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清水靖晃インタヴュー〈究極のゴルトベルク〉コンサートに向けて


清水靖晃 撮影:松山晋也

清水靖晃インタヴュー
 〈究極のゴルトベルク〉コンサートに向けて

interview&text:松山晋也
 
 先日リリースされたニュー・アルバム『バッハ:ゴルトベルク変奏曲』でますます人気沸騰しているアイスランドの俊英ピアニスト、ヴィキングル・オラフソンと、2015年のアルバム『ゴルトベルク・ヴァリエーションズ』によって世のバッハ受容にコペルニクス的転回をもたらした清水靖晃&サキソフォネッツ。この両者が一堂に会してそれぞれの「ゴルトベルク変奏曲」全曲を演奏するという奇跡的プログラムが12月に実現する。題して〈究極のゴルトベルク〉。
 清水は『ゴルトベルク・ヴァリエーションズ』以前にも、テナー・サックスのソロによる『チェロ・スウィーツ 1. 2. 3』(1996年)及び『チェロ・スウィーツ 4. 5. 6』(1999年)を発表するなど、30年近くにわたって独自のバッハ解釈を続けてきたが、ヴィキングル・オラフソンと同じステージに立つ今回のコンサートでは、彼の思い描くバッハ像や音響芸術としてのユニークさがひときわくっきりと照らし出されるはずだ。
 期待のコンサートに向けて、今改めて、自身とバッハの関係について語ってもらった。

書棚からパラパラと落ちてきたバッハの楽譜

 ――清水さんが『チェロ・スウィーツ 1. 2. 3』でセンセーションを巻き起こしてから30年近くが経ちますが、そもそも、最初にバッハを吹いたのはいつなんですか?
 
清水 僕は80年代半ばからパリ~ロンドンを拠点に活動していたけど、そのロンドンから東京に戻り、細野晴臣さんと共同プロデュースしたコンサート・シリーズ〈東京ムラムラ〉が終わった後だから、94年頃だったと思います。たまたま自宅書棚である楽譜を探していたら、パラパラっと「無伴奏チェロ組曲第1番」の楽譜が落ちてきた。で、それを拾って吹いてみたらすぐにはまってしまったんです。更に、エフェクターで残響もつけてみたんだけど、これはエフェクターを使うよりも、響きのいい空間でのナチュラル・リヴァーブでやったらもっと面白くなるなとひらめいた。そこからバッハとのつきあいが本格的に始まったんです。それ以前にも、たとえばピアノでちょっと弾いたりはしていたけど、それは楽曲構造や和声の研究のためだったりしたわけで。その頃まで僕はいろんな実験的なことをやってきていたけど、当時はサックス1本だけで何かやってみたいなという気分でもあった。
 
――リスナーとしての出会いは?
 
清水 それはもう小さい頃。父は家業以上にアマチュア音楽家としての活動に熱心で、母は小学校の先生で合唱の指導もしていたから、家にはクラシックだけでなくラテンやジャズ、シャンソン、歌謡曲などいろんなレコードや楽器がありました。だから僕は幼少時から手あたり次第にいろんなレコードを聴いていたし、楽器もピアノの他あれこれやっていた。当然バッハも聴いていたけど、といって特にバッハ・ファンだったわけでもなく、クラシックではロマン派、たとえばブラームスやシューマンなどのオーケストラものが一番好きだった。レコードを聴きながら、指揮の真似をしたり。ショスタコーヴィチの5番を振るのがエキサイティングだったけど。だから、『チェロ・スウィーツ 1. 2. 3』を出すまでは、特にバッハと深い縁があったわけじゃないんです。
 
