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アメリカの歴史① コーラ戦争

 コーラのはじまりは薬局の強壮剤です。

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 原液を炭酸で割り、現在でいうエナジードリンク的な感じで売られていました。

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ただ、そのコーラは今のエナジードリンクとは異なり、ガチで覚せい剤がはいっていました。

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 1903年に取り除かれたものの、そりゃあリピーターで爆発的な人気になるでしょうw

 ではなんで不思議なエナジードリンクがアメリカのドラックストアでは売られていたのでしょうか?


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 当時、アトランタには南北戦争の傷痍軍人が沢山住んでいました。その頃の医学ではモルヒネは無害で副作用が無い安全な痛み止めされており、傷ついた軍人には、とくに理由もなく、

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とりあえずモルヒネ打っとくか?

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という診療がされていました。

このため中毒患者がアメリカ南部の街にあふれ、社会問題になっていました。

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そのニーズにこたえたのが、モルヒネ中毒患者であり薬剤師のJペンバートンです。

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 彼の発明したコーラは、モルヒネと違い、安全で副作用がない安全とされるコカインを配合していたので、モルヒネ中毒の禁断症状緩和に効果も期待できる

これはいいぞ!

と新薬販売に踏み切ったわけです。

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 このヒット商品の類似品としてコカコーラのから遅れること12年後、ノースカロライナで似たような強壮剤ペプシコーラが誕生しました。

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 コカコーラはその利益をイメージ戦略にリソース全振り。

    特に瓶にはこだわりを見せ、加えて広告に20%を費やす戦略を選択。

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当然売上はぶっちぎります。

 当時の消費者は原材料など気にしていません。どうせコカインが入っていようが、劇物が入っていようが、即死しなければ問題にはなりません。

 コカは、広告に軍の英雄を用い、政府や軍への納入を積極的に行い、アメリカ軍の公式飲料をめざしていきます。第二次世界大戦では各部隊にコカコーラの社員が一人づつ従軍技術者としてつくまでになりました。

 世界中、アメリカ軍あるところ、コカコーラがあったのです。

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一方のペプシですが、その頃から、コカ・コーラをとにかくdisっていました。

* コカコーラはまずい!
* 変なものが入ってる!

あることないことを広告で主張しつづけます。ペプシはロビー活動で国に食品衛生法が必要だ!と働きかけます。

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 たまたま食品衛生法で規制される原料を使っていなかったペプシは、子供にも安心なペプシなどと短期的に販売数を増やすことに成功しました。

 このような嫌がらせをコカはもちろん容認せず、ペプシを3回ほど倒産しかけるほどの報復をします。

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 コカへの身売りすら拒否されたペプシは、細々と営業を続けます。プライドをかなぐり捨て価格はコカコーラの半額。今も業務用スーパーに行くとめちゃくちゃ安いコーラがありますが、そんな感じに落ちぶれます。この時点でペプシは変なコーラでした。

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1 世界大恐慌

しかしペプシは思わぬ幸運で業績が成長し始めます。

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ときは世界大恐慌、所得が下落し、皆が安いものを欲しました。業界初の2Lボトルは低所得者層の心をわしづかみにします。

アメリカの家庭で母親はペプシを買って来て、コークの瓶にいれてテーブルに出すようになったのです。これが2つのコーラの分岐点と呼ばれることになります。以後コーラは

黒人のペプシ  vs  白人のコカコーラ

という対立軸で動き始めます。

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2 ペプシの風雲児、Aスティール

この頃、ペプシ中興の祖がペプシコーラに転職します。王者コカコーラに喧嘩を売ったのは、元コカコーラの副社長、その名を

Aスティール

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彼の卓越した戦略はペプシを大成長させます。彼がいなければベプシはなかったでしょう。

ペプシチャレンジ

スティールはまず、ペプシチャレンジを1970年代に始めます。コカとペプシを飲み比べ、どちらがおいしいか実験するCMです。

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このCMを見たコカ・コーラは自社で同様の実験をしたところ、コカ・コーラを選択した被験者は5割。コカコーラ社の社員での実験で5割、コカコーラ社幹部家族を招いたパーティでの実験で5割というショッキングな結果が出ました。

