20181025-11月号

新聞家さんとのイベントに向けたメモ③ 『現代詩手帖』掲載対談についてC

承前)(文責・山本)

☆空白・改行について
 詩をめぐってなされる、改行や空白をめぐる村社氏の発言についても、同意しがたい箇所が残念ながら多い。第一回で引用した箇所ではあるが、再度引く。

詩人の改行、空白は、個人的すぎるというか、何に要請されて生じているのかよくわからない。私が書くものは基本的に一人語りなので、一人称の小説と文体としては似てしまう。そのときに私の書くものも説明が足りない、空白があいている、文と文の間で説明不足だと言われますが、私の空白は、語を切り詰めた結果生まれてしまう空白なんです。語を活躍するようにすると、確かに前と後ろを繋ぐために役に立っていたかもしれない、それだけのために意味と関係なく動員されていた語は振り落とされる。その結果、あいているように見える。ふだん一人称小説を読み慣れている人からしたら異常なわけです。全員無茶苦茶働いていて、誰に質問していいかわからない(笑)。〔…〕詩人の呼吸は、わからなくするため、難しくするためにしていますよねって思う(笑)。

 先ほど記したように、詩というジャンルへの批判として、一定程度許容しうるところはあるように感じられる。しかし同時に、紙幅の問題もあろうが、具体例や理論的細部が欠けており、かつ、自身のテクストを高める発言が配慮なく混在してしまっているため、まるでおのれのテクストは良く、批判対象である詩のテクストは良くない、という根拠不明の判定をあらわにしているだけだと見なされる可能性が高い。これでは、ただ詩に対して無知なだけではないか、という軽い反論にすら、うまく対抗できないのではないか。
 当然ながら詩における改行や飛躍をめぐっては膨大な議論の蓄積がある。そこでは、「詩らしく」するためだけに無駄な改行を施すふるまいを徹底して批判するものもあれば、改行という操作があるからこそ可能になる異様な質感や思考をどうにか技術として言語化し、発達させようとするものもある。また作品においても、どうしようもなく下手で無意味な改行もあれば、圧倒的な強度を持った改行もある。《詩人の改行、空白》などと曖昧に一般化することは当然不可能であり、そのつどの改行や空白をめぐっての判断が、それまでの実践の歴史と絡み合いながら存在するだけだ。
※ちなみに詩における改行の歴史や実例をめぐっては、鈴木一平が中心となっておこなわれた講座の記録「いぬのせなか座連続講座 言語表現を酷使する(ための)レイアウト 第1回「言葉の踊り場」」で一定程度論じられている。試し読みはこちら
 それらをすべて抜きにして、ただ私が書いたテクストの飛躍は良く、別の人間が書いたテクストの飛躍は(なぜそうなっているかよくわからないから)いけない――そのような発言としてひとたび捉えられてしまえば、村社氏の理論はただ新聞家の作品を自己擁護するだけで、それ以外の者たちには何にも使用できないものにしかならないだろう。
 こうした危険性は以下の箇所にも感じられる。

ある語とある語は、いびつであっても、書いているからには私はそこに細々とした繋がりを見ています。点検が過剰になると、それが切れているように聞こえたりする。そうすると、それはそれで語に対して嘘なんです。細々とつながっていて、我々が共有できる日本語としての可能性があるのであれば、覚えて何回も稽古している身としてはその実現を目指す必要がある。覚えて何回も稽古しているのに、結局、切り貼りして点検だけを続けるのであれば、それも嘘になる。その辻褄合わせ。

《書いているからには》。ならば詩人に対しても同様の判定基準を持つべきではないだろうか(そもそもこの判定基準自体が一定程度批判されるべきものであるのは当然として!)。《書いているからには》などというかたちで、おのれが書くテクストをおのれにおいて擁護したとたん、背負うリスクはあまりに大きすぎる。
 しかもそのようなテクストを、村社氏は役者に対して提示し、その「意味」を汲み取るよう強いるのである。そこで村社氏は、《演出家の権威》の発露とならないよう意識していると語るが、はたしてそれは十全に避けられているだろうか。《書いているからには私はそこに細々とした繋がりを見ています》という言葉は、一方では眼の前のテクストを既知のパースペクティブのなかに収めてあっさり消化するのではなく真摯にそこに向き合うべきという倫理を起動させるだろうが、同時にもう一方では、書き手の権力の一方的な誇示として機能する可能性が残り続ける。ただおのれにおいて「飛躍はない、これは日本語話者なら共有可能であるはずだ」という意識でもって他者に自らのテクストをおしつけ、「他者を汲み取れ」と迫るなら、そこにはどこまでも、書き手と読み手の反転不可能な権力関係が強固に存在していると言わざるを得ないだろう。
 テクストに真摯に向き合うべきという、学部一年生が基礎演習で教え込まれるような姿勢はよいとして、それが書き手という像に(各々の意志と無関係に)回収される事態は、《私はテキストの書き手だけど、テクストのすべてを知ってはいない》という一言だけで済ませられるものではなく、最大限の尽力でもって避けられなければならない、そのようなシステムが入念に組まれなければならない。
※ちなみにここには、「書き手」と呼ばれるものをテクスト内部の運動に消化してきたここ数十年のフランス現代思想や批評の流れに対抗しようとする(傾向を感じさせる)村社氏の理論が、しかし結果として抱え込んでしまう極めて古典的なリスクの発露を見ることができるだろう。《誰かが書いたテキストだという事実を、上演においてどこまで有機的に立ち上げることができるか》という問いの持つ新しさや魅力を、損なわないままに十全に展開していくためには、本来であれば細心の注意が方方で払われなければならないはずなのだ。詳しくは後述する。

