泡シャンプ

皮膚にダメージを与えずに皮脂を落とす難しさは人づきあいに似ている

ぼくはヒトと距離を詰めて付き合う事がとても苦手だ。それでもヒトが嫌いなわけじゃなくて誰かと繋がっていたいと思う。




適度に離れた距離なら大丈夫なのだけれど距離が近くなると例えば連絡がおっくうになったり、LINEの返信をしなくなったり、それでもTwitterは更新したりする。仕事のメールは二日に一回みる程度で一日3件くらいしか返信をしない。




これにはいろいろ訳もあるんだけれどあまり長く自分を語る事も好きではない。端的に言えば人にぐいぐい来られても嫌だしほっとかれるのも嫌だ。





「俺のタイミングで全部やらせてくれよ」になりがち。見る人からすればとても性格がわるいし傲慢に見える。





なおさなきゃ!と思えば思うほどスマホとPCを放り出したくなる。だけどスマホには大事なゲームのデータがあるしPCには大事な資料が入っている。高いから壊す気になれないだけ、という説もなくはない。







夜にスマホが鳴ると少し憂鬱になりながらそのまま見なかった事にして枕に埋もれて気絶する。







大人数でわいわいやる飲み会とかもあまり好きではない。ちゃんと話したい事がある人とはきちんと話したいから少人数でお願いする事が多い。その場にいない人の話しをする人も苦手だし意味のない会話をするのも苦手だ。





だからと言ってすごくLINEの返信が早い人や大人数でわいわいする人や噂話が好きな人、一気に距離を詰めてくる人たちが嫌いなわけではないし、むしろ好きな人が多い。うらやましいとも思う。





そういうのが好きな人とそういうのが嫌いな人がいる。ただそれだけ。そこに良いや悪いがあるわけではなく「そういうことがある」という現象が目の前にグレーのモヤをつくる。





わいわいやるのが好きな人はそういう人同士で遊ぶのが幸せだと思う。ぼくはいいや、楽しんできてね。(ぼくは)大丈夫だから。




LINEのやり取りが好きな人は好きな人同士でやるのが幸せだと思う。だけどぼくはグループに入れないでほしい。(ぼくは)大丈夫だから。




何か楽しいことがあると人にシェアしたくなる気持ちもすごくわかる。だけど少しだけ立ち止まって考えてほしい。「楽しいものの紹介」はとても心地いいのだけれど「楽しいものの強制」をされると嫌悪感が深いところでうごめく。小学生のときに母親に言われた「宿題やりなさい」に近い。ほっといてくれ。




Twitterにはそのあたりすごく助けられている。みんなの「こういうのいいよ」がたくさん散らばっている。Facebookだと「わしの言うことを聞け」感がすごいし、インスタは無言のオシャレマウントがこわい。そこで輝ける人がいるのはいいことだと思う。だけどぼくには合わない。






性格が悪いと言われればそれまでなのだけれど、ぼくは一人でコツコツと何かをすることが「好き」だ。グループワークをするよりも自分の中の自分と議論を交わすことを好む。論文を検索するのも一人のほうが早い。




だけどこのぼくの「好き」を他人に押し付けるような事はしたくない。一般的に「これ楽しいから一緒にやろうよ!」はあるけれど、そもそも「自分が一人で何かしてるからおまえも一人でなにかしろよ!」とはならないから・・・なのかな。とひとりで納得する。




ぼくが誰かと何かしたいときは「こんなのがあるのですがちょっと興味とかあったらよかったら来てもらったらめちゃくちゃ嬉しいですけど、、あの、、あっ、、無理なら全然大丈夫です」くらいがちょうどいい。誰かが何かをしたいと言い出せば、倫理に反していなければ全力で応援する。





漫画で言うなら幽遊白書の「蔵馬」が好きだしナルトでは「シカマル」が大好き。ぼくのヒーローアカデミアでは「轟」が好き。冷静と情熱がベストバランス。ワンピースだとルフィやゾロやサンジにあこがれるけどぼくの立ち位置はたぶんニコ・ロビン。





