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テキストの鮮度、視覚詩のデザイン、文字列のエンジニアリング(笠井康平)

■視覚詩歌のクロニクル
・今週の土曜日に、いぬのせなか座を代表して、山本くんが加藤治郎さんと対談することになった。せっかくなので、ちょっとした企画をやろうということで、視覚詩の歴史を手分けして調べている。

・Tweetに引用しやすい長さでいうと、「視覚詩の歴史は約2300年前からあって、神託の道具、庶民の遊び、若い詩人の宣言、超-現実を夢見た実験、装幀家の野望、「書物」からの逸脱、国際協調、Webとの遭遇、詩型の融合といった、その時代ごとの流行りがある。」(105字)

・調べを進めるなかで、僕たちは、「当日までの予告にもなるだろうし、作業メモや書誌を公表してみたらどうか」と思いついた。ただ、いつもみたいに、みんなで・何回も・納得するまで修正と編集を繰り返していたら、それだけで平成最後の夏が終わってしまいそうだ。

・というわけで、荒削りのまま、備忘録っぽく、出すことにした。

・Disclaimer(免責)としては、僕たちにはこれといって統一した見解があるわけではなく、それぞれが関心を寄せて掘り進めているエリアも異なるから、「ある視点」からはこう見えているだけだと思ってください。先行する国内研究の咀嚼は粗めで、とくにここ30年の動きは手薄なところが大いにある。何より海外の潮流をあまり辿れてない。中東、東南アジア、アフリカ、南米の動きがぜんぜん分かってない。

・校閲を丸投げするようで心苦しいのですが、もし深刻な誤りがあったら、この記事の主要な作者(@kasaikouhei)宛てに、お知らせいただけたら嬉しいです。

・ちなみに、対談は、紀伊國屋書店新宿本店で、6月16日の午後15時から行われます。特設ページの「ご予約電話番号」(URL)にかけると、売り場のひとが応接してくれて、まだ空席があるかを調べてくれます。保留音がなにかの楽曲だったんだけど、忘れちゃった。気になるひとは電話してみてください。


■図像詩
・視覚詩の起源は、紀元前3世紀頃の古代アレクサンドリア(ヘレニズム時代)の「図像詩」(Technopaignion)にまで遡れる。斧やつぼ、十字などの宗教的モチーフをかたどったもので、内容も難解で、神託のようなものだったという。19世紀ドイツの文献学者が、「figure gedicht」と総称し、その歴史をまとめる。ウルリヒ・フォン・ヴィラモーヴィッツ=メレンドルフ(ニーチェの論敵)も、その一人のようだ。(うろ覚え)


■「文字で遊ぶ」庶民のホビー

・古代ギリシアの図像詩は、ロスト・テクノロジーとして忘れられていく。でも、文字の配置を楽しむ技法自体は、古典詩の形式のひとつとして一般にも楽しまれたという。17世紀に盛んになったそれらは、carmina figurataとか、versi intexiと呼ばれていた。暮らしのなかにありふれた雑貨、景色、記号などがモチーフ。どちらかといえば、絵文字やアスキーアートの遊ばれ方に近い。

■異国の「文字」にふしぎ発見
・また、イエスズ会が「漢字」を極東から持ち帰ったことで、学者や貴族たちが、表意文字というものがこの世にあると知るようになる。後年になって、バロック時代に書かれたこれらの詩を、20世紀の作り手たちは大いに意識するようになる。ただ、語族の歴史が文字としてどう展開したかを探求するのは、別の機会に。ちなみに、ここまでの整理には、主に岡見さえ、長畑明利の仕事が参考になった。


■平安時代の職業歌人は視覚詩を作ったか問題
・ところで、手元に集まった視覚詩の研究資料では、その後の1500年ほどはさほど議論の対象となっておらず、西欧近代まで一気に時代が飛ぶ。けれども、韻文表現の歴史に目を向けてみると、日本には紀貫之から尾形光琳らに行きつく屏風歌の広大な伝統がある。漢詩はレイアウト詩歌の静的実演として極みに極まっている。それらは浮世絵と草紙の作り手たちに引き継がれ、19世紀・西欧に「発見」されるにいたる。木版が紙になり、刻印が書字になった後の、書字が活字になり、写字が写植になる前の、皇族・貴族による遊びとお作法の連綿。これも、最広義の視覚詩を考えるときには、たぶん見過ごせない。文字のポゼッションとゾーンの問題。