コカ・コーラとペプシはほぼ同じ味なのですが、若干ぺプシの方が甘さが強いので両方飲むとペプシの方がおいしく感じるのです。

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味に絶対的な自信があったコカコーラ側は大いに震撼します。


3 ペプシジェネレーション

スティールは味で見劣りしないことを、お茶の間に周知したあと、若者をペプシのターゲットに絞ります。

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軍と結びついたコカコーラとベトナム戦争をリンクさせ、コカコーラを古いかたくるしい、既存の腐敗した権力の象徴にします。当時の流行していた反戦、自由、解放を標榜するヒッピー文化に追随したのです。

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我々は親父たちとは違う!

若者は古いアメリカとは違うのだ!

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というイメージ戦略です。これをペプシジェネレーションといいます。これ以後、コーラのコカ対ペプシはCMのクオリティ勝負の様相を呈していきます。

ダサいおっさんはコカ・コーラ!

俺たちイケテル奴らはペプシ!


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作戦です。白人もイカシた奴らは隠れてペプシを飲む、イケてるマイケルJフォックスも隠れてペプシ!秘密なんだぜ?


4 マイケルジャクソンの熾烈な引き抜き合戦

人気がある歌手やスポーツ選手はそれぞれ、ペプシとコカに熾烈な引き抜き合戦を受けます。それで売り上げが変わってしまうからです。

そんな中アメリカに神と呼ばれる超スーパースターが誕生します。その名はキングオブポップ。

マイケルジャクソン

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その当時でも、アメリカには黒人のスターはいることはいました。

ジョセフィン・ベーカー

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レイチャールズ

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ジェームスブラウン

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しかしその人気は黒人主体で、白人の一部は支持しましたが、人種を超えるスーパースターではありませんでした。

しかしマイケルは全人類、人種関係なく世界は熱狂するという、異常なスーパースターだったのです。彼が歌えば黒人も白人の若い女も気絶、嘘だとおもうなら、この様子を動画でご覧ください。

エグザイルよりキレキレ、玉置浩二より高い歌唱技術、イチローのようなカリスマ、まさにキングオブポップス。

当然マイケルは貧しさの象徴、飲み慣れたペプシを選択。そして史上最高にかっこいいCMが誕生します。

ペプシジェネレーションです。


テレビ、ラジオ、映画、ケンタッキーフライドチキンの店舗やディズニーランドでもこのCMは流されて一気にコーラの人気はペプシへ、それまで偽物としか呼ばなかったコカコーラ社首脳がペプシと呼ばざるを得なくなります。

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ペプシの攻勢に耐えられなくなったコカコーラは、とうとう1985年、コーラの味を変えてしまいます。

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その努力もむなしくスーパーでの売り上げで、コカはペプシに抜かれてしまいます。

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新しいコカコーラに全力投入していたそんな中、コカコーラ社には、抗議の電話が殺到します。

全ての抗議内容は

「元のコカコーラの味に戻せ!」

あんなのコカコーラではない!

慌ててコカ・コーラは元々の味のコーラを製造しはじめます。それが今でも売られているコカコーラクラッシックです。

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クラッシックではない方のコーラはフォーミュラコーラといいます。

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※フォーミュラは今販売されていません。

そうです。コカコーラの首脳陣は大きな間違いを犯していました。彼らは味でペプシに負けたと思っていましたが。消費者は飲みなれた味を欲していたのです。

そのため、今現在、コカ、ペプシ双方は学校の自販機のシェア争いをしています。なぜなら人間は子供の頃に飲んだ方のコーラ、飲みなれたコーラを選択するからです。

今、コーラは自社のコーラを飲みなれた味にすべく必死なのです。

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どの学校でもコカかペプシの自販機が納入されているのはそのためです。彼らはそのために学校に多大な寄付をしてでも自販機を置きたいのです。

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あなたの学校はペプシですか?コカコーラですか?それとも別な会社の自販機でしょうか?いずれにせよコカコーラかペプシコーラは入っているはずです。

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今もコーラは熾烈なシェア争いを繰り広げています。そのシェア争いは短いアメリカの歴史の中で、特筆すべき存在であったのです。



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