只野菜摘が怖すぎる (アイカツスターズ!『未来トランジット』 2016/06/25(Sat)

西暦2023年12月26日に付された前註:
ここにアップロードされるのは、筆者が西暦2018年3月30日に電子書籍として無料頒布した「やばいくらい -『アイカツスターズ!』読解集成-」からの単体記事抜粋である。

『アイカツ!』シリーズでも数々の優れた詞を提供してきた作詞家:只野菜摘さんですが、『アイカツスターズ!』に入ってからの作品たちがちょっと異様な領域に達してきているので、それについて書きます。
 ……「書きます」とか偉そうに言ってますが、只野菜摘さんの天才を前にして悶え死にそうになっている私の姿を見せる感じの文章になると思います。

 本稿の本筋は作詞論なので、楽曲のトラックについてはざっくりと。
『未来トランジット』は「世界を旅するブランド」こと『ロマンスキス』、およびそのプレミアムドレスを纏う香澄夜空のために用意された曲です。とうぜん、作曲編曲作詞の発注段階で「異国情緒」「旅立ち」の要素はディレクションされていたでしょう。トラックでもアコギやピアノやストリングスの存在が際立っています。
 ただ、それ以上に印象的なのはイントロのGファンクっぽいシンセの音ですね。Gファンクというのはマイナー調のメランコリックなシンセの音が特徴的なヒップホップのサブジャンルで、いちばん有名なのはNothin' But A G Thangでしょうか(『ストレイト・アウタ・コンプトン』でスヌープとドレーがこの曲をジャムるシーン超最高だよね……)
『未来トランジット』の作曲編曲の豊かさを延々と書きたい気持ちは山々なのですが、ここからは只野菜摘による作詞、それもたった一行の歌詞を執拗に検証してゆきます。

◉五度メロと飛翔(「Take off and fly away and go ahead」)


「Take off and fly away and go ahead」。このフレーズは『未来トランジット』の冒頭に位置していて、同時にサビの後半を締めくくる構成にもなっているわけですが、この唯一の英語詞部分に焦点を当ててみましょう。
 実際に楽器で弾いてみるとよくわかると思うのですが、この英語詞部分のメロは完全五度でひらくメロディになっています。
 五度というのは和音を構成する最小限の音(ルート・三度・五度のみっつの音、トライアドともいう)のひとつで、要するにとてもよく響きあう音程(インターバル)です。


 この完全五度を効果的に用いる作曲家としてはヴァンゲリスが有名です。『炎のランナー』のメインテーマを聴いてみましょう。ピアノのフレーズがとても有名ですね。でもこの曲の導入のフレーズを覚えているでしょうか。

この「テ(C#)ーーテ(G#)ーーー」のフレーズは完全五度でひらく音程になっており、聴き手に舞い上がったような・浮遊したような・宙ぶらりんな聴き心地を与えます。なぜかというと、聴き手にはまだまだ根音(ルート)・五度の二音のみしか与えられておらず、長短どちらの調なのかを判断する三度の音はまだ鳴っていないからです。この五度メロのタメがあるから、あの長調のピアノフレーズが鳴った瞬間に歓びに近いような感情を得ることができるわけです。*1

 映画音楽つながりでもうひとついきましょう。「舞い上がる」「浮遊する」ような映画音楽、といえばやっぱりスーパーマンのテーマですね。じつはこの曲にも五度メロが関わっています。ハ長調(C Major)のこのテーマですが、冒頭の「テーーテ(G)テ(C)テテ(G)ーーーー」の部分で既に完全五度の音程が使われているし、あのあまりにも有名なメロディの頭の二音も完全五度のひらき(C→G)で始まっています。

(スーパーマンのテーマ冒頭:三連で取るべきなのかどうかは知らない)

 ジョン・ウィリアムズ作曲のこのテーマ曲ですが、じつは氏の有名なテーマ曲にはこの五度メロが頻繁に使われているのです。
 突然ですが、ちょっとスターウォーズのテーマを歌ってみてくださいよ。前奏なしでいいので。そう、そのメロです。「テ(B♭)ーーテ(F)ーーーー」で始まるやつです。これも完全五度ですね。じゃあE.T.のテーマってどうでしたっけ。「テ(C)ーーテ(G)ーーーー」でしたよね。スーパーマンのと同じですね。そうです、スーパーマンとスターウォーズとE.T.のメインテーマのメロディの冒頭二音って全部同じ音程なんです(キーは違うけど)。