☆意見会、権力構造
 第一回で「⑦ポリフォニーの教育」としてまとめたが、村社氏の理論においては、不特定多数の人々=観客は常にテクストを読み込めていない存在として想定される。そしてそれに対して、書き手である自らやその下で稽古し教育された役者らは、すでに十分にテクストを読み込んだ存在として設定され、そのうえで両者の間の落差をどのように埋めるかが模索される。
 これは、もちろん《誰かが書いたテキストだという事実を、上演においてどこまで有機的に立ち上げることができるか》という問いへの答えを探るための手段として取られているものではあるだろう。たとえば村社氏のエッセイ「支度の声へのつぶさ」(来年公開)で記されているように、声をめぐる《二度もの疎外》――《一度は声がテキストを産み落とす過程において、二度目はテキストがまた声として練られる際にたどる形骸化の向きにおいて》生じるもの――を検討し、《「支度のディテールを人前で伝播させる」》ことを目指すことで、書くことに伴う思考をより十全に上演する……そのために、書き手と役者、役者と観客の、それぞれにおいて、読みをめぐっての経験の格差が必要とされるのだと考えることはできるだろう。
 ただ、こうした経験格差、ないしはそこから生じる教育関係を、ここまで見てきたような、村社氏自身に強い権力が付与される構図のもとで実践することには、やはり大きな危険があると思われる。テクストを《付随な対象》とした上で、意味を汲み取る責任を読み手に与えるというとき、それは書き手個人の認識に基づいて、日本語話者なら共有可能と私的に断定された基準をもとに、強引に「わかるべき」とテクストを押し付けられることにしかならない可能性がある。そこで頼りにされるだろう意味の共有性もまた、「日本語話者」という巨大な主語を強引に前提においてなりたつものでしかなくなる余地が残り続ける。
 書く経験と、テクストを上演する経験の、それぞれで経験が疎外されてしまっていると考え、そこで疎外されたものをなんとかさかのぼって考えようとするとき、その遡りは、決して「かつてあった純粋な原初」のようなものをめぐって設定されるべきではないし、その「原初」の位置をめぐって生じる格差が即座に「原初により近い正当な読み」とそうではない読みを事前に切り分け対立させることにつながってしまいうることを、決してうやむやにしてはならないだろう。「原初」というものは常にフィクショナルなものとしてしかありえないこと、そしてそれをめぐる営みにおいて生じる権力関係が固定化した途端、「原初」もまた固定化されあっというまに崇拝対象となってしまう可能性があること……。上演において目指されるべきは、一方向的な教育関係ではなく、様々な身体を投入した錯綜する教育関係(そしてそのただなかで生じるいくつもの「原初」)ではないだろうか。

☆複数の文のレイアウト
 さて、以下では、いぬのせなか座から刊行した鈴木一平『灰と家』をめぐる村社氏の発言を検討する。萩野なつみ氏の詩作品をめぐる発言と並んで、村社氏による詩をめぐる批評が比較的詳しく見られる事例のひとつである。
 まず、該当箇所の引用から。

村社 私が詩を読むときって、ただ分析的な態度なんですよね。貧しいっていうのはそのことで、鈴木さんの詩に「眠りにつくとき、途方もなく分厚い山を鋏で掴む」というところがありましたが、これを読むときに「途方もなく分厚い」はどうして動員される必要があるのか、と思ってしまう。というのは、山を鋏で掴もうとすると、おそらくそういう感覚になりますよね。雲との繋がりとかはわかるのですが、もしこれが音として動員されているとしたら、ちょっと厳しい。
カニエ それはどうしてですか。たぶん村社さんから見て余剰に思える部分は、ひとつには音に依拠していることがあると思います。詩はやはり「うた」でもあるので。どうリズムをつくっていくかということは詩人たちは多かれ少なかれ考えていると思います。
村社 「途方もなく分厚い」が活躍していないわけではなくて「山」が活躍していない(笑)。「山」が全力を出せない理由になっている。あとは、どうやっても像を結ばないということが、呼んでいくうちに細かく細かくストレスになっていきますね。