同じ漫画でも人それぞれ推しも違えば好きなシーンも違うように。「みんな飲み会が好き」なわけでも「みんな一人が好き」なわけでもない。





かくいうぼくも、ここまでさんざん「一人が好き」と言いながらたまにみんなでわいわいするとやっぱり楽しかったりもする。「自分はこうだ」と決めつけるのは簡単なのだけれど





「誰かから連絡がきて憂鬱になるときもあればうれしいときもあって、一人が好きなときもあるしわいわいするのが楽しいときもある」





最近ではわりと周りの理解もあったりで順調に進んでいる。自分の性格と周囲との付き合い方に32歳にしてやっと慣れてきた。理解してもらえる言い回し、失礼にならない対応。心地いい距離のとりかた。




イヌの皮膚と数年真面目に向き合って見えてきたこともある。




例えば「膿皮症」の子、すべてに「ノルバサン」を使えばいいわけではない事。



例えば「マラセチア」の子すべてに「マラセブ」を使えばいいわけではない事。



例えばサロンに来る子すべてに「下洗いシャンプー」を使えばいいわけではない事。



例えばすべての子に「オゾンシャワー」を使えばいいわけではない事。




例えばぼくはヲタクだけれど、雑なヲタク話しを振ればいいわけではない事。




刺さる場面が違うんです。(確信)




「例えば」




ヒトと向き合うときもイヌの皮膚と向き合うときも、この「例えば」は無数に存在する。




その洗浄力はその皮膚に必要なモノなのか?余計なお世話じゃないのか?そのやさしさはその皮膚をちゃんと満足させられているのか?もう少し踏み込んでいいんじゃないか?その薬浴は意図があるか?皮膚に迷惑になっていないか?メーカーの説明は適切か?過度に信頼しすぎていないか?そのシャンプーで健康な皮膚を阻害して悪化要因を作っていないか?そのフードが本当にその子の皮膚に合っているのか?その論文は意図的に有利な条件設定をされていないか?




例えばのオンパレード。書けばきりがない。5万字くらいは例えばをあげられると思う。





その「例えば」が無数にある中でそのヒトに。その皮膚に。そのイヌに。その時期に。適切なアプローチができているかいつも自問自答している。答えはひとつではない。だから面白い。





ぼくの「例えば」には基本的にエビデンスが紐づく。科学的根拠がそこにあるか、ないか。それが土台になっています。エビデンスのない話しや論拠に乏しいものが土台にある人と話しをすると泥仕合になりがち。





ぼくがサザエさんの中島だったとしてグローブとバットを持って準備万端。「いそのー!野球しようぜーっ!」ってカツヲを呼ぶとカツヲが家の中から水中メガネと海パン姿で飛び出してくる感じ。



多分このカツヲは右手にカーリングの丸いやつ持ってるし左手にはエアーガンとか持ってる。。。。もうお前の勝ちでいいよカツヲ。。。。。





あなたの「例えば」はどんな基準でできているかはぼくには量れないけれど、その中のひとつにこのクレンジングオイルが入ると嬉しいです。(やっと商品紹介)




BOKUMO.クレンジングオイル

全成分

オリーブ果実油、トリイソステアリン酸PEG-20グリセリル、エチルヘキサン酸セチル、テトラオレイン酸ソルベスー30、ゴマ種子油、スクワラン、トコフェロール、ヘンナ葉エキス、メリアアザジラクタ葉エキス、ダマスクバラ花エキス、ショウズク種子エキス、カシアアウリクラタ葉


「合成エステルやミネラルオイル」ではなく「油脂」をメインとして、それをさらに精製したクレンジングオイルです。成分を配合する際に使用する「可溶化剤」も極限まで減らし皮膚に与えるダメージを最小限に、かつ皮脂を落とせるよう。各成分の配合比率をギリギリまで調整しました。



BOKUMO.シャンプーとの洗浄力相性も考慮した設計になっています。ここまで黙っていたのですが、、、あの、、、どうしてもぼくがクレンジングに入れたかったオイルの原料を持っている会社がどう探しても日本に一社しかありませんでした。