 で、これらの三作の音楽が映画内でどのように使われていたか。すべて「地表から無重力状態への移行」、つまり「飛翔」にかかわっていたわけですね。スーパーマンもE.T.もスターウォーズも「飛び立つ」アクションに重きを置いていたわけだし、そのために貢献していたのがジョン・ウィリアムズによるテーマ曲だったのでした。

 さて、『未来トランジット』に戻りましょう。
 この曲の「Take off and fly away and go ahead」のメロディは、三小節にまたがって完全五度のひらきで歌われていました。再三確認しましょう。

「Take off(C→G) and fly away(D→A) and go ahead(E→B)」と、一小節ごとに五度のひらきが全音ずつ上昇するメロディになっていますね。*2

 整理しましょう。ジョン・ウィリアムズやヴァンゲリスの映画音楽において、五度メロは「飛翔」「浮遊」「舞い上がり」に関係していた。それと同じ音程がここで(三小節にまたがって執拗なまでに)歌われている。……作詞段階において、只野菜摘はそういう楽曲を突き付けられたわけですね。

 そこで、只野菜摘はこのメロディにどのような解答をしたか。まず、ここのみに英語詞が出現するというギミックがあります。が、それよりもまず見なきゃいけないこと、それは「ロマンスキス」と香澄夜空のテーマ曲である『未来トランジット』に必要不可欠な「異国性」へのいざないを「滑走路から飛び立つ飛行機」の運動として具体化してみせたことにあるでしょう。「Take off and fly away and go ahead」のフレーズは、そのまま「(異国への)旅立ち・飛び立ち」のアクションを示すものとして歌われている。

 作詞上の技巧はまだあります。それはメロディが上がりきった三小節目(「go ahead(E→B) 」)の頭ではじめて濁音(ゴー)が登場すること。ボーカルを担当しているみほさんは非常に柔らかい声の持ち主なので、声を張り上げるタイプの歌唱はあまり合わないわけです。では品性を損なわずに声のゲインを上げる(歪ませて音の伸びをよくする、的な意)にはどうすればいいか。そこで要請されたのがこの濁音だった。ちょっと試してもらいたいのですが、「Take off and and go ahead and fly away」 の順番でこのメロを歌ってみてください。どんなにトンチンカンに聞こえるのかおわかりいただけると思います。現に2番の同パートの歌詞でも「三小節目の頭で濁音」の法則は適用されています(“my friend and promise and good luck”)。

 すると、どういうことになるか。

「飛翔」「浮遊」「舞い上がり」の特性を持つ五度メロディ、
 そこに乗せられた「滑走路から飛び立つ飛行機」の歌詞、
 そして五度メロが上がりきったタイミングでブーストするように歌われる濁音。


 飛行機の飛び立ち・そこに乗せられた旅人の旅立ち、その流れゆきを描写するために、メロディの解釈においてもその特性の理解においてもそして音の選び方ひとつにおいても、すべてに意味と役割があり、その結果として楽曲そのもののテーマがたった一行の歌詞に織り込まれている。

 もう、これはもう、なんなのですか。こんなに緻密に書かれた詞がありますか。
 もちろん、この項で検証してきた歌詞はたった一行です。ものの数秒で聞き流してしまえるものではある。しかし、この一行の歌詞によっていくつもの多くのことが達成され、同時にいくつもの多くのことが避けられていることでしょう。この一行を編み出すにいたった、針の穴を通すような周到な注意深さは。


◉二重の異邦人


 ちょっと楽曲の構成に立ち入りすぎた気がします。この項では歌詞のみに絞ってみましょう。
『未来トランジット』が「旅」に焦点を絞った曲であることは既に書きました。自分を優しく歓迎してくれる古巣(“やさしいソファーと言葉”)を離れて異邦の地へ飛び立つ旅人、の物語がこの曲であることは、1番の歌詞だけでもおわかりいただけると思います。

 まあ、みんな少なからず旅には出るわけです。それで「インドに行ったら人生観変わった」とか「サクラダファミリアすごいよ圧倒されるよ死ぬまでに一度は見ておいたほうがいいよ」とか何か知ったような口調で旅の体験を語るわけです。それは「観光する外国」と「帰ってくる祖国」の両方があるからこそ成立することで、そのへんの大学生とか意識高げな外資系企業の社員とかまでみんなやっていることですよね。皆さんもFacebookとかでそういうタイプの投稿を頻繁に目にするのではないでしょうか。

