あの夏の日々から、大切な贈り物が届きました。

夏が終わりを告げようとしている。
うだるような暑さは、そろそろ残暑と呼んでもいいだろうか。
真っ青な空に浮かぶ綿飴のような入道雲も、あと何回見られるだろうか。
蝉の鳴き声は、あと何日続くのだろうか。

夏は嫌いだ。でも、季節が移ろっていく頃はなぜか毎年ちょっぴりせつなくなってしまう。

また来年、きみと会える頃には「夏は嫌いだ」って言ってるんだろうけど。
きみが去ろうとしている今になって、別れを惜しむだなんておかしいのだろうけど。

夏の思い出


両親の実家が鹿児島県だから、「田舎」と呼べる場所が僕にはある。
そんなことを言いながら、かれこれ15年ぐらい行ってないのだけれど。

鹿児島県といっても市内の都市部ではない。
残念ながら、畑と畑と畑しかないド田舎だ。あとはやけに人懐こい野良猫がたくさんいて、空をトンビが周回しているだけのそんなところだ。

僕はその田舎に帰省するわけだが、高校生という生き物を、あの場所で初めて見たのが中学3年の時だった。それぐらいのレベルの田舎だ。

もちろんおじいさんとおばあさんばかりだし、車道をトラクターが走っているのなんて普通だ。

でも、遠方に田舎と呼べる場所があることで、帰省の折に触れて、家族でいろいろな場所に立ち寄った。

立ち寄った都道府県は数え切れない。
兵庫県、岡山県、山口県、大分県、熊本県、宮崎県、それぞれでいろいろなところに行った。

兵庫県の姫路城、山口県の秋芳洞、宮崎県の青島、大分県のバカでかいプール、本当に挙げだすときりがない。

きっと覚えていないだけで、もっとたくさんのところに行っているはずだ。

特別だった田舎での夏の日々


それなりに年を重ね、大人になった。今、改めて思うことがある。

ど田舎で過ごしていても、どの夏も井上少年にとって特別な夏だった。

見知らぬ土地で観光することも。
祖父母宅でだらだらすることも。
祖父母宅の近くの温泉に行くことも。
そこで飲むコーヒー牛乳も。
朝早起きして、近くの豆腐屋さんで買って食べる豆腐も。
両親が小学生の頃に遊んだ神社に散歩に行った時も。
野良猫に二人の姉と一緒に餌をあげた朝も。

すべての夏が何気ないように過ぎていったけど、僕の目に映る一瞬一瞬は、間違いなくなによりもまぶしく光り輝いていた。

そして、そんな毎年恒例行事だと思っていたことが、特別だったと今更気づいた。

大人になって気づいたこと


大人になって、夏の日々が特別だったと気づく一方で、また別の感覚が自分の中になることにも気づいた。

おじいちゃん、おばあちゃんと畑と野良猫とトンビばっかりのド田舎にいたからだろうか。

大阪の住宅地で育って、それなりに快適な生活を送ってきたけど、俗に言う地方創生などの話題や地方の話をあまり人ごとだと思わない。

例えば、高齢者の免許返還の是非などについても、すぐにイメージが湧く。都会とちがって、バスなんて走ってない。車がなきゃどこにも行けない。それが真実だ。

しかし、便利な環境でずっと暮らすとそんなことなんてわからない。悪気なんてないままに、理解できないのかもしれない。

そう思うと、あの夏の日々から、大人の僕に向けての贈り物を受け取っていたのかもしれない。
やっとその大切な贈り物が大人の僕宛に届いていることに気づいた。
便利で快適な生活の素晴らしさ、不便だけどどこかあたたかい暮らしの素晴らしさ、そのどちらの経験も今の僕を支えてくれている。

今は便利で快適な生活が当たり前になっているし、僕はそこで自分のやるべきことと闘い続ける。

けれど、「あの夏の日々からの贈り物を、次は僕がだれかに届けられるように」そんなことを思いながら、今年も夏が終わろうとしている。

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