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今、2000年のCHAGE and ASKA韓日親善コンサートの意義を語る