 ところが、『未来トランジット』の旅人はちょっと様子が違います。2番サビの歌詞を読んでみましょう。

“私は旅人を演じてると 感じている瞬間もある
 そうだとしても 演じきりたいと思う”

 ……いきなり何を言い出すんだ、という切り出しですよね。
 異邦の地を飛び回る旅人の歌だと思って聴いていたのに、「演じてると 感じている瞬間もある」と言い出すんです。突然に『未来トランジット』の旅人としての確かさが揺らぎはじめる。それも彼女自身の口から独白されるかたちで。詞は続きます、「そうだとしても 演じきりたいと思う」。

 こういうことになります。『未来トランジット』は、「帰ってくる祖国」と「観光する外国」との両方を確かに持っている人の物語ではない。彼女にとっては旅人としての自分すら「演じる」もの、つまりニセモノでしかないのだと本人が言っているのですから。
 しかし同時に、彼女は自分を迎えてくれる「やさしいソファーと言葉」を振り切って旅に出た人でもあるわけです。となると奇妙なことになります。『未来トランジット』は、祖国からも異国からも放逐されてある人間、もっと言えば「二重の異邦人」の物語ということになるのではないか。*3

 ここで寄り道をしてみましょう。T・E・ロレンスという人がいますね。『アラビアのロレンス』で有名ですが、彼がアラブでの作戦行動の後に書いた『知恵の七柱』という本があります。この本を発表したとき、とある批評家から「こんなものは英語ではない」と批判を受けたらしいんですね。ロレンスはアラブの地で行動するうちに自分の母国語(英語)をつまづかせ、吃らせてしまったのかもしれない。だからこそ批判を呼んでしまったのかもしれない。

 只野菜摘という作詞家も、日本語でありながらどこか異国語の翻訳文のような趣を感じさせる詞を書きます。“ひとをしあわせにする(『笑顔のSuncatcher』)” “自分を強くする(『エメラルドの魔法』)” “私を強くする(『約束カラット』)”などがその代表的な例ですが。日本語で綴られているのになぜか「makes you stronger」的な英文調の構えを先に連想させられてしまうような、いわく言いがたい一節にハッとさせられる瞬間がかならず訪れるのが只野菜摘の歌詞ですね。

 この「母国語だと思っていたものが確かでなくなる」瞬間こそ、『未来トランジット』と只野菜摘の本領が重なる地点だと私は思います。旅人として出発する自分自身を2番のサビで唐突に疑問に晒しつつ、すかさず「そうだとしても 演じきりたいと思う」と旅人としての自分を(もっと言えばニセモノの役割を)も背負って行ってしまう。

 ここに浮かび上がってくるのは、祖国にいるときの自分も異国にいるときの自分もどちらもニセモノでしかないということに突き動かされて旅を続けているかのような人の姿です。『未来トランジット』で日本語詞と英語詞が混在していることが重要なのではありません。 「母国語」と「外国語」のどちらの言語にも安らぐことができなくなる地平への移りゆきを捉えているのが『未来トランジット』だと言いたいのです。

 T・E・ロレンスがアラブ反乱と『知恵の七柱』の執筆を経てたどりついたような、二重の意味での異邦人の姿がふいに立ち現れます。ここではもはや先述したような広告代理店っぽい旅のスタイルなど問題にすらされていない。彼女は安らぐための“やさしいソファーと言葉”を通り過ぎて“遠い異国にいること 熱いほど感じ”ている、しかし旅人としての自分も“演じてる”ものでしかない、“慣れないカタコト”で“気持ち伝える”しかない、それでも旅人としての自分を“演じきりたいと思う”と軽やかに言い切ってしまう。そんな何重もの困難を抱えた人の“未来の途中”を描き切った詞、母国語でもない異国語でもない寄る辺もない言葉を話す人に成ってゆくまでの“未来の途中”をとらえた一葉の写真のようなもの、それが『未来トランジット』だったと。この歌詞を読んでいるとどうしてもそういうことになります。

