自分のことを美しいと思えない人へ。世で言われる「美人」って美の代表ではなくて、一つのジャンルの代表という話。


綺麗事じゃなく人間誰しも美しいと思っている派です。というか、思うようになった派です。

もちろん私にも好き嫌いありますし、道ゆく人全てに「ほう、美しい」なんて思っているわけではなく。

みんな誰かから見たら美しく見えるポテンシャルあるよねって話でして。

「美」に物差しはないし、バラを美しいと思う人もいれば石を美しいと思う人がいるわけです。美は受け手が美を感じるかどうかに依存してます。

そして、美と受け止める感受性は人それぞれで、同じ人でも経験値や考え方で変わったりする、それくらい繊細なものだと思っています。

しかし物差しのないはずの美が、今の世の人間の「美」には物差しがあるようにも思えてしまいます。

日本だと、細くて手足が長くて顔が小さくて左右差が少なくて目が大きくて……って感じでしょうか。でも、それは「美」と大きく括られて良いものか疑問だったりします。

彼、彼女らが美しくないと言いたいわけではなく。


「美」って「運動」とか「料理」とかそれくらい幅広い言葉だと思うのです。

一見美人はたくさんの人から「美しい」と思われるから美人って呼び方に矛盾を感じないのですが、その「美しい」は

「とある容姿の物差しで測った場合に上位に位置する」

のことだと思います。

美を代表しているというよりは、美の中の一つのジャンルを代表しているということなんですよね。

この容姿の物差しは、運動でいうとマラソンだったり卓球だったりサッカーだったり、それぞれのスポーツのルールのようなものではないでしょうか。

それを極めたアスリートのような人たちが俳優さんモデルさんなのでしょう。彼らが目を引くのも頷けます。たくさんの人から好ましく見えるのも事実でしょう。

そんなわけで、彼らは美を代表しているというより、美の中の一つのジャンルを代表しているのでは、と思います。

だから、自分がそのジャンルから外れていようと美しいことに変わりないし、自信をなくさないで大丈夫です。世の中にはそれ以外の物差しで溢れています。


なんで急にこんなことを書いたのかというと、私の大事な人がもし「自分は美しくない」と思い悩んだらどうしよう、と思ったからです。

そして14歳の頃の私にも。

私は自分のこと「とんでもないブサイクだ」と思っていました。電車に乗ると「みんなが私のことをブサイクだと思っている」と思って辛くて仕方なかったです。親に「なんでこんな顔に産んだの」と泣いて訴えたこともあります。でも表ではそんなそぶりは見せませんでした。一人で心の中でこじらせていました。自分の笑顔が気持ち悪かったです。自分が美しくないことがこの世の終わりくらいに思っていました。

どんどん自分を好きじゃなくなって、高校生の時に「私なんかと話してくれるんだから」と好きでもない人と無理やり付き合ってみようとしたこともあります。

だからこそ、私が書いたことなんて当たり前のことだけど、こうやって文章にすることが必要だなと思ったのでした。

「ああ、それ一つのジャンルだから」

って言える強さと自己肯定感を養いたい。

狭い世界にいると一つの価値観が全てと思ってしまうから、そう言われてもなかなか解せないでしょう。だから

「ああ、それ一つのジャンルだから。っていうか今度面白い人たちに会いに行こうよ」

って誘いたいです。

そのジャンルに固執するのであれば、メイクやファッションをそのジャンルに合わせて頑張ればいい。ちなみに私も固執した側です。

自分のことを美しいと思う権利はみんなあるし、誰にもその美を否定されて良いものではない。

物差しがあるから他人に勝手にジャッジされて美人だブスだと言われるけど、その物差しは全てじゃない。

ブスって言葉、それそのまま「そこに美を見出せない自分の心」なのではと思うのです。

最後に、あっこゴリラさんの新曲をどうぞ!

最高!!

https://youtu.be/gp3fdS-0u3M

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犬山紙子

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