■若き芸術家の、何とやら
・19世紀には、言葉遊びとしての図像詩ではなく、詩の新しい書き方を探す若者たちの実験法になった。彼らは、アルファベットが表音文字でしかないことの制約から離れて、意味と形のずれを際立たせたり、なくしたりしたかったようだ。みんな大好きマラルメは、その代表例として語られる。この頃、「漢字」への関心も生じて、「中国人のエクリチュールはイデオグラフィックである」なんて憧れられる。アポリネールは、字を、ゲームデザインにおけるドットのように使って、図像を描こうと試みた。浮世絵の背景に描かれた字は、絵でも詩でもあるものとして楽しまれたようだ。アポリネールも日本美術の批評を発表している。


■きれいな字の描き方、おしゃれな文の置き方
・20世紀前半の視覚詩は、表音文字の限界だけでなく、書籍の装幀・造本や、印刷・製本という営みからの逸脱を求めて、絵画に近づいたみたい。ダダイズムやシュールレアリスム、未来派と、互いに影響を与えていた。「見開きだけで何十種類もフォントを使っちゃうもんね」とか「印刷のずれや汚れ、重ねも利用するよ」とか「活版の大量印刷より木版とか石版で手刷りのほうが表現が自由だよね」とか。一群の表現は造形詩とも呼ばれる。

・その後、フランス詩の路線のひとつは、「文字(という図像)を書く」こと自体の追求に向かい、アンフォルメル絵画と合流する。ドートルモンはロゴグラムという形式を考えた。各路線は、カリグラフィの(きれいな、整った字を描く)技法にも乗り換えられるし、文字による表現にこだわらず、絵画や演劇、音楽に身を転じた地域にも行きつく。ポンチ絵は文字だ、と仮定するなら、漫画のふきだし、効果音、コマ割りにもつながるだろう。目的地までの最短経路を選ぶといいと思う。

・いまの世代からふり返ると、萩原恭次郎や草野心平も、その大きな潮流のなかで詩作していたように見える。萩原恭次郎が「未来派、すごいよね」という趣旨のことを何度か書いていたのは見かけたけど、日欧の作者たちが直に接点を持っていたかまでは詳しく点検してない。横光利一がトリスタン・ツアラを訪ねたりしているから、それなりの交流はあったんだろうと思う。一平くんと山本くんは僕より明治-大正期の詩史に詳しいから、書誌には山村暮鳥や与謝野晶子&鉄幹の名前もあげていた。


■戦後の国際ムーブメント
・僕は戦中-戦後詩に明るくないから、占領期から高度成長期に話が飛んじゃう。20世紀後半にいわゆる「視覚詩」は、1950年代以降に世界各地で試みられた「ヴィジュアル・ポエトリー」「コンクリート・ポエトリー」の流れから始まる。新国誠一や、彼が主宰したASA(Association for Study of Arts)が中心的存在として語られる。戦前から昭和半ばにかけて北園克衛らが主宰した「VOUクラブ」の機関誌「VOU」が、引き合いに出されることもある。世界各地で、そのような雑誌が刊行されている。

・「日本の視覚詩における素材と構成 ― コンクリート・ポエトリーを中心に」向井 周太郎(武蔵野美術大学教授)(2001)の要約が端的で、「同時的な星座のような配列のテクスト、多焦点的な時間性、語の脱意味化による多義性の喚起、メッセージや感情表出の伝送ではなく構造の伝達、表意文字(イディオグラム)的な構想の重視、素材としての語の音素・形態素・意味素ーそれらの同時性、反主観的・反隠喩的な言語の実現、文学の超国家性」が志向されていた。

・雑駁なまとめだけど、その国にありふれた文字による、よくある書籍の、ありきたりな制約から、いかにして新しい距離をとるか。その手練手管が試されていたという印象を受ける。このあたりの解説は詳しいひとに頼みたい。当時を知る方にも、そのときの雰囲気を教えてもらえたら嬉しい。未読だけど、シモン=及川 マリアンヌの諸論も気になってる。


■この「書物」からの、卒業
・いくつか読んだなかでは、例えば「眼」の写真を紙面に並べるなど、文字を表現手段とすること自体をやめてみた作品もみられる。表現も細分化していくし、あちこちの雑誌やポスター、リーフレット、チラシ・ビラで作品が作られたようで、生半可な覚悟じゃとても追いかけきれない。読み終えられない詩とか、バラバラに分解できる書籍とか、どこから読んでもいい本とか、特性は多様。

・素材としての「語」が、記号として潜在的にまたは事後的に持ちうる情報のうち、何を抽出し、何を捨象するかを制御しようとする姿勢だけは共通しているかもしれない。言わば、複写機の哲学。


