曽水に生きて 成瀬正成 中

9 隻眼

小牧長久手合戦で徳川軍が勝利をおさめたが、天下は羽柴秀吉に傾いていった。成瀬家は秀吉に弾圧を受けていた根来衆を家臣に加え、組頭となっていた。そのため、父正一を手伝うべく、小吉は家康公の元を離れ、甲州に赴いていた。
小吉にとって、家康公の側を離れた甲州での生活は初めてのことばかりで、毎日が充実していた。

ところがそんなある日、小吉は甲州内で起こった侍同士の小競り合いで、不用意にも大怪我を負ってしまった。その怪我の状況はひどいもので、片目を槍で突っつかれたようであった。医者に見せたが、もはや隻眼は致し方ないようであり、また命が危ないとも言われた。誰もが小吉は助からないものと諦めていたが、奇跡的に1週間後、意識を取り戻した。この事は家康公の耳にも入り、大変心配させた。その心配ぶりは相当なもので、怪我をした3日後には、自身の主治医を甲州に遣わせるほどであった。


1か月以上かかったが、小吉は床を離れることができた。しかし片目になり、平衡感覚がおぼつかない。その姿を見た正一は、小吉はもはや家臣として、武将として、徳川軍のお役には立てないと思った。小吉もそう諦めていたのか、気がつくと片目に一杯涙を貯めて、ね悔しがっていた。
しかし主君家康公は、諦めていなかったのか、小吉が動けるようになったと聞きつけ、小吉に浜松に戻るよう命じた。こうして小吉は不自由な体をおして浜松に戻った。正一は不自由な息子を心配して、浜松まで同行してきたのだった。
浜松城では家康公が、今か今かと首を長くして小吉を待っていた。だが小吉が人に支えられないと歩けない姿を見て、最初は愕然としたようだったが、時間が経つにつれ、自分の息子を迎えるように優しい声で「良く帰ってきた、良く帰ってきた」と、笑顔で出迎えてくれた。その後家康公は「半蔵」と声をかけられると、渡辺守綱が部屋に入って来た。その状況に驚いた小吉は、首を傾げたまま動かないでいると、家康公は守綱に向かい「半蔵、頼んだぞ。1日も早く、小吉を徳川軍の一員に戻してくれ!」と言った。守綱は心得たように、「はっ!」と言って頭を下げた。それを見た正一は「養生に心がけ、再び殿のお役に立たんとな…」と小声で小吉にささやき、肩を叩きて励まし、主君に感謝した。

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