――たまたま楽譜が落ちてきたという偶然の再会からCD制作まで一気に行ったのが不思議です。何か特別な感動や、背中を押すような出来事がもっとあってもよさそうですが。
 
清水 その自宅でのバッハとの再会の時、「バッハ×筒(テナー・サックス)×空間」の三角関係というコンセプトを思いついちゃったことが大きかったと思います。そもそもバッハの音楽はキリスト教会で信者の魂を天に向けて上昇させるような崇高なものだけど、そんなバッハと下世話なテナー・サックスという組み合わせがまずは刺激的だし、同じく筒構造である人間が銭湯での鼻歌のような響きを生み出すナチュラル・リヴァーブ空間というのも魅力的でしょう。これはやるしかないとレコード会社に提案したら、ビクターのポップ・セクションが乗ってくれて。

Yasuaki Shimizu & Saxophonettes
– Bach Goldberg Variations: Aria (2015 concert)

 ――ナチュラル・リヴァーブの効いた空間で録音するため、いろんな場所を調査したんですよね。
 
清水 そう、いろんな人に、いい場所はないかなと相談した。通常は音楽をやらないようなグッとくる空間はないかと。たとえば、南こうせつさんのラジオ番組にゲストで出た時、彼の出身地である大分県日田市に使ってないトンネルがあると教えてもらった。日田市でもそこを有効活用したいと思っており、いろんな案が出ているけど、トンネルを挟んでの綱引き大会ぐらいしか案がないんだと。で、翌週すぐにそのトンネルに行ったら、日本昔話に出てくるようなのどかな田舎で、近くには炭鉱のボタ山も見えたりする。こういう場所でのバッハがいいと気に入ったんだけど、トンネルの構造上、フラッター・エコーで多重反射してしまい、そのうえ意外と響かないので、結局あきらめました。その他にも、使っていない水力発電所とか、福井の山中にある越前大仏の大仏殿とか…(笑)
 
――2枚のCDで全6曲、すべて録音場所が違っていましたよね。
 
清水 最初の「第1番」は、向島にあった山本耀司さん関係のコンシピオ・レコードのロビーで録音しました。「2番」は宇都宮市の大谷石地下採掘場跡。「3番」は大田原市のよく響く那須野が原ハーモニーホール。「4番」は釜石市の釜石鉱山花崗岩地下空洞。ヘルメットかぶって、地下500メートルまでもぐって。「5番」はイタリアのパドヴァにある巨大な離宮ヴィラ・コンタリーニの3階吹き抜けのサロン、そして「6番」は同じくパドヴァ、ラッツォ・パパフォーヴァの丸天井を備えたサロン。「6番」は演奏が一番難しいけど、録音場所も含めて特に気に入っていますね。そのサロンは貴族の家の空き部屋で、丸天井の高さが12メートルなので残響が15秒ぐらいあった。筒(サックス)に息を吹きかけただけで、その音がフワーッと宇宙船のように宙空に飛び立ってゆく感じ。演奏しながら音と身体が一体化していった。あのマジックは病みつきになります。

Yasuaki Shimizu & Saxophonettes
– Bach Goldberg Variations: Variation 19 (2015 concert)

 ――録音機材はどういったものでしたか?
 
清水 最初の『チェロ・スウィーツ 1. 2. 3』を録音した96年は、機材が ADAT からプロトゥールスに移行する時期で、まだプロトゥールスがあまり信頼できなかった。なので「1番」の時は ADAT で録ったけど、「2番」からはプロトゥールスです。「2番」も最初は ADAT を持って大谷石地下採掘場跡に入ったんだけど、湿度がすごいのでテープが湿ってエラーしちゃうわけ。それでプロトゥールスに急遽切り替えたんです。当時はまだほとんど誰も使ってなかったけど、うまくいきました。
 
――さっきの三角関係のことですが、これはやはりバッハでなくてはいけなかったんですか? 神聖かつ崇高な音楽なら他にもあるわけで。
 
清水 まず、無伴奏で楽器一つでやりたかったので、やはりバッハの「無伴奏チェロ組曲」が一番いいと思ったんです。空間の響きを最大限生かすためには、和声のある曲は避けたかった。

Yasuaki Shimizu & Saxophonettes
– Bach Goldberg Variations: Variation 8 (2015 concert)

