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「嫉妬」する自分から全力で逃げ出したい

いままでずっと、自分の気持ちを文章にして発信することを避けてきた。

チキンだからだ。

他人にとって、読む価値のある文章を書ける自信がまったくない。

僕は、飲み会の席で話題を振られると返答もそこそこにすぐに他の人に流してしまうタイプだ(メンツや人数にもよるけれど)。自分のつまらない話で他の人の時間を奪ってしまうのがとても怖い。

そう言うと他人思いの人かのように聞こえるかもしれないが、ようはいちいち時間に優劣をつけて「いや、自分の話なんてとてもとても……」とイジけているわけだ。

おいおいおまえ、30にもなってそういうのはちょっとカッコ悪いぞと思い、勇気を出して、まずは話すことではなく書くことから始めることにした。


書きたくなった理由は他にもある。

ひとつは、ここ最近ずっと感じていた、傍観者でいることの居心地の悪さ。

「無名だった人」が、ウェブ上でリスクをとって発信し続け、成果を出し、スターダムをかけあがる。最初は、自分も「いいぞいいぞ!」と拍手する。やっぱりインターネットは素晴らしい。

でも、しばらく拍手を贈り続けた後、僕は自分の笑顔が引きつっているのに気づいてしまった。じわじわと、ジェラシーが湧き上がる。湿気た木を燃やしたときのような勢いのない煙が、むくむくと心の中に充満しはじめている。

このままだと、いつか自分はジェラシーの煙に飲み込まれ、彼らを「まぁ、実力以上にパフォーマンスが上手い人だよね」などと物知り顔で批評するような人間になってしまうだろう。それだけは嫌だった。批評するより、せめてされる人でありたい。


最近、このnoteでもご活躍中の最所あさみさんの「"論者"の道と "実行家"の道」のある箇所を読んで、文字通り目が離せなくなった。学者(論者)と実務家(実行家)の間の対立について書かれた記事だ。

もちろん、「論者」と「実行家」の間に貴賤があるわけではありません。
(中略)
ただ、理論を突き詰める覚悟もなく、さりとて実行家としてやりきる意志もなく、安全なところから実現可能性の低い夢物語を投げて満足しているような人間にはなりたくない。私はそう思っています。

「安全なところから実現可能性の低い夢物語を投げて満足しているような人」これほど、いまの自分を的確に言い当てている言葉もなかった。

「出版業界を変えたい」などと青臭いことを言って出版社に入ったくせに、「いつかできたらいいね」と曖昧に夢を語る自分。「いつか」という可能性の中で過ごすのは、ぬくぬくしていてとても心地いい。このままでは僕は、居心地のいいコタツから抜け出せない悲しきゆでガエルとなってしまうだろう。

もう一度青臭いことを言うと、僕は、出版業界を(部分的に)変えたい。そのためにいま、小さく立ち上げたいプロジェクトがある(その件については、長くなるからまた今度)。そのためにいま、たくさんの仲間がほしい。

これが学校だったら、先生が半強制的に有志を募ってくれるかもしれない。あるいは会社なら、相手の意思を問うこともなく問答無用でメンバーを連れてきてくれるだろう。

僕はそんな世界に慣れすぎて、いざ丸腰で「僕のこと応援してくれる人いますか?」と聞くことがめちゃくちゃ怖くなってしまった。話ベタな自分は、ここで少しずつ言葉を尽くして、共感してくれる仲間を一人ずつ増やしていきたい。

次からは、出版業界の中に身を置く者として思うことを、つらつらと書いていこうかと。面白がってくれる人がいますように!


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