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大転換期のウェブメディア (番外編)前澤友作氏激怒、詐欺広告について


ナメた詐欺広告が跋扈

本稿執筆時点では引き上げたのか、Facebook上で確認できなくなっているが、Meta社が配信する広告で有名人の映像を勝手に利用している詐欺広告が蔓延っている。筆者のFacebookの投稿履歴を確認すると、3月12日の時点で有名人を勝手に使っているインチキ広告が最近多すぎるという旨の投稿をしており、友人達からの返信もいくつかついている。詳細はここでは不明であるが、おそらくは、少なくとも今年の頭くらいから出現しているものと思われる。それに対して、前澤友作氏がMetaの詐欺広告に対して、アクションを起こしている。

X(twitter)でも積極的に発言している。

堀江貴文氏も同様の苦言を呈している。ありもしない話を世間に拡散されているわけで、これは張本人にしてみれば大迷惑以外の何ものでもない。これに対するMeta社の回答がさらに火に油を注いでいる状況である。

なぜ、詐欺広告が出てくるのか

詐欺広告はそもそも法令に違反しており、社会的規範から見てもだめだろう。悪いに決まっているが、その議論は他の専門家が書いた記事がいくつもあるため、それはそちらにお任せすることとする。ではなぜそのような詐欺広告が出てくるのか。その裏側から見てみよう。

論点は2つだ。まずは広告掲載に当たって多くの場合は審査が行われるが、その運用についてである。前掲のダイヤモンドの記事によると、Meta社はFacebook等に掲載する広告の審査は「日本語や日本の文化的背景を理解する人を備えている」担当者が行っている。だったら、自分が利用された詐欺広告であることは分かるはずだと前澤氏は主張している。その激怒のもとであるMeta社の声明はこちら。

確かにウェブメディア業界に巣くう筆者から見ても、一連の詐欺広告を堂々と掲載している事象は、関係者になめているといわれても仕方ないと思う。しかし、善悪はさておいて、実際の現場を覗いてみると状況はやや異なっているというのが、正直なところである。上記の声明内にも広告規定に沿って対応している旨が記載されているが、これ自体は運営上の問題でhない。むしろ、しっかりと規定を守りつつ作業することが大事だ。つまり、審査担当者は広告規定に忠実に作業することが求められるのだ。例えば、担当者が個人的な好き嫌いを理由にある広告の掲載を停止したり、許可したりすることは基本的にはNGである。やや極論ではあるが、同様に詐欺っぽいなと思っていても、規定になければ運営上は勝手に判断することは避けなければならない。仮にそれが善意であったにしても、だ。

しかし、その準拠すべき規定がおかしなものであれば、そこから全てがおかしくなってくる。よって、規定については柔軟に見直していく必要がある。今回はルールを遵守したという面がある一方で、柔軟な対応ができてなかったのが事象のポイントのひとつだと考えている。

ただ、明らかに法令違反、人権侵害などである場合は別として、いわゆるグレーゾーンにある場合には判断が難しくなる。そういったケースでは同業他社の出方を見ながら対応するといったことはよく行われるし、同業者の横の連携がある場合には直接話をして参考にするということも行われる。この場合は、どうしても対応には時間がかかり、その間にユーザークレームが多発したり、今回のように社会的に炎上してしまうことは考えられる。

では、グレーゾーンに属する部分をできるだけ排除するようなルールを作ればいいのかというと、これも難しい部分がある。そもそもとして、そのような完璧なルールを作ることができるのかという点がある。これはおそらくは無理で、都度対応することになろう。

もう一つ難しい点は、Meta社の声明でも言及されているが、詐欺を含めた悪質な広告の手法が常に変化しているという点だ。いろいろな手法が出ては消え、消えては現れるというサイクルがかなりの短期間で繰り返されているのは事実である。その全てに迅速かつ柔軟に対応するのはかなりの困難を伴う営みであると言える。そして仮にそのスピードを上げて対応することが可能であったとしても、その相手は消えていなくなる。その間に次の問題が現れる。対応する。消える。その繰り返しであり、不毛ないたちごっこであることは確かである。

収益という麻薬

2つ目は収入面の話である。言うまでもなく、今回の対象企業であるMeta社は営利企業である。そして広告収入を主にしている。会社経営面から見ると、自らの収入減を喜々として制限するという行為は合理的ではない。よって、法令違反ギリギリのラインを保ち、かつ社会的にも問題となっていないのであれば、そのまま掲載してしまおうと考えるのは想像に難くない。しかも悲しいことに、この手の広告の方がユーザーからの反応(クリック)が多めになる傾向がある。例えば、コンプレックス系やエログロ系であるが、インターネット空間はオープンである一方、接する場合には極めてクローズな個人空間になる。つまり、PCやスマホの画面を外部にさらしているわけではなく、1人で部屋にいるときなどは完全にパーソナルな空間になる。その結果、人間が興味を持ちそうな広告のクリック率がよくなるというわけだ。そして、収益面からは容認という形になる。

やっかいなのは、このボーダーラインギリギリの部分がけっこう収益をもたらすことがあり、ここの線引きを間違うと大きく収益を失う結果ともなる。

ついでに言うと、ウェブメディア側でも月々の収益計画を見て、どうしても収益が積み上がらないという局面は必ず出てくる。全体で見て他の月でカバーできるのであれば様子見という手段もあるが、どうしても解決できない場合には、こっそりと出すという判断もあり得る。もっというと、そもそも収益性が低くなった場合、広告の掲載基準を下げるというケースもある。特定はここではしないが、とある分野のウェブメディア群の広告品質が明らかに低下している状況を見ることができる。これはコロナ禍が原因であると見ているが、昔とは全く違う傾向の広告が大量に出てきている。一般的にアクセスが可能な分野のメディア群であるので、ちょっと意識して見てもらうと参考になるのではないかと思う。なお、なぜコロナ禍が原因なのかという点に言及すると分野が特定できてしまうので、ここではそれは避ける。

実際の対応は、どのようなもの?

