くるくる回る警察車両を見ながら

最近、私の街には警察車両が多い。

別にいいと言えばいいのだけれどあの黒白赤のブレンドを見ると少々ビビるのは私だけだろうか。


それにしても同じ交差点をずっと往復してるだけの車両を見た時には心の底から「俺より暇な奴もいるのか」と憐れみが生まれる。

警察組織をビジネスモデルとして考えてみると非常に面白い。

だって彼らの仕事は人が悪いことをしない限り、成立しないのだから。

もちろん彼らの給料は税金で支払われている。だから、人が悪いことをしなくても成立するはずだという意見もあるだろうが、実際にはそう言うわけにはいかない。

彼らがくるくる回りながら徴収している反則金や罰金は一旦国に納められているが、彼らの給料は実質そこから支払われていると考えるのが普通だ。というかもし反則金や罰金の徴収額が少ないあるいは0なんてことなったら確実に警察官の給料も減るでしょ。だから、毎年、青切符でいくら徴収するかってのは目標金額として定まってるらしい(何処かのサイトで見た)

青切符にノルマがあるなんておかしな話である。これじゃノルマに突き動かされて限りなくホワイトに近いグレーな違反も取り締まり始めることになるだろう。そうすると皮肉なことに、悪を取り締まるはずの警察が悪を人為的に作り出すことになってしまう。

話をビジネスモデルに戻して、

人が悪いことをしない限り儲からないビジネスの嫌な特徴はまだ他にある。それは比較的平和になった時である。なんせ平和になったら彼らに金が回らないのだ。どうするかというと簡単で、悪の範囲を広くするor徴収額を増やす となる。今回は完全に交通の内容で考えていく。

前者は例えば、何十年も前は速度超過やnot一時停止に対してはお金を取らず警告で済ましていたというが、それでは次第に職員に対してお金を払う体力がなくなってもっとお金を徴収する必要が出てきた。(諸説はあるだろう)警察白書における警告の欄は消えることにさえなった。警告で済ませていた、つまりそれを悪としてカウントしていなかったが、組織が成り立たなくなるという背景もあり、金銭を徴収するようになったというわけだ。どちらかというと徴収の範囲を広くするの方が正しいかもしれないがまあいい。


後者は、ながらスマホの厳罰化がいい例だと思う。徴収額が3倍になって、ワンチャン懲役刑になるかもとかそんな感じだったと思う。そこら辺詳しくはまあ調べてほしい。最近は本当にスマホを使いながら運転している人がめちゃめちゃに多いので、もちろん厳しくなるのは賛成なのだが、何点か疑問は残る。

以下が閣議決定された内容だ。(若干の変更が加わる可能性あり)

運転中のスマートフォン、携帯電話の使用、カーナビの注視

6か月以下の懲役または10万円以下の罰金(従来は5万円以下の罰金)または「交通反則通告制度」(反則金制度)が適用された場合は反則金1万8,000円(従来は6,000円[普通車])なのである。

注目点はもちろんカーナビの注視である。なんかちゃっかり入ってるのだ。

僕はカーナビは注視するためにあると思っているので謎すぎる内容といっても過言ではない。

また、『携帯電話使用等(保持)』
罰則:5万円以下の罰金
反則金:大型7千円、普通6千円、二輪6千円、原付5千円


も加わっている。つまり携帯保持もいけないのである。切り忘れたアラームがなってうるさくて少し持って電源ボタンを押してもまあ保持になっちゃうのだろう。

色々なブログを読む限り、スマホ関連は(持ってないのに)誤って取り締まられることが多いというのでそういう意味でも少し怖い。

というかそもそも罰金や反則金を増やすことに効果がどれだけあるのかが少し疑問。厳罰化のことを知った人なら『気をつけよう』と思うだろうが、僕自身あまりたくさんこのニュースを聞かなかったのでもっとアプローチをかけなければならないのでは?と感じる。知らない人に対してはこの厳罰化は一切の意味がない。そもそも知っている人でも『厳罰化されたし気をつけよう』とどれだけの期間持続して考えられるのだろうか。少し疑問である。ポケモンGOやりながら運転してる人に魅かれて死ぬのなんて御免なので全然取り締まるのはまあありがたい。ただなんというか厳罰化の効果は短期的な気がしてならない。一方で反則金収益は長期的に伸びるわけだからもっと根本的に解決できないものかと思う。もういっそのこと10万とかにして仕舞えば誰もスマホを触らないのではないかと思うが。誰も触らなくなったら反則金の収益がなくなるので絶対実現しないと思う。ある意味絶妙なバランスが保たれている。


さて、反則金は払わなくてもいいという言説がある。そこら辺の解説は他のサイトや質問サイトの回答欄に任せるが、青切符の裏面に任意と記されており、反則金支払うことに法的な縛り付けはない。

そもそも(何かの罪を犯したにせよ)人の財布や預金から金を奪い取るには基本的に訴訟を起こさなければいけない。が、それがコスパ的にも量的にも(確か日本で青切符は1分に10枚ペースだっけ?)不可能なので、青切符というあたかも強制に見える最強の切符を使うことで、各人が汗水垂らして稼いだ金から徴収する。

「悪いことをしたんだから当然でしょ」という母の声が聞こえてきそうだが、しかし人は金を払うことによって反省できるのだろうか。そんな素直なもんだろうか。激昂して他の犯罪とか犯したりしないだろうか。こんなことを考えてしまう。青切符は犯罪の総量を減らしているのか疑問だ。

おそらく人は思考停止的に青切符を渡されたら金を払う。

しかし思考停止し、もはやパスワードのないATMと化した人間から金を取れて、しかも悪の範囲を広げ、罰金の量を増やし続けれちゃう者は一人勝ちしてしまわないだろうかと私は懸念している。


構造的に一般市民は弱い。僕は反則金をふみ倒せなどという気はないがカーナビの注視(定義も曖昧では?)で18000円取れるほどの好き勝手さが少し怖くも感じる。



立場の弱い僕たちはどうすればいいのだろうか?

当たり前だが、結局僕らは「安全運転」をするしかない


ただ、全ての人間が安全運転をしたら、悪の範囲や罰の量が広げられるかもしれないということを付言しておこう。


僕は交差点をくるくる回る警察車両を見てこんなことを思った。

このnoteはなんだか愚痴っぽくなったが、事故予防の大切さなんてものはめちゃめちゃ理解しているつもりではある。取り締まらなかったら30分後に事故ってた車もいくつかあったはずだろう。医学の世界でも予防はあんまり評価されないらしくて不憫な領域らしい。予防は防いだ数が結果に出ないから確かに評価しづらい。その点は本当に理解している。


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