北島三郎とバッハをつなぐ弦

――1996年の『チェロ・スウィーツ 1. 2. 3』、1999年の『チェロ・スウィーツ 4. 5. 6』から2015年の『ゴルトベルク・ヴァリエーションズ』に至る経緯について説明してください。
 
清水 「無伴奏チェロ組曲」の2枚を出した後、まず、現在のサキソフォネッツとは別のサックス奏者たちと一緒に「無伴奏チェロ組曲」のコンサートをやりました。。僕がソロで単旋律を吹いて、所々で他のメンバーにチェロの楽譜で重音部分の和音を吹いてもらうというスタイルで。その後、僕の独自の解釈で和声を作って。それは、当初の僕のコンセプトとは違うけど、その流れの中で『ゴルトベルク・ヴァリエーションズ』へ発展していった感じですね。
 
――その後2006年には、現在のサキソフォネッツのメンバーになりましたが、メンバーが替わった理由は?
 
清水 『ゴルトベルク・ヴァリエーションズ』にたどり着くまでの間、2007年に5音階音楽にフォーカスしたアルバム『ペンタトニカ』を出しました。今のメンバーはこのアルバムを作るために集まってもらったのですが、そこには、2005年にフランスでコンサートをやった経験も関係しています。ハバネラ・サクソフォン・カルテットと一緒にやったんです。彼らを紹介してくれたのが80年代に僕がパリに住んでいた時からのコーディネイターでもあったフランシス・ファルセトという人なんだけど、ある日彼と一緒にコンサートの演目を決めるミーティングのために劇場に行って、そこで劇場のボスから、バッハ「無伴奏チェロ組曲」以外に違う出し物もやってくれとリクエストされた時、ふとフランシスと目が合って、そうだ僕は昔から五音階音楽をやりたかったじゃないかって閃いて、「無伴奏チェロ組曲」と5音階の曲を交互にやったんです。そのために5音階の新曲を書いて。バッハと五音階のシマウマ模様コンサートです。その新曲達がアルバム『ペンタトニカ』のきっかけになってます。
 
――〈エチオピーク〉シリーズのプロデューサーとしても活躍しているフランシス・ファルセト!
 
清水 そう。だから、そのシマウマ模様コンサートを彼はすごく喜んでくれたんですが、五音階の演奏の方はリハーサルの時間があまりとれなかったこともあって、僕としてはあまり満足できなかった。ハバネラはクラシックの精鋭だからバッハの方はお茶の子さいさいなんだけど、五音階の方はコブシの回し方とか緩急のテンポ感とか、譜面化できない微妙なニュアンスがなかなかうまく伝わらなくて。そういう体験を踏まえ、日本で改めて5音階音楽をやろうと思いたって集まってくれたのが、、今のサキソフォネッツの4人のサックス奏者なんです。いろんな人を紹介してもらい、東京藝大などにも行ったりして、最後にいいなと思ったのが、鈴木広志くんなど現メンバーがやっていたストライクというサックス・クァルテットでした。

Yasuaki Shimizu & Saxophonettes – Bach Goldberg Variations: Variation 26 (2015 concert)

 
――その4人がサキソフォネッツのメンバーになったのが2006年なので、もう17年にもなるわけですが、この間、彼らにも変化があったんでしょうね。
 
清水 もう今は、僕が何をやりたいのか、どういう音を出したいのかを身体でわかってくれている。そういう意味でも、もう家族みたいなものです。元々はバリバリのクラシックの人たちだけど、『ペンタトニカ』の録音時にすごく時間をかけて対話し、リハーサルも重ねました。奏法自体にも、細かい部分でいろいろリクエストして。コブシのニュアンスとか。譜面には書けないから口伝で。このメンバーで『ペンタトニカ』の次のアルバムを作りたいとずっと思っているんだけど、忙しくてなかなか手をつけられない。
 
――今回のコンサートではメンバーが一人替わるようですが?
 
