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ファミレス(4/4)

 見慣れた近所の風景だ。並び立つマンション、セブンイレブン、本当に弁護士がやってるのかも怪しい法律事務所、たびたび休業する整骨院、庶民的な風体のお好み焼屋がそこかしこにある。

 違うのはそれらを黒い霧が包んでいることだ。霧は濃く、あたり一帯に立ち込め、前方の数十メートルですら目視できないほどだった。

 とりあえずは歩いてみよう。そう考えてあたりを散策した。町は薄暗闇のなかにあった。暗いのにどの建物にも灯りは点いていない。町はまるで誰もいないかのように静寂に満ちている。駅の方へと行ってもやはり人はいなかった。もちろん車も走っていない。

 何かが遠くで大きく響くのが聞こえた。

 太くて低い音だった。例えるならそれは角笛のようでもあるし、あるいは獣の鳴き声のようでもあった。考え方によっては人の呻き声のようにも聞こえた。

 そういった非日常的な現象に、不安や恐怖心を抱くのは普通のことだ。しかし何故だろうか。当のおれはというと、さほどいつもと変わらず、正直言ってなんの興味も持てなかった。

 面白くない、とおれは思った。

 面白くない。つまらない。なにもかも。それらの言葉をまじないのように繰り返した。そうすることで、いま見ている物やこれまで見てきた物の価値を何度も何度も否定した。

 ところでだ。一体いつからこうなったのだろうか?と、ふと思った。会社に入ってからか?あるいは大学に在学中の頃からだろうか?その理由は?きっかけは何だろう?

 理由もきっかけもない。というのがおれの出した結論だった。そして、たぶんずっとこうだったんだ、という答えがいちばん腑に落ちた。いままで自分はずっとこの調子で、これからもずっとそう。たんにそれだけのことなのだ。

 それがわかると、本当になにもかもがどうでも良くなってしまった。とりあえずは歩きながら考えてみたものの、それすらとたんに馬鹿らしく思えてきた。

 そうして、気がつくとある場所に辿りついていた。

 例のファミレスだった。

 中に入ってみようか、と思ったが、それもなんだか馬鹿らしいな、とも思った。

 が、手はドアノブにかかっていた。 

 中に入ると店内は明るかった。

 やはりここにも人はいないようだった。

 一人を除いては。

――やっぱり来たね。

 少女は一人、テーブルについていた。おれはその向かいに腰を下ろした。

――アタシね、やっと自分が何者なのかわかった。けっきょく名前はわからなかったけれど、何者なのかってことだけはわかったの。

 そう言って、少女はしばらく黙りこんだ。何かが神経にさわるのをおれは感じた。沈黙が流れてしばらく、それが怒りなのだとおれは気づいた。

――知ってるよ。トモヤがいま何を考えているのか。トモヤが毎日見てた夢のことも知ってる。この世界がトモヤの夢だってことも。なんでトモヤが夢を見続けているのかも。

 おれはスーツのポケットに手を伸ばす。やはりそこにはナイフがあった。

――ごめんね。アタシすごく楽しかったんだ。トモヤと毎日会うの。ほんとに楽しかった。ずっと一人だったから。友達ってこういうのかな、恋人ってこういうのかな、って考えながら、いろんな話をするの、ほんとに楽しかった。…けれど、やっぱりダメだよね。アタシと会ってたら、トモヤはいつまで経っても良くならないから。

 おれはナイフを床に落とした。それを拾って少女は言った。

――だから、これは持ってくね。たくさんご馳走してくれてありがとう。今度は霧の晴れた場所で会おうね。そのときまで待ってるから。

<おわり>

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