というのは三月と群青、約束のアステリズムで”君”について描写している唯一の特徴となります。約束のアステリズムで「無邪気に笑う癖」は何にも変わらないと描写されていますが八月のスーベニアでもそんな”君”の「無邪気に笑う癖」は変わっていません。

君は無邪気なままの いつも一等の光で
笑う癖も何にも変わらないね

そして、「あの夏が過ぎ去って今はもうどれくらいだろう」とあることから褪せた写真と合わせて考えてみてもやはり長い時間が経っていることが分かります。

次の「きっと君は大人になっただろう」ですが、これほどの時間が経っていたらそんなことを考えなくても”君”が大人になっているのは明らかです。
では、なぜ「きっと君は大人になっただろう」とわざわざ”僕”は考えているのでしょうか。
それは”君”がもう亡くなってしまったからで、あの世で”君”は大人になっただろう、もしくは今も生きていたら”君”は大人になっただろうと考えているのです。

道はどうやらここまでみたいだ
この先は歩いていかなくちゃ
交わした言葉でジニアが揺れている
また来年もここに来よう

海を見に行こうとしている二人ですが道が途中で終わっているためバスを降り、歩いて海に向かおうとしています。ジニアの花言葉は「不在の友を想う」ですが、これは”君”が亡くなったことを暗喩しているのではなく遠距離恋愛であるということを暗喩しています。ジニアが出てくる時点では”君”が生きているので不在=死とは取りにくいのかなと思い、遠距離恋愛だと解釈します。
約束のアステリズムでは遠距離恋愛をしていた二人ですが、八月のスーベニアでもまだ遠距離恋愛をしているのかは描写されていないので不明です。しかし遠距離恋愛をしていると仮定します。

8/12追記
ジニアの花言葉はもう一つあり、「注意を怠るな」です。これは過去の”僕”に向けられたものです。後述しますが、おそらく”君”と”僕”が逢うのはこの日が最後です。なので”君”の死因は述べられていませんが癌などの長い間闘病する病気ではなく、事故や心臓発作などの突然死なはずです。”君”はまだ若いのでおそらく事故でしょう。君が亡くなったときに”僕”と一緒にいたのかどうかは分からないですが”僕”が注意していれば”君”は死なずに済んだ可能性があるので”僕”へ向けた花言葉と見ることができます。

見上げたら雲一つないから
なんだか急にさ 泣きたくなった

ああ
あの夏が過ぎ去って
今はもうどれくらいだろう
きっと君は綺麗になっただろう
「絶対、約束だ」
僕はそう笑って言った
透き通る青みたいに言った

「見上げたら雲一つないからなんだか急にさ 泣きたくなった」これは過去か現在か判断しにくいところですが1番のBメロでも過去と現在が入れ替わっているので同じく2番でも入れ替わると考察したこと、現在と判断した方が繋がりが良いと考えた事から現在と判断しました。
なぜ現在と判断した方が繋がりが良いかというと、”僕”が泣きたくなった理由を説明しやすいからです。現在と判断すれば”僕”が泣きたくなったのはよく晴れた日の”君”との思い出を雲一つない空を見て思い出したからと解釈できます。

そして、2番サビももし今も”君”が生きていたらきっと綺麗になっただろうあの世の”君”はきっと綺麗だろうと1番サビと同じように解釈することができます。

”僕”が「絶対、約束だ」と言ったのは”君”の「海を見に行こうよ」という言葉に対してではなく、「また来年もここに来よう」という言葉に対してです。

「ずっと忘れないでね」
イマが永遠(とわ)になるように
ワンシーンを切り取った
これから長い長い夏に君を
置いていくんだ
置いていくんだ

「ずっと忘れないでね」はおそらく”君”の言葉で、何に対して言ったのかというと今”僕”と過ごしている楽しい時間のことでしょう。そこで”僕”はずっと忘れないようにイマが永遠(とわ)になるようにワンシーンを切り取る=写真を撮ります。この写真が冒頭に出てきた現在の”僕”が見ている少し褪せた写真なのです。

しかし、この日が”僕”と”君”が会う最後の日になってしまったのでしょう、現在の”僕”は「これから長い長い夏に君を置いていくんだ」と表現します。”僕”の時間はこの日で止まってしまいました。

あの夏を見送って
今はもうどれくらいだろう
ずっと僕は大人になったよ
「また海に行きたいな」
君はそう笑って言った
よく晴れて空が綺麗だった
泣きたいくらい空が綺麗だった

約束のアステリズムでも「気がつけば大人になった僕ら」という歌詞がありましたが、それからさらに時間が経過して「ずっと僕は大人」になりました。

海で”僕”との楽しい時間を過ごした”君”は「また海に行きたいな」と言いますが、この願いは叶うことはありませんでした…

ずっと忘れないよ
ずっと忘れないよ
ずっと忘れないよ
いつか君に会う日まで

「ずっと忘れないでね」という約束を”君”と交わした”僕”ですが、”君”と過ごした最後の日など忘れることができるわけがありません。いつか”君”に会う日まで=死ぬまでずっと”僕”はあの日のことを覚えているのでしょう。

約束のアステリズムでは「会う」ではなく「逢う」という漢字が使われていました。しかし八月のスーベニアでは「会う」が使われているため、”君”との関係が変化した、つまり”君”は亡くなってしまったということがここからも読み取れます。

4.疑問点

ここまで考察してきましたが、疑問点があります。それは冒頭の「今年は花火が上がるらしい」という部分です。わざわざこのように言及するということは”君”と花火を見た思い出があるのではないかと考えるのが自然ですが、そのような描写は八月のスーベニアにはありません。ラスサビの「泣きたいくらい空が綺麗だった」を花火が上がっている空が綺麗だったと解釈することもできなくはないですが少し強引な気がします。

8/12追記
たくみさん@takumi_hilux から頂いたリプを元に歌詞解釈の章に考察を追記しました。

そしてもう一つ、2番サビの「透き通る青みたいに言った」です。青といえば三月と群青を思い浮かべますがここで三月と群青との繋がりはあまりないように思えます。他に透き通る青を連想させるものといえば海や、甘酸っぱいソーダですがどれもしっくりきません。


この二つについて何か思いついた人は私に伝えてくださると嬉しいです。

8/9追記
たくみさん@takumi_hilux から「透き通る青みたいに言った」は「雲一つない空のように何の曇りもない声、気持ちで言った」という解釈をリプでいただいたので追記しておきます。私もこれでほぼ正解だと思っています。

5.あとがき

約束のアステリズムの考察記事を書いてから続編を楽しみに待っていましたがこのような結末になると悲しいですね。私の考察があっていればですが、”君”が亡くなってしまった以上続編を作るのは難しそうなのでこれで藤永龍太郎さんのこのシリーズは完結なのでしょうか。ともあれ、このような素晴らしい楽曲たちを作ってくださった藤永龍太郎さんには感謝しかありません。本当にありがとうございます!そしてここまで駄文に付き合ってくださった方もありがとうございました!


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