清水 そう、仕事のスケジュールの都合で参加できない江川良子さんに代わり、田中拓也くんが加わります。これまでもスケジュールの都合でこういうことはありましたが、あの4人(林田祐和、江川良子、東涼太、鈴木広志)が正式メンバーであることに変わりはありません。
 
――『ゴルトベルク・ヴァリエーションズ』では、コントラバス4人によるピッツィカートもすごく効果的ですよね。
 
清水 実はあれは、北島三郎さんの「漁歌」をプロデュースした時に思いついたんです。「漁歌」の録音の時、4人のコントラバスの弦の共鳴の凄さに圧倒されて。それがずっと頭の隅にあり、『ゴルトベルク・ヴァリエーションズ』の時に改めてやってみた。最初は、サックス5、チェロ2、コントラバス1という妥協した編成だったんだけど、思い切ってコントラバス4にして良かったです。
 
――「漁歌」は1983年だから、30年以上も温めていたアイデアだったわけですね。
 
清水 温めすぎだよね(笑)
 
――そろそろバッハ関係の次の作品も作っていただきたいところですが…
 
清水 もちろんやりたいと思っているし、レコード会社も積極的に考えてくれているようです。以前から公言していますが、「フーガの技法」はやらねばと。なんとかしたいですね。
 
――コンサートを間近に控え、改めてアピールしておきたいことは?
 
清水 この9人編成ユニットでやった最後のコンサートは2016年11月、岐阜市のサラマンカホールでした。あれから7年の間に各メンバーの身体細胞の新陳代謝もあったわけで、今回は今現在の音が出るはずです。サキソフォネッツの演奏はスコアに基づいているのではなく、身体に基づいている。そして、「ゴルトベルク」は借り物であり、どうすれば日本で生まれ育った自分たちに一番似合う音楽を作れるのかが大事だと僕は思っている。この7年間で我々がどう変化したのか、そこを聴いてもらえたらうれしいですね。


LIVE INFORMATION

究極のゴルトベルク
ヴィキングル・オラフソン+清水靖晃&サキソフォネッツ

[公演日]
【東京】2023年 12月3日(日)14:00開演(開場13:30)
すみだトリフォニーホール 大ホール
【大阪】2023年 12月9日(土)14:00開演(開場13:30)
住友生命いずみホール

[曲目]
第1部 バッハ:ゴルトベルク変奏曲 BWV988(全曲)
ヴィキングル・オラフソン(ピアノ)
第2部 バッハ:ゴルトベルク変奏曲 BWV988(清水靖晃編曲 5サキソフォン 4コントラバス版)
清水靖晃&サキソフォネッツ

[出演者]
第1部 ヴィキングル・オラフソン
第2部 清水靖晃&サキソフォネッツ
清水靖晃(テナー・サキソフォン) 林田祐和、田中拓也、東 涼太、鈴木広志(サキソフォン) 佐々木大輔、中村尚子、高橋直人、出町芽生(コントラバス)

[チケット料金]
全席指定(税込) ※未就学児入場不可
東京公演:
S席8,000円 A席7,000円 B席6,000円 U25席2,000円
チケットスペース 03-3234-9999
https://www.ints.co.jp/u-goldberg1203s.html
大阪公演:
S席8,000円 A席6,000円
ABCチケットインフォメーション 06-6453-6000
https://www.asahi.co.jp/symphony/event/detail.php?id=2588

CD・LP 

J.S.バッハ: ゴルトベルク変奏曲
ヴィキングル・オラフソン
[DG Deutsche Grammophon 4864553(輸入盤CD)
UCCG-45082(国内盤UHQCD)
4864556(輸入盤LP)]
2023/10/6発売

Víkingur Ólafsson
- J.S. Bach: Goldberg Variations, BWV 988: Aria (Official Music Video)

Víkingur Ólafsson
– Bach: Goldberg Variations, BWV 988: Var. 1 (Official Music Video)


ゴルトベルク・ヴァリエーションズ
清水靖晃 & サキソフォネッツ
[avex-CLASSICS AVCL-25869]


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