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野口英世は立志伝中の人として評価すべき

毀誉褒貶激しい医師、医学者としては、シュヴァイツァーが世界的に有名なのだが、日本人では野口英世である。

野口英世は、立身出世型のヒーローである。
野口は、国内でも国外でも、その出自からは全く考えられないくらいの出世をしている。

略歴

猪苗代湖畔の貧しい農家に生まれる。母子家庭であり、熱傷により、左腕不能のハンディキャップを幼少時に負う。
自分自身の努力と能力で、これらの三重苦を乗り越え、普通の人では5年くらいかかる医師国家試験(当時は医学校卒でなくても受験できた)に2年で合格し、北里研究所の研究員となる。渡米して、ロックフェラー研究所の研究員となり、細菌学で業績を上げ、ロックフェラー財団の終身研究員になる。米国籍の白人女性と結婚する。

国内学歴社会での上昇、海外アカデミアでの栄光、人種差別の克服
立志伝中の人なのだ。
明治政府が、時代が、野口英世のような人物を欲していたのだ。

私は小学生のころに野口英世の伝記を読んだ。

野口の伝記には、産婆をやってたお母さんとか、「テンボー克服」とか、同級生や周辺住民から援助を受けたとか、住み込み書生とか、フレキスナーの下では、生命の危険を犯して毒蛇から毒をとって血清研究したとか、寝る暇もなく標本を作って顕微鏡を覗く生活とか、子供が読んでおもしろいトピックが多い。

私の中学校の修学旅行は会津若松であり、野口の生家を見た。その中には、野口が幼児のとき、手を突っ込んで熱傷を負った囲炉裏まで再現されていた。野口は会津若松の英雄なのだ。

現代人が野口に学ぶなら、出世の秘訣は、英語能力だったと思う。

野口は語学の天才である。
ろくな教材もなかった時代に、日本国内での勉強だけで、同時通訳ができるレベルまで英語ができた。だから、勤務先の北里研究所を訪れた医学者フレクスナーの知遇を得て、おしかけ渡米をすることができたのだ。
野口が、試験勉強が得意なだけの秀才だったら、北里研究所で、実験動物の世話をするテクニシャンで終わっていたのだ。

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