Meta社のケースでは、自社媒体(Facebook)に掲載される広告なので、おそらくは事前審査を経て掲載という形だと思われる。よって、やや毛色の異なる話にはなるが、大半のウェブメディアの広告審査の実態は次のようなものだ。

ウェブ広告は各企業の広告規定に基づいて審査されているが、そのタイミングとして現在主流になっているのが、事後審査だ。インターネット黎明期の広告審査は全て事前審査、つまり掲載前に全て審査されてOKのものだけが掲載される。当時はNGの場合は広告会社、広告主に突き返され、表現を変えるなどを経て再度審査にかけられるということが頻繁に見られた。しかし、現代は広告はプログラマティックに処理され、メディアと広告主あるいは広告会社が直接にやり取りすることはない。ひっきりなしに広告がシステムに入稿され、それがひっきりなしにシステムを通じてメディアに掲載される。そのエコシステムの中では事前審査は一部で行われているものの、ほぼ全てと言っていいレベルで事後審査となる。一連のシステムの状態や運営上の制約などを考えると、事前審査は事実上、無理なのだ。よって、この事後審査がゆえの、詐欺広告掲載という理屈も存在するのだ。

ちなみに、事前審査は譲れないというメディアは外部からの広告配信を利用せず、自分たちで広告を獲得してくる。テレビや新聞など本業では厳しく事前審査をしているウェブメディアでは、こういうケースはよく見られる(一時期よりは減ったが)。

そして、事後審査では何が起きるかというと、まずは入稿された広告はシステマティックにNGとして弾かれるもの、例えばシステムで検知可能なマルウェアを含むものなどを除いて、そのままその広告配信システムと連携するメディアに掲載される。そしてメディア側の審査担当者が広告配信事業者から提供される管理画面を見ながら落とす(掲載対象から外す)か、目視で発見して落とすという地道な作業が日々行われている。ここにはどうしてもタイムラグが発生し、そしてここに詐欺広告が掲載される余地が生まれるのである。よくYouTubeで削除覚悟と題した動画が見られるが、あれと同じである。削除前提で出してしまうという確信犯だ。そして、それは夜間や休日など、審査担当者が稼働していない時間帯を狙って行われるケースもあり、その際にはしばらく無法地帯が発生する。

これは現在の広告エコシステムにおける構造的な問題であり、いってしまえば回避不能だ。プログラマティック広告の仕組みと詐欺広告を含む悪質な広告の掲載は構造的カップリングの状態にあり、切り離すことが困難なものなのである。

結局、広告審査って?

ここまで広告掲載に関する全ての理想を体現することは難しいという話をしてきたが、最後にもう1点述べておくと、クレームとの兼ね合いも広告審査の体制に影響を及ぼす。筆者の知る限りでは、それなりの数のウェブメディアが、広告審査の強化の必要性を感じていながらも強力に推進しない理由は、専門の担当者を置く人的、資金的な余裕がないというケースが多いが、ユーザーからのクレームがほぼゼロというのも大きな理由のひとつだ。

各メディアともユーザーからの問い合わせ窓口があり、いろんなクレームが来ていると思われるが、その中で広告に関するものがどれくらいあるかというと、いずれのメディアでもそこまで多くはないはずだ。それはユーザーがこの状態に慣れてしまっているとか、広告そのものに興味がなくて注意すらしていないといったことであろう。

筆者のようにインターネット黎明期付近からこの業界に身を置く立場からすると、最近のウェブメディアの美的センスのなさには嘆くことしかできないが(まあ昔があったかといえば?だが、今よりマシという印象)、生まれつき現在のような状況にあるデジタルネイティブ世代にしてみれば、これが普通の状態であり、目障りな広告やコンテンツもそういうものであるという認識があるのかもしれない。そしてそれが自分に被害を及ぼさない限りはスルーということだろうと推測している。要するに無関心ということだ。

Meta社の声明内で社会全体のアプローチが重要という一文がある。前澤氏は社会全体のせいではなくてMeta社の問題という論調であるが、それは一面では正しく、一面では誤りだ。社会全体が無関心になれば、詐欺広告のようなものは続々出てくるだろうし、前澤氏のような被害者はいなくならない。当然、ウェブメディアとそこで業務を担当する人も社会の一部を構成しているわけであり、彼らも含めた社会全体でのアプローチが必要だというのは正論である。今回のMeta社のケースでは、自民党も動き出す姿勢を見せており、社会全体でのアプローチに昇華していく可能性はある。とすれば、これは正当な方向の動きである。

ただ、それはそれとして、今回のMeta社のケースは社会全体でのアプローチという行為に包含されるものではなく、Meta社自身の問題であろう。事業者としてしっかりと対応すべき問題である。

最後に、私の知る限り、コンテンツや広告の審査部門が他のどの部門よりも強いというのは見たことがない。法務部門がその担当である場合はさておき、どんな強力なコンテンツ基準、広告掲載基準を持つ企業でも、最後は押し切られてしまうのが基準を担当する部署であろう。が、ここはメディアの品質を担う重要部門であるがゆえ、担当する人たちにはモチベーションをキープしながら戦い続けてもらいたいと願うばかりである。

(了)

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