 分析的な態度で読む、というのは当然よい。曖昧なイメージや感覚で詩を評価するということに、先などもはやないだろう。当然言語化が難しい領域こそを詩人らは模索しているため、分析は作品に十全に追いつくことを常に阻まれている。しかも、その分析が単に分析者の独善的な判断でしか無い可能性も(繰り返すようだが)排除しきれない。それでも、批評はあらゆる可能性を考慮にいれようとしつつ、徹底したかたちでなされなければならない。そのような「分析的な」身振りこそが「豊か」であり、一方で、漠然としたイメージ評価=非分析的態度のようなもの(村社氏が自身の「貧しい」読みの反対側に置いている気配のあるそれ)は、むしろひどく「貧しい」ものとしてあると私は思う(村社氏も結局はそのように考えているのではないか)。
 では、村社氏の分析の内実はどうか。まずはここで言及されている鈴木の詩の全編を引いておこう。「水たまりに戻る道」という詩である。『灰と家』は見開き単位で複数の形式の詩文が構成されていることを特徴とするが、この詩は、右ページでは縦書きの改行詩が、左ページでは横書きの散文詩が、それぞれ配置されるかたちで構成されている。
 はじめに村社氏が直接引用した散文詩の方から、次にその隣のページに配置されている改行詩から、それぞれ全編を引用する。

眠りにつくとき、途方もなく分厚い山を鋏で摑むような感覚がやってくる。

疲れて眠るとき、それは雲のかたちをしている。あした会うかもしれないだれか、ひとのひとりの一日を、わたしの手から切り離す。雲のすき間から伸びた夕日が鱗雲の上、散らばって、くら闇の帯が空の果てまで伸びていく。

フィルムに映る頭髪を焼く手をわたしの手の上にうすく重ねて、閉じる目に縁取られた夜の輪郭が、樹液の言葉に置き換えられていく。
いまはもう日差しのなかでだけ沼になる、役場のうらで
わたしは坂道で、歩いてる熊を見たけれど
タイヤが重しになっていたせいで
わからなかった
公民館から太鼓を叩く音がして、この目は
雲が映ってる
埋め立てられるまえの日は、とても透んでいて
なにも映らなかった

はんぶん戸口の開いた家は
ここにきて、ここにきたのを思い出す雲が横になる
だれかを待っていて、いまもこうして
その沼を
日かげを支えに立っている
まっ青な水面の、奥行きごと映る空に手を入れて
すこしずつ、水たまりにもどる道
熊がその水をなめにやってくる