 これほどまでに途方もない、流れて流れて流れて流れていってしまう、落ち着く場所などどこにもありはしない人間の立ち姿を(2番サビの)たった二行の歌詞で浮かび上がらせてしまう。それをなんとかして言い当てるために私はヒイヒイ言いながら長文を連ねるはめになっている。作詞家は、詩人は、こういうことをやるんですね。短い言葉の連なりでここまで異様な世界を見せることができる。すごい。すごいし怖いよ。


『未来トランジット』について特筆すべきことがらはまだまだ沢山あります。そもそもこの歌詞はCA物語(『スターズ!』作中で如月ツバサが出演しているドラマ)のテーマ曲なのではとか、実質的に夜空×ツバサなのではとか、いやむしろこの詞は『アイカツ!』二期のミミさんと風沢そらとの関係性そのものだよねとか、ストリングスのアレンジがほんとに美しいとか永谷たかおの本領発揮というべき掻き毟るような音のギターソロとか、振り付け(『スターズ!』になってからの振り付けは『アイカツ!』のころのそれと比べて明らかに三倍くらい難しいものになっていると思うのですが)とか……書くに書ききれません。本当は『episode Solo』についてもこの記事で書くつもりだったのですが、『未来トランジット』について書こうとするだけで既にもう死んだようになってしまったので断念します。


西暦2023年12月26日に付された後註:
 今になって読み返してみると、文体から論旨にいたるまで、完全な他人によって書かれているかのようだ。この時点でムスリムになるとは思いもしなかった私が、よりによってロレンスごときを文学者として評価していたとは。ちなみに『知恵の七柱』は、若き日の淀川長治氏が愛読した書として知られる。当時の私がアラブ荒らしのジョンブルに警戒を解いていた理由も、これで説明されると思われる。
 加えて、ここまでお読みの方々には知れている通り、本稿で述べられている歌詞論はドゥルーズ『批評と臨床』のまんま引き写しである。あいつの著書で比較的マシな部類に入るとはいえ、ドゥルーズごときの惰弱な見立てを『アイカツスターズ!』に適用していた当時の私は(さながら『スターズ!』本編の1年生たちの性向をそのまま引き写したかのように)危ういことこの上なかった。が、それらもすべて苦笑事に属する。何故なら、本稿で明らかにされた「二重の異邦人」は、『スターズ!』2年目でさらに「三重の混血児」こと騎咲レイの姿に相対し、さらなる混血へ臨んだからだ。当時『スターズ!』について32万字の文量を費やしたことを現在において振り返っても去来する感慨は同じだ、「私ごときの貧弱な見立てをいとも容易く圧倒してくれる作品が在ってくれたとは、どれほどの幸いだったことか」。

 あと、タイトルは「ヴァージニア・ウルフなんてこわくない」へのあてつけである。


*1 似たような例で言えば、リヒャルト・シュトラウスの『ツァラトゥストラかく語りき』の冒頭も完全五度が印象的です。「テーーー(ルート)テーーー(五度)テーーー(オクターブ上のルート)」が鳴って、その後に「テ(長三度)テ(短三度)ーー」がくるという(二回目は短長が逆)。要するにメジャーかマイナーかを判別する三度の音が鳴るまでのタメとして完全五度はとても有効だよという話です

*2 例によって耳コピがとても苦手なので、この譜面では伴奏のコード名は着けずメロディ譜を書くのみにとどめました。この三小節を聴き取ろうと思えば Am7 - Bm7 - CM7 みたいな感じかなとは思うのですが、ここではむしろ C/A - D/B - Em/C の進行として考えたいと思います(ベースのうえで五度メロが鳴ってそこにストリングスが三度の音を補っているように聴こえるため)。

*3 “(……)ロレンスはアラビア語を話し、アラブ人の服装と生活をして、拷問を受けるような場合ですら、アラビア語で叫ぶのだが、アラブ人の真似はせず、それを一つの裏切りと感じてしまってはいても、自分の差異をけっして放棄しようとはしない。若き花婿の衣装、「疑わしき白無垢の絹」に身をつつんで、彼は〈配偶者〉を裏切りつづけるのだ。しかも、ロレンスのこの差異は、彼がイギリス人でありつづけ、イギリスに仕えることだけが原因で生じたものではない。それというのも、彼はアラビアばかりかイギリスをも裏切るからであり、同時にすべてを裏切るという悪夢に陥ってしまうのだ。”
恥辱と栄光 T・E・ロレンス 『批評と臨床』 河出文庫版 240-241P

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