共同体と遺伝子は生殖を欲するが個体は必ずしもそうではない

 共同体は存続するために生殖を欲する。遺伝子も遺伝子自身の保存のために生殖を欲し、ヴィークルである我々をそう作り上げる。
 しかし個体である我々にとって生殖は本能によって定められた不都合である(場合もある)。特に生殖衝動、性欲を他で発散できるようになった現代においてはそれが顕著である。
 生殖衝動を発散せしめる方法が指数関数的に増加しつつある現代において、生殖は割に合わない選択肢になりつつある。もっとも生殖衝動を生殖行為によって実行する個体に有利な淘汰圧は存在するが、淘汰圧による行動の変更はこの発散方法の増加に追いつけないであろうことが予想される。なお、生殖の減少については他の理由もある。マッチング範囲が広まったせいで結果として高望みが行われるという現象もある。
 これらの理由によって、子の属する世代はそれだけ少なくなる。これは他の(多い)世代を養うためのリソースを子の属する(少ない)世代が負担しなければならないという結果を生む。
 これらを知った以上、我々は子の利益のために生殖を諦めるべきという説得方法を得る。我々自身は反出生主義によって子をなさないが、反出生主義によって説得できない、しかしある程度理性的な人間にとっては有効である。
 さて、この世代の減少は共同体にとってマイナスである。しかし共同体自体がいくら策を練ろうとも、システム的に生殖に対してマイナスの圧力がかかっているのだから、共同体の取れる範囲の策では追いつかないものと考えられる。

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