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琉球廻戦 6

【陸】


読谷村地下の檻を脱出した彦は島袋を背負って沖縄県北部へ向かって走り始めた。

檻を破って地上に出た後、背負われた島袋は確かに見た。彦の両脚の大腿が生ゴムを詰められたタイヤの様に太く変形した後、ビキビキと音を立てながら平常時の倍近くに膨れ上がったかと思うと、込められた力を地面に向かって叩きつけ、凡そ1トンはあろうかと言う彦の巨体がランボルギーニカウンタックの様な恐るべき初速で北へ向かって発射された。

島袋はあまりの速さに振り落とされないよう必死で彦にしがみつくのがやっとであり、彦の向かっている先がどこなのか、また彦の目的が何であるのかなど気にする余裕も無かった。

見慣れた沖縄の景色が目まぐるしく移ろっていく。ジェット機で沖縄を超低空飛行すれば大体こんな景色なのだろうが、島袋はそもそもジェット機など乗ったことがないので良く分からない。

だがそれでも、島袋は爽やかな気持ちだった。

爽やかだ。島袋はここ数年これ程スッキリとした気持ちになった事は無かった。野球部のスタメン争いに敗れ、ベンチ入り争いに敗れ、親の期待を裏切って肩身の狭い思いをしながら自らの未来を呪い生きていた沖縄の地が、これ程までにちっぽけに過ぎ去っていく事に快感を覚えていた。

島袋は開けにくい目を僅かに開いて前方を見た。美しい沖縄の海が地平線まで広がっている。太陽光が海水面に反射しキラキラと宝石の様に輝いていた。このままあの綺麗な海に吸い込まれて消えてしまうのも悪くないと思えるほどに、沖縄の海は美しかった。


しかし次の瞬間、彦は何かに気付いたかのように高度を落として森の中に見える灰色の施設へと方向転換して行った。







酒には大きく分けて二種類のものが存在する。

人々を楽しませる正の酒と、地獄へ落とす負の酒である。

そこへ行くとこの男の造る酒は、正と負の二項対立において完全なる負の極に位置するものであろう。

特級極悪蒸留泡盛【愚米仙】

愚米仙(ぐめせん)は沖縄を代表する酒である泡盛に分類される。しかし、その実態は飲んだ人々を地獄へと誘う魔酒。一度口にすれば二日酔いは愚かその後の人生に於いて二度と酔いが醒めることはない。

ある会社員は愚米仙を飲み、次の日会社にボンテージ姿で出勤、以前から嫌っていた上司の頭の毛を鬼の如き腕力で全て引き抜いて禿頭にした上で禿げあがった頭皮にCHANELの口紅で「限界集落」と書いて以来姿を消した。

愚米仙の生産者である男はこの魔酒を闇で流通させ、そこで得た利益をヤクザへ上納する事で警察からの摘発を逃れている反社である。それ程の危険な酒であるにも関わらず愚米仙を買い求める者が後を絶たないのは、愚米仙を口にして最終的に死亡した者達の表情がいずれも幸福に満ちていたからなのかも知れない。

愚米仙の生産者であるその男は名を粟国(あぐに)と言った。しかし、その男の詳細な経歴は杳として知れない。

沖縄県名護市の周辺にある森の中に愚米仙を密造する為の酒蔵があり、そこでは密造された大量の愚米仙が巨大な甕に保管されている。その総量はおよそ500立法メートルに及び、今後数十年に渡って沖縄県民を地獄へと誘うだけの量が確保されていた。

この魔酒を醸造した粟国は定期的に酒蔵を訪れ、闇に流す前の愚米仙の仕上がりを確認する。粟国はその日も酒蔵を訪れ、大量の愚米仙が貯蔵されている巨大な甕の無事を確認して呟いた。

「人生とは死に至るまでに見る夢。ならばこの愚米仙で、その夢を悪夢に塗り替えてしんぜよう。死して夢から覚めた時、安堵の喜びに酔える様に。」

粟国がそう呟くとほぼ同時に、酒蔵の入り口が耳をつんざく轟音と共に破られた。

粟国が轟音の発信源に目を遣ると、およそ3メートルはあろうかという巨大なオランウータンと、その背中に担がれた高校生の姿があった。

つづく

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