■1970-1980年代
広告は視覚詩か、という重めの問いが横たわっている。


■デジタル、デジタル、ルルルルル
・2010年代に入ってからは、デジタル詩との混淆も、研究対象とされ始めている。1970年代にコンピュータが研究者のあいだで使われるようになって以来、商用化、家庭への普及、モバイル化、スマートフォン化、ヘッドセット化など端末の技術革新にともなって、折々の「画面」に対応した詩が書かれている。

・絵文字やアスキーアート、URLリンク、文字のアニメーションなど、文字が表示されるシステムに仕様として用意された表現を使いこなすことの――あるいは意図的にバグを呼び込むことの――探求でもある。

・ni_ka「具体詩更新宣言」(2012)や最果タヒ「詩ュ―ティング」(2014)などが話題になった。水野真紀子「視覚詩とデジタル詩における言語性と造形性の関係の記号論的分析」(2011年)が参考になる。科研費DBの概要だけでも読むといい。


■ハードな画面、ソフトな画面
・ここで「画面」とは、家庭用パソコン、ケータイ電話、スマートフォン画面、AR/VRの描画空間、プロジェクションマッピングの対象面といった「物理的に存在し、手でさわれるもの」をいうこともある。

・デスクトップ、ホームページ、メールボックス、掲示板、ブログ、ニュースメディア、SNS、ドキュメント共有サービス、表計算ソフト、スライド作成ソフト、編集デザインソフトといった「仮想的に描画され、コマンドやキーで操作できるもの」をいうこともある。

・前者を「ハードな画面」と呼び、後者を「ソフトな画面」と呼んだうえで、「紙面にとって画面とは何か」という、一見するとバカっぽい問いを考えてみる。印刷技術は、「やり直し」が効かない――正しくは、「失敗」扱いされる。だから、「ソフトな画面」は、制作の過程で(ある意味、ライブに)登場したあとは、「頭に思い浮かぶもの」としてしか共有されない。つまり、紙面にとって画面とは、多分に空想の産物なのでござる。って、これはお行儀のいい理解。


■融解する「文字」の輪郭線
・もう半歩進んで、「ハードな画面」も「ソフトな画面」も、(ミルフィーユみたいに)多層の「面」が幾重にも重ねられて成立すると考えてみる。

・すると、ケープタウンの街路地図は詩集なのか、気象庁の雨量レーダーは詩人なのか、円周の内縁に「日本国百円」と印字された銀色の小さな円盤は詩篇なのかと問うはめになって、視覚詩と造形芸術との国境線で、夕暮れ時に財布とパスポートを盗まれた観光客みたいな気分になる。

・深夜アニメの主題歌を声優さんに唄ってもらって、その音源から肉声の音素だけを抽出、数値化し、時系列データとして描画したグラフは、信号処理に長けた技術者にとって、「声」が聴こえてくる「詩歌」なのだろうか、とか。国際標準に準拠して地理情報を表現するための位置参照方式は改行詩なのか、とかね。


■「文字」の生殺与奪権
・そんな気分のまま、2010年代は、情報処理ソフトウェアの操作感覚が、書籍デザインに「逆輸入」された一方で、Webデザインもまた、装幀・造本の美学を「再-活性化」した時代だと仮定してみる。その目線でみると、視覚詩の歴史というのは、古代ギリシア詩から中近世の宗教芸術、近代詩、アーヴァンギャルド、戦後詩、文芸雑誌、ブックアート、広告コピー、Webデザインといった文章表現史の諸局面で繰り広げられてきた、「文字」の鮮度を活かす/殺す技術の総体であるように思えてくる。

・もちろん、ずっと昔からそうだという意見も、いまだにそうはなっていないという意見もありうるけど、そのあたりは観測値が従う確率分布が一様ではなく、僕たちが推測対象となる分布についての十分な情報を得られていないだけなので、みんなで追試をやって精度をあげよう。


■あらゆる文字列(any-gram)がエンジニアリングできるので
・というわけで、2000年ほど通史してみると、大きな潮流として、書き手による工夫よりも、デザイナーやエンジニアによる工夫のほうが、その挑戦と達成に占める比重を高めているようである。Writing(書くこと)よりも、Texting(画面入力すること)のほうが身近な動作になっているし。

・視覚詩の主たる関心も、文字から文字列へ、文字列から平面へ、平面から時-空間へと移り変わっていると言えるかもしれない。言い換えればそれは、視覚詩(visual poetry)が、あらゆる文字列(any-gram)をあらゆる場面(any-field)で記録し、呼び出し、操作できる、ということでもある。

・考察の域を出ないけど、この状態は、形容詞のないアナキズムを生み出すことも、極度に統制されたマスゲームを生み出すこともありうる。どちらの極に振れるかは、たぶん、その表面で対戦するプレイヤーの計画と、戦術と、実力と、人数に依存する。だったらなんだ、って話だけど。

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