それはオーガニックハーブパックで有名な「株式会社ユーリカ」様が製造特許を取得されている「スキンケアオイル」でした。



・・・・・特別に原料供給いただきました。(ガッツポ)



・・・これは本来塗り置き用のスキンケアシロダーラオイルです



これを贅沢にもクレンジングオイルに配合させて頂きました。ヒト用の高級クレンジングオイルにも引けを取らない・・・というよりも完全に勝ちにいったクレンジングオイル。皮膚にダメージを与えないのは不可能だけれどそれでもできるだけ優しく落とす。そんな奴です。はじめは人の顔でお試しください。違いがわかるはず。スクワランもいい仕事してます。化粧品なのでお客さま(人)への販売も可能です。




さて、これで新商品の「フェイスフォーム」「スキンケアローション」「クレンジングオイル」の簡単なご紹介がおわりました。もっと難しい所や詳しいことは一度使ってみてから聞きにきてください。





ぼくも、あなたも、やさしく包んで。





BOKUMO.のパッケージにはすべて開発コンセプトであるこのワンフレーズを使用しています。すべて法律上化粧品なので、イヌにもヒトにも。是非。





新規取扱店舗枠はあと30件程です。一時メールの返信やお電話をストップしていたのですが明日から再開致します。




新規取扱希望業者様へ→お取引きの際には「動物取扱業番号」が必要です。絶滅せよ違法営業サロン。お問合せ時にサロン名とご住所とお電話番号を記載の上
「 bokumo.shampoo@gmail.com 」までご連絡ください。





ここから下はちょっと個人的に思う事を書いてます。商品に関しては関係ないので興味のない人は読まなくても大丈夫!






先日インターペットに行ってきましたが、ペット業界自体が抱える問題は根深い。目先を変え品を変え、根本的に何が変わったわけでもない、逆にイヌに負担をかけるようなものが新しいと宣伝される。




このままではぼくたちが知識をつけて、視野が広がっても天井はそんなに高くないからすぐに行き詰まってしまうんじゃないか。




そんな感想を抱きました。




医療の否定から入り論拠の乏しい内容での脅迫。ひとしきり脅したあとに「うちの商品なら大丈夫です」こんなものがいまだにのさばっている。





医療というものは、メリットとリスクを必ず持ち合わせる。100%確実に結果を出せる保証もなければリスクをゼロにすることも不可能だ。最悪命にかかわりかねない決断は何よりも「科学」に基づく客観性をもった意思決定が必要で、個人やメーカーの営業一人の思想や好悪で判断されるものであってはならない。誤解を恐れずに言えば、モノがヒトの誤った善意でイヌを苦しめるものになってしまっている。具体的には「無麻酔歯石除去」や「高タンパク質のフード」や「洗浄力の高すぎるシャンプー」がこれに該当するだろう。





モノごとを肯定するばかりではなく、モノごとを否定するばかりではなく、「君はこう言った。ぼくはこういう考えでこういう結果になると思うけどどうなんだい?」という建設的な問いかけをしていける人間でありたいしそう在れるように努力をしていこうと思う。




いつでも科学は「今考えうる最善はおそらくこうだろう」というものだ。先人の研究を否定することから新しい科学は産まれる。だがペットに関して現状がずさんすぎないか。そう思う事が増えた。「売れる事」を優先しすぎていないだろうか。きちんとした眼を持った人間が、きちんとした商品を買い支えられる仕組みが作れないだろうか。1人の消費者としてそんな事を考えています。





"確信というものは、知識のあるところよりも、知識のないところから生まれることが多い。
あれこれの問題は科学では決して解明できないだろうなどと自信ありげに断言するのは、 知識のある人ではなくて、無知な人々なのである。"
(ダーウィン「人間の由来」より)





今日は天気がいい。店の少し遠くの山に桜が見える。今から見に行こう。そして枕に顔をうずめて気絶して、また新しい朝を迎えよう。


なにもかも忘れてしまう前に。

取材費や研究費に使わせて頂きます。おなかがすいたらぼくの晩ごはんがアップグレードします。