見出し画像

世界はどんなふうに聞こえるか。サウンドスケープ《音の風景》について 〜その1〜

いま、わたしは『妖怪の音』について研究しようとしています。
なぜそんな研究をしようと思いついたか、それはまた別のときに書きたいなと思っていて、今回は、研究のひとつの土台になっている「サウンドスケープ」という概念について、わたしなりの説明をしてみたいと思います。
サウンドスケープ好き&妖怪好きのわたしの話、その1です。

サウンドスケープとの出会い

サウンドスケープという言葉は、カナダの作曲家、マリー・シェーファーさんが考えた言葉で、英語で風景のことをいう「Landscape」をもじった造語です。綴りは、「Soundscape」。

わたしがこの言葉に出会ったのは、大学生のとき。わたしは音楽専攻でもないのに、作曲の先生を訪ねて、音楽理論を教えてもらっていた。厳しくて優しくて、大好きな先生だった。単位にもならないのに、毎日のように通っていた。モグリのゼミ生、みたいな感じだった。

研究室にはたくさん本が並んでいて、眺めているだけでも楽しかった。
その本棚に、マリー・シェーファーさんが書いた『世界の調律』という本があった。これが最初の出会いだったと思う。

画像1


サウンドスケープは、そのまま「音の風景」という意味。
「聞こえるおと」「聞く行為」にも注意を払おうよ、と問いかけています。
近現代を、「目に見えるもの」が重要視される視覚優位の時代ととらえて、それでいいの?目に見えるものだけに注目をするのではなくて、世界を耳で聞いて感じてみようよ。そんなことを問いかけている。
世界は、「見える世界」だけじゃなくって、「聞こえる世界」もあるよねってこと。

この世界がどんなふうに「聞こえる」か、耳を澄ませてみれば、また別の感じかたができる。

いま、この記事を書いているときに聞こえてくるのは、蛍光灯のジーッという音、ご近所さんのしゃべり声。近くの交差点では、歩行者信号がピヨピヨ鳴っている。道をいくクルマの音も、よく聞いていると色々な種類がある。スマートなエンジン音もあれば、トラックの力強いエンジン音もある。ときどき、マフラーが騒がしいバイクも通る。

画像2

いま、あなたのいるところでは、どんな音が聞こえてきますか? 


いろいろなサウンドスケープのとらえ方

「いま」身の回りでどんな音が聞こえてくるかだけでなくて、サウンドスケープの「移り変わり」を考えてみることもできます。
たとえば、「一日」のサウンドスケープはどんなふうに聞こえるでしょうか。朝と昼、昼と夜で、目に見える風景が変わるように、サウンドスケープも一日のなかでさまざまに変化しています。

朝は、始発の電車の音や朝食をつくる台所の音からはじまって、夜は、帰り道に飲み屋から聞こえてくる声や音楽、そして訪れる、静けさ。

そうそう、静けさもサウンドスケープのひとつだよね。
なにも音だけがサウンドスケープを構成しているのではない。

「一日」を「一年」にしてみると、どうでしょう。季節で言えば、桜、入道雲、ススキ、一面の雪、と景色が変わっていくように、それぞれの季節ごとに聞こえてくる音も違ってきます。きっといろいろな音を思い起こすことができると思います。その季節に聞こえてくる音たち。

画像3


今度は、世界をぐわっと広げて、地球を俯瞰するように聞いてみることにしましょう。
すると、気候や文化によってサウンドスケープも変わることに気づきます。

サハラ砂漠の音、アマゾンの音、北極の音は違うだろうし、アジア文化圏と、ヨーロッパ文化圏のサウンドスケープも違う。すごく身近なことで言うと、箸とフォークでは立てる音が違うから、ご飯どきのサウンドスケープは文化によって全然別の聞こえかたをすると思う。

次は逆に、世界をくるりと変えて、自分の「なか」に入って聞いてみる。記憶に残っている、思い出のサウンドスケープ。

いま、パッとわたしが思い出したのは、母の掃除機の音。
日曜の朝はのんびりしたいのに、母が朝から掃除をしている。わたしはそのとき反抗期だったから、母の立てる掃除機の音を聞くだけでも、うるさくてムカムカしていた…。思い出した。
いまでは、なつかしくてあたたかい音だけどね。

画像4


こんなふうに、世界を「聞いてみる」ことで、見るだけでは感じられないものを感じることができたり、新たな発見を得ることができる。この「世界を聞く」ということを教えてくれるのが、サウンドスケープです。


次回に続きます。
次回は、サウンドスケープへの批判や、サウンドスケープがわたしの妖怪研究とどう繋がっていくのかをお話したいと思います。







マリー・シェーファーさんの『世界の調律』はこの本です。
こんなに高かったんだあの本・・・。



投げ銭もらえたら嬉しいです♪ もっとたくさんの小さな物語をどんどこつくっていきます。 このnoteは、世界が小さな物語で満たされてゆくための、わたしなりのお手伝いです。