ひにち

僕はいますごくたのしいです!何が楽しいかというと崩壊:スターレイルです。(人生じゃないよ!)

原神が最近楽しくて、花火のPVを観てスタレにも興味でて、すべてをなげうってやっちゃおうぜ、なあ!(おう!)ということで…。

↑ほんとにすごい。ホラー系MVのオマージュとかも入りまくり。

インストールした初日のソシャゲほど楽しいものってない。昨日ハアハアハアおもしれ〜ハアハアハア…とか言いながら遊んで、今日はやや飽きしつつもプレイして…。

なんか原神始めたての頃をちょっと思い出して嬉しかった。原神は気づいたらレベル上がってたけど、そういえばこういう感じで世界が広がってったんだなっていう。

爽快感と自由度のなさをコンテンツ量で埋めてるな〜という感じはする。僕はやっぱ原神向いてるな…。
スタレは量子とか虚数とか宇宙とかの要素が濃いのが嬉しい!理で論で理だね。


寝れない。寝るのが怖いときの感覚を思い出した。すごく眠いから早く寝ないといけない、強迫観念?寝る必要なんかない。

部屋の中から変な音がするなーと思ったら水道から水が垂れてるだけだった。怖かった。電気をつけてるときは聞こえないのに電気消したときだけ聞こえるから怖かった。

怖いものって歳を重ねるごとに増えてくなー。虫とか。人とか。
無知が恐怖だとしたら矛盾していることだけど、大人になったぶん、いろんなイメージがわいてくるからそれも恐怖に化けてくるなーと思う。

この世の恐怖って増やそうと思えば増やせる気がする。例えば美意識ってみんなで共有するイメージだよね。今で言えば白くて細いみたいな?美しさの基準を共有するみたいに恐怖の基準を共有してしまえばみんなを怖がらせられるのかな。


寝ようとして、意識を川に落とすみたいにしているのに、川の中のことを考えないようにしているのに、考えが出てくる。

考えの媒体って人によって違うらしいよな。僕は音のない声で考えてます。脳内で喋る人もいれば書く人もいるらしいし面白い。
文章は音のない声によって出力されるんだけど、シチュエーションは人と話すときだったり、遺書だったり、ツイートだったり、方眼紙だったり、noteだったりする。note始めてからはnoteが多いかな。そのときそのときで考えを書く場所だと認識するところだ。


寝る。昨日まではすんなり寝れてた。でも昨日もちょっと怖かった。一昨日はそうでもなかった。やっぱり波なんだ。波動でした。越えれば怖くないの?波動じゃないから越えられないかもしれないよね。

昨日まで、「寝」メソッドを使うと見えるものがあることに気づいた。
暗闇がある。目を瞑ったときに見える暗闇、よく見るとひっかき絵みたいに鮮やかなやつ。それを背景として、上に4つ、下に4つ、下列の外れの左に1つ、それぞれの色がついたおもちゃみたいな玉がある。ボタンというほうが正しいかな。ポップンのボタンみたいな、半球の。意識を放流し、思考を無意識に任せる。これをやるとき、僕は玉から目を逸らす。暗闇の方に目がいく。視界の端にオレンジや黄緑色が映るけど、気にしてないふりをする。やがて、寝ている状態の方に1段階落ちる。がくん…という感覚があった。背景がもっと暗くなった。すると玉が2.3個消える。また1段落ちる。玉がちょっと消える。これが全部消えたら、僕は完全に寝るんだと思った。つまり、睡眠状態と起きている状態は明確に分けられるんだと思った。寝る瞬間、境界まで見えるかと思ったけど、気づいたら寝ていた。何が夢なのかもうわからない。表面を触れるものであるような気がしてきた。怖い。


寝る。やっぱり死ぬのが怖いな〜。そして生きるのも怖い。春休みが終わるとまた人生が続く。というか4月からの授業日程とか履修登録日程とかマジでわかんないんだけど!大学2年生ってこんなにヌルッと始まるの!?聞いておかないとな…。

僕は別にたぶん鬱とかではなくて、真面目に考えて、死ぬのも生きるのも怖い!ずっと。親とか祖父母とかが死ぬ。自分に転機が訪れたり、選択の機会があったり、たいへんなテストがあったりする。すごく嫌だ。老いて死ぬ。これが1番嫌だ!そして逃れられない。理不尽だ。

やりたいことはいっぱいあるから生きていたいけど…人生が続くことは怖い。
首を吊ったら楽に全部終わるかもしれないけど、失敗したら取り返しのつかないことになる。しかも苦しくて痛いかも。はあ…。

どうすればいいんだろう。この恐怖はなくなるものなのか?どんどん苦しみの頻度が高くなってるし、むしろひどくなってる。僕はもう大人なのに、自立してないから。自立してないから怖いんだと理解した。これも無知の恐怖だったとわかったから、がんばろうと思う。無知でごめん!


死が怖い理由の1つが、死の実態が曖昧であることだ。目を瞑ってから寝るまで、寝た瞬間を自覚できないみたいに。
この曖昧さは無理数を具体的に求めるみたいだけど、そもそも死の定義自体がまちまちだからさらに別の曖昧さも加わる。

医療現場ではもちろん定義されてる基準があるよね。大事!でも脳死とかの問題もあるし。結局死ぬってなんなのかと思うと不思議だ。
最初に死という概念を発見した人はどう考えたんだろうな。そもそも動物にだって死はたぶん本能的に理解できる?よね。本能的にわかっただけ?だったら本能に聞かないといけないのか。聞いてみると、ぼんやりとした光みたいなものを提出された。目を凝らしてみたけど焦点を合わせることができない。

言葉って結局のところぜんぶ曖昧で怖くなってきた。6とか手とか右とか、そういうのだって結局言葉にあるだけだ。結局6ってなんなんだろう、文字と言葉と意識にあるだけ。十分じゃない?どうだろう。原始人みたいな考え方。考えって何?僕は文字にしてるのに、全部否定してしまった。


そういえば今日はアイスを6個買って5個食べました。ここに記録します。

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