 まず、村社氏が言及している《眠りにつくとき、途方もなく分厚い山を鋏で掴むような感覚がやってくる》という一節からいこう。
 ここで村社氏は、《「山」が活躍していない(笑)》と指摘している。理由としては、《山を鋏で掴もうとすると、おそらくそういう感覚にな》るから。「山」という語だけで「途方もなく分厚い」という意味は表現されてしまっている。つまりわざわざ言わなくてもいいような比喩表現が、「山」に余分に付されてしまっており、その結果、ここで「山」という語が用いられる必然性が減ってしまっている、と。逆に言えば、「山」を活躍させるためには、それを形容する比喩が、「山」に還元されないような必然性をもつものでなければならない……。
 なるほど、確かにこの一文だけを見ると、そのように言いうるかもしれない。しかし、詩全体を見たとき、その見立ては維持されるだろうか。
 第一に、村社氏自身もひとこと指摘しているが、直後の文での「雲」との関係がある。《疲れて眠るとき、それは雲のかたちをしている。》ここでの《それ》は、「眠る」という動作の一致(と「疲れの有無」という差分)を介して、前文である《眠りにつくとき、途方もなく分厚い山を鋏で掴むような感覚がやってくる》にかかり、一種の交換可能性を生じさせている。おおまかに想定されるのは次の3パターン。①《途方もなく分厚い山》=《それ》、②《山》=《それ》、③《眠りにつくとき、途方もなく分厚い山を鋏で摑むような感覚がやってくる。》=《それ》。そしてこの3パターンの想定は、いずれかに限定することができない拮抗関係のもとに置かれている。
 重要なのは、この拮抗関係が、《途方もなく分厚い》と《山》、そして《雲》のあいだにまで、一種の緊張関係を付与していることである。たとえばもし《途方もなく分厚い》がなく《山》とだけ記されているなら、《山》と《それ》のあいだにはかなり頑健な一対一対応が生じ、結果として「一文目では、巨大なものを鋏で掴む感覚があるけれど、二文目では、雲=すかすかしたもの、を鋏で掴む感覚になる」というかたちで、単純な対比関係に消化できてしまいうる。しかしここでは、《途方もなく分厚い》と《山》が並べて記されている。そのため、《雲のかたちをしている》とされる《それ》は、単純に《山》とイコールで結ばれない。《途方もなく分厚い山》が《雲のかたちをしている》かもしれないし、《眠りにつくとき、途方もなく分厚い山を鋏で掴むような感覚がやってくる》という経験が《雲のかたちをしている》かもしれない。あえて《山》に《途方もなく分厚い》が付与されていることによって、《雲》は自らがもつ「軽く薄い」といったようなイメージでもって《山》の持つ「分厚さ、大きさ」を安易に打ち消したりすることなく、《途方もなく分厚い》ものとして立ち現れることができるようになる。
 さて、そのようにして実現した(《山》を伴う)《雲》の生成変化は、3・4文目で立ち上がる情景を、まず《山》を背景にするものとして形成するだろう。さらに、《雲のすき間》や《鱗雲》といった言葉らは、いちど《雲》をめぐるひとつの可能性として生じた《途方もなく分厚い》という質感を、再度キャンセルするものとしてあらわれる。もちろんこれは先ほど経てきた経験を完全に無しにするものとしてはありえず、むしろ「覆す」という身振りとして強く現れる。いわば、一文目《眠りにつくとき、途方もなく分厚い山を鋏で掴むような感覚がやってくる》があらわす局所的かつ重たい感覚が、二段落目へと一定程度維持されつつも、そこで《すき間から伸びた》《鱗雲の上》《散らばって》《果てまで伸びていく》などといった「面的に広く分散させる」イメージによって、局所的な重たさが破砕され複数化されていくさまがあらわされているのである。これは、《わたしの手から切り離す》という、明らかに《鋏で掴む》を想起させる一節によっても促されている。一文目では《途方もなく分厚い山を鋏で掴むような感覚》はある個人に還元されるものであったが、しかし二段落目においては、《ひとひとりの一日を、わたしの手から切り離す》ように、別の個人らのもとへと分配される。
※《山》とだけ書くのではなく、《途方もなく分厚い》というかたちで局所的な重たさがあえて明言されていたことによって、その質の複数化がより推し進められていることにも注意したい。もし《山》と書くだけなら、局所的な重たさは続く記述らによってうやむやにされやすくなってしまい、3・4文目での経験もただ軽い質感が方方へ分散されるだけのものになっていただろう。
 そしてその上で、三段落目である。《フィルムに映る頭髪を焼く手をわたしの手の上にうすく重ねて、閉じる目に縁取られた夜の輪郭が、樹液の言葉に置き換えられていく。》
 まず、またもや《手》が、二度も記されている。しかも、《うすく重ねて》というかたちで、ふたつの《手》が重ねられる。《うすく》は《鱗雲》の薄さを喚起させ、「局所的な分厚さ」→「薄い面的な広がりへの分散(複数化)」→「さらにそれを重ねていく身振り」という流れを生じさせる。個人が複数となり、それがさらに重層化していく。《置き換えられていく》という一節もそれを加速させる。
 また、《閉じる目》という言葉は、右ページの改行詩とのあいだで共鳴を起こす。《この目は/雲が映ってる/埋め立てられるまえの日は、とても透んでいて/なにも映らなかった》。目には雲が埋め込まれ、先に記した重層化の動きをより確かなものとしていく。
 さらに右ページの改行詩における《雲》という単語の置かれた配置関係を確認しよう。《ここにきて、ここにきたのを思い出す雲が横になる》。ある瞬間の出来事と、それをその後想起することによって生じる記憶上の距離の厚みが、雲として表現され、さらにそれが高速で《横》という状態へ変化させられる。ここでは《雲》が本来、《横》と真逆の縦方向の積み上がりを持っている可能性も付与されているだろう。縦から横へ。それはある個人の中に積み上がっていく想起の厚みが横方向へと分散させられるという、左ページの散文における運動と重なっていく。
 加えて《雲が映ってる》の「映る」に注目して、右ページの改行詩を見ていこう。《その沼を/日かげを支えに立っている/まっ青な水面の、奥行きごと映る空に手を入れて/すこしずつ、水たまりにもどる道/熊がその水をなめにやってくる》。
 まず《沼》は、改行詩冒頭で《いまはもう日差しのなかでだけ沼になる、役場のうらで》とあることから、なんらかの事物が変化したあとの存在としてあると考えられる。最終二行目で《水たまりにもどる》とあることから、《沼》は《水たまり》とのあいだで変換関係を紡いでいると考えることができる。《日かげを支えに立っている》とあることから、日差しがあるときには沼となり、それがなくなって日かげとなったときには《水たまりにもどる》、とも想定可能である。
 その上で、《沼》と《水たまり》の生成変化の狭間において生じた経験として、次の一節があるだろう。《まっ青な水面の、奥行きごと映る空に手を入れて》。ここでもまた、《手》が現れる。《手》はある個人の身振りを象徴化しているとも考えられる。それが、沼≒水たまりを経由して、空に介入しようとする。ここでは左ページの散文における《ひとのひとりの一日を、わたしの手から切り離す》とのあいだで対応関係が生じさせられている。
 しかも、空が《映る》沼≒水たまりは、明らかに《目》とのあいだでも変換可能性を起こしている。「局所的な分厚さ」→「薄い面的な広がりへの分散(複数化)」→「さらにそれを重ねていく身振り」という、左ページの散文において生じていた運動が、個人と複数のあいだだけでなく、視覚と身振りのあいだでも生じるものであったことが確かめられる。
 そしておそらく最も強烈なのは、こうして蓄積されていった運動らが、改行詩最終行で、熊によって摂食されるという事態である。《山》《雲》《目》などと幾重にも変換を起こしてきたものらが、あらためて凝縮されたかたちで(人間から見て)異種の《熊》のなかに収められる。個人と複数、視覚と身振り、いまこことそれを思い出すいつか、など、局所と分散を往還してきた動きが、さらにまったく異なる運動系列へとずらされる瞬間だ。ひるがえって人間=《わたし》は、《坂道で、歩いてる熊を見》るだろう。遠く離れた、決して相容れない「途方もない分厚さ」として。
※ちなみに左ページの散文の最後の一文《フィルムに映る頭髪を焼く手をわたしの手の上にうすく重ねて、閉じる目に縁取られた夜の輪郭が、樹液の言葉に置き換えられていく。》は、この詩全体で生じている運動をさらに凝縮化したものとしても読める。そこでは《フィルムに映る》という言葉で視覚の問題が先取りされ、また、異種たる《熊》とのあいだの関係も、《樹液の言葉に置き換えられていく》というかたちで別様に言語化されていた。ここでの、詩の全体と細部の入れ子−共鳴関係は、目や水たまりやフィルムに別のものが映り込むというイメージとのあいだでも、さらなる入れ子−共鳴関係を起こしており、もはや個々の運動を単独で取り出すことが不可能なほどの緊密さを見せている。

 以上のように、鈴木の詩は分析することができる。当然これだけですべての読みの可能性を網羅できたわけではない。より優れた思考をもたらす読みもいくらもあるだろう。
 その上で言えるのは、詩における言葉の可能性は、一文だけを局所的に見ても判定がほぼ不可能であるという事実である。《途方もなく分厚い山》という一節は、続く言葉らとの配置関係によって初めて十全な必然性を付与される。《雲》という語や《手》という語もまた、他の場所に置かれた言葉らとのあいだでの配置関係によって成立しているのである。言い換えれば、語ごとの活躍や意味や出自は、その語単独では決して測りえない。出自・意味は常に紙面上のレイアウトにおいて多重化している。あわせて言えば、語の活躍が《同じだけ》平等になされることもまたありえないだろう。語の活躍は、方方とつながりながらあるときには厚みを持ち、あるときにはささやかとなり、結果として凹凸が何重にも積み上がるようにして、非必然なものがなくなっていくというようなものとしてあるはずだ。各々の語を必然化するネットワークは、単独で一律平等に紙面全体を覆うのではなく、ちりぢりになりながらその重ねの複数によって全体をいびつに接続させる。
※鈴木一平『灰と家』は、一冊のなかに俳句や日記、改行詩、散文詩など様々な形式を行き交わせている詩集だが、それら作品のあいだでは、特定の言葉が何重もの引用関係におかれていることに注意したい。つまり、今回分析した詩における改行詩と散文詩のあいだの関係のようなものが、詩集全体にわたって生じさせられているのである。詩における営みは、こうしてある単独の作品内部で完結するのではなく、複数の作品が寄り集まった詩集という単位、さらにはそのデザインや流通まで含むかたちで実行される。


つづく

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