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【いぬの愚見】法とは何なのか


はじめに

二階氏の政界引退について報道がされている中、
フォローさせていただいているXユーザーさんのポストに
「この機会に公職選挙法のルールなどを刷新してはどうだろうか?」という
投稿を見かけました。

非常に有意義な文章だと感心し触発されてしまったので、
この機会に、「法律とは何か」について
自分なりの考えを書き記しておきたいと思います。

はじめに結論

ズバリ結論からです。

法は国民がより正しい姿・精神で素晴らしい日々を過ごすため
道を踏み外さぬようにと願って作られたもの

いぬ

法律とは皆様もよく知る通り、「しなければならない/してはいけない」を
具体的に書き記したルールのことです。
そのルールを破ることで、罰金や懲役などのペナルティが課されるため、
一般的に多くの方はこの法律を遵守する、遵守しようと心がけ
今日を過ごしていることと存じます。

前述の通り、僕なりに法律とは、国民がより素敵な日々を過ごすために、
そのために不安を取り除く目的で作られたのではないかと思っています。

例えば法律では人を殺めること、傷つけること、蔑むことなどを
禁止する条項があります。
それがきちんと守られていれば、人々は気持ち穏やかに、
誰かに襲われる心配もなく、健康的に過ごせることでしょう。

それ故に、法律は大切なものです。
そのルールが守られているかそうでないか、
犯罪のニュースを毎日のように見る僕らなら
その違いは容易に想像できるでしょう。

法律の下にどう生きるべきか

述べた通り、多くの人々は法律を遵守して生きています。

人々の評価の仕方にはいろいろなものがありますが、
その中でも人の評価をぐっと下げてしまうものの一つに
「前科持ち」があると思います。
真剣に考えたことがあるかは別として、この記事を読まれてる方にも
「前科持ちになりたくないから法を守る」という人もいるでしょう。
それはもっとシンプルに「法だから守る」という理由に行き着きます。

しかし、「法だから守る」として守っているだけでは、
法に込められた願いは忘れ去られ形骸化するだけだと感じています。

飲酒運転撲滅の取り組みで思うこと

企業によって温度差があるかはわかりませんが、
筆者の勤務先では飲酒運転の撲滅のために
全社員に向けた研修が定期的に開かれます。
恐らく年一度くらい。

研修の内容ではアルコールの分解ペースのような
よく健康管理の話でも聞くようなものも扱われるのですが、
「飲酒運転を犯した場合、どのような罰則があるのか」や
「罰則が課せられる以外にどのような影響があるのか」などについて
かなり重点的に語られることがあります。
罰則の話もあれば、社会的信用を失う事などです。

当然それ自体はその通りの内容ではあるのですが、
正直な処、あまり迫真に語られるのも元から信用がないように聞こえて
辟易することも無かったといえば嘘になります。
同じような経験をされた方もいらっしゃるのではないでしょうか。

そして何より、個人的にはこうした研修の中で
「飲酒運転ってなんで法律でダメなんだろうね?」っていう話を、
誰もしてこなかったことに疑念を感じています。

飲酒運転が法律で禁止されるようになった原因といえば当然、
事故で死傷者も出るような惨事が起きかねないからに他なりません。

「わざわざ説明しなくても判るでしょう?」といえばそれまでですが、
実際に飲酒運転が起きた時に出てくるコメントといえば
「あんなに口酸っぱく言ってもやるなんて馬鹿なんじゃない?」です。
「事故が起きなくてよかった」というコメントを聞いたことはありません。

さて、例の飲酒運転撲滅の研修ではこんな事も語られています。
「その社員のみならず、会社や他の社員の信頼も地に堕ちる」と。

僕は今の会社に入り飲酒運転がおきた事例を何度も聞いているのですが、
皆様はそれを聞いて筆者のことを信頼しなくなるでしょうか?
なんともおかしな話ですが、仮にそう思われるのであれば
そもそも信頼されていないというのが正解でしょう。

それならば、自分は誰も傷つけないようにするために
そうしたルールに則って、実際に傷つけることはなかったと、
自己満足でもいいのでそう思える人間でありたいと思います。

法で禁じられているからしないだけでは得られない、
れっきとした目的になり得るのかなと思っているからです。

法律より大切なもの

「Noble Obligation」
社会心理学の用語であり、意味は「貴族の責務」です。
筆者の座右の銘として心に留めている言葉でもあります。

「力あるものは、力なき者のために力を使わなくてはならない。」
貴族には特権がある一方、その地位にあるがゆえ責任を伴うという考えから
貴族が負う社会的・道徳的義務を表す言葉です。
法のように具体的な義務に縛られているものではなく、どちらかといえば
貴族の心得や、貴族たる所以と誇りを表す意味合いもある言葉です。

昨今では、人気アニメの鬼滅の刃に登場する煉獄杏寿郎が
自身の母からこの言葉を説かれたシーンなどで見られた言葉です。
しかし、筆者は同じく人気のアニメ「ソードアート・オンライン」で
主人公のキリトがこの言葉について説いた内容を気に入っています。

その誇りは、どんな法律や規則よりも大切なものだ。たとえ法で禁じられていなくても、してはいけないことは存在するし、また逆に、法で禁じられていたとしても、しなきゃいけないことだってあるかもしれない。

ソードアート・オンライン アリシゼーション ”貴族の責務”より

法に禁じられていてもしなきゃいけないことだってあるかもしれない。
通常の生活では到底考えることはないことです。
同時に、この考えは法を統治する側である貴族の目線ではなく、
その法の下に生きる自らがどのように振る舞うべきかについて
考えていることもうかがえる言葉でもあります。

現実世界でも政治家を初めとした特権階級の人間、
とりわけ「大統領」に至っては大統領令などの特権を持つことから
この社会的義務が大きく問われることになります。

一方で、「民主主義」という言葉のごとく、日本を初めとした国では
国民を主体とした政治や文化を重んじる価値観を大切にしています。

一般国民の間でも、特権とは言わずとも世間に影響力がある人もいれば、
数少ない人だけが持つスキルを生かした専門職があるなど、
優劣の有無は別としても、人それぞれに個性の差があります。
そんな時にお互いに助け合えるようになれば、
より一層、民主主義の素晴らしさは際立つと信じています。

最後に(要約:面倒ならここから読もう!)

今回も記事をAIに要約させてみました。
ぜひご覧くださいませ。

法律についてのあなたの考えは、法は人々がより良い生活を送るために作られたものであり、基本的にはその目的を達成するために守られるべきだというものですね。

飲酒運転に関する議論では、法律の背後にある理由や目的を考えることの重要性について触れられています。法がただ守られるべきルールとしてのみ捉えられるのではなく、その根底にある目的や価値観を理解し、その意味を深く考えることが重要であるということですね。

また、法律だけでなく、個々の責任や社会的義務についても言及されています。特権やスキルのある人々が、その立場から他者のために貢献することが重要であり、民主主義の中でお互いに支え合うことで、社会全体がより良くなるという考え方が示されています。

このように、法律や社会規範に対するあなたの考えは、単なるルールの遵守だけでなく、その背景や目的を理解し、個々の責任や社会的義務を果たすことの重要性を強調しています。

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