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琉球廻戦 7

【漆】


酒蔵の外壁を恐らく素手で打ち破って彦と島袋が蔵の内へと闖入した。彦の目は特級極悪蒸留泡盛【愚米仙】が500立法メートルもの量溜め込まれた巨大な甕に釘付けとなっている。

愚米仙。その酒をひと口でも口にした者は精神を侵され、平和だった日常を悪夢の様な行動で台無しにしてしまうようになる。それでも愚米仙を飲む者が後を絶たないのは、愚米仙を飲んで死亡した者の表情が悪夢から解放されたかの様な喜びに満ちているからではないかと言われている。

酒蔵の壁が粉砕された事により舞い上がった粉塵の中から、島袋を背負った彦が出現した。彦の目の焦点は粟国ではなく、愚米仙の入った巨大な甕で結ばれていた。


愚米仙の醸造家である粟国は突如として出現したオランウータンと高校球児に狼狽する事なく無気力に呟いた。

「お前達もこの現世が退屈か。」

彦は粟国の言葉には反応せず、甕に向かって歩を進め続ける。背負われた島袋は状況を理解出来ないまま震えるばかりであった。

「この世は死ぬまでに観る夢。適当に生きれば良い。不真面目に、暴力的に、享楽的に、不義理に、豪放磊落に、融通無碍に生きれば良い。」

粟国は諦念を交えてそう呟いた。

歩みを止めず巨大甕に近づこうとする彦を見かねて、粟国は別の場所から小さめの甕を持ってきて彦に与えた。甕からは恐ろしい程強い匂いが放たれてはいたが、悪臭ではなく、この世のしがらみを全て忘れてしまいそうな程甘美な香りであった。

「飲むが良い。我が愚米仙、一度口にすれば悪夢から醒めることは無いが、それでもこの現世の退屈さに比べれば幾分マシな筈だ。お前の様なけだものに効果があるかは甚だ疑問ではあるが、構わん。今回は特別にタダで飲ませてやる。」

彦は待ってましたとばかりに酒を粟国から奪い取り、小さめとはいえ5Lは入っているであろう甕を一気飲みで空にしてしまった。

「ブハァあ」

島袋はその飲みっぷりを見て彦に知性と違和感を感じた。完全にオッサンの飲みっぷりなのだ。というか動物が酒を飲む事自体非常識なのだが、その一連の所作がいちいち人間臭いのである。

「どうだ、けだもの。悪夢は観れそうか?」

彦は粟国の問いを無視してケロッとしたまま物足りなさそうに空になった甕を粟国に突き出した。もう一杯注げという事らしい。粟国は「けだものには過ぎた酒だが」と言い、もう一杯愚米仙を甕に5L注いで彦に渡した。しかしこれも彦はたった一口で飲み干してしまった。

「ところで、お前は飲まないのか?若者。」

粟国が彦の飲みっぷりに呆れながら島袋にも酒を勧めようと質問した。

島袋は愚米仙など知らない。よって、愚米仙を飲む事による精神への影響なども当然理解していない。しかし島袋は恐れながらも強い意志で言った。


「俺野球やらないといかんから。」


粟国は鼻で笑って島袋の両眼を一瞥した。







国道58号線、通称ゴーパチを、国内ではまず見かける事は無いであろう外車が走っていた。

「彦、どこ行ったんですかね?」

暑川の愛車のデトマソパンテーラが機嫌良くエンジンを唸らせている横で、助手席にいた舞浜兄弟の弟が質問した。

「恐らくやが、愚米仙酒造やろうな。彦は恐ろしく酒に耐性があって、鬼のように強い酒が好きやった。あの彦が沖縄を自由に動けるようになった今、あの愚米仙酒造を無視するとは思えん。」

暑川は愛車のハンドルを愛人の身体を愛撫する時のように繊細な指遣いで操作しながら言った。

「人間ヲ吸ワセロ!!!」

舞浜兄弟の母親がデトマソパンテーラのルーフの上で突風を浴びながら叫んだ。舞浜母の巨体では車内に入る事が出来ないのでやむを得ない判断ではあったが、周囲からの視線は相当なものだった。

「まじむん(化け物)!!!」

デトマソパンテーラのルーフに座り込んで高速で移動している舞浜母の狂態に通行人が絶叫した次の瞬間、舞浜母は舌を数メートル伸ばして通行人を捕まえ、手繰り寄せるや否や唇を重ねたかと思うと超人的な肺活量でもって体液を全て吸い尽くしてしまった。

パラパラと砂のようになった通行人の残骸が風に舞って沖縄の海に溶けていく様子を後部座席の窓から眺めていた舞浜兄が、パワーウィンドウの降下ボタンを押し車外から首を出すと、ルーフにいる母親に怒鳴った。

「人間を吸うな!!!」

すると舞浜母は口から伸ばした舌をそそくさと縮めて口腔内に仕舞い込んだ。舞浜母は舞浜兄の命令にのみ従うらしい。


「見えたでー!!あの森の中や!!」

暑川がテンション高くそう叫び、3人と1体のまじむんが車から降りて森の中へと歩を進め始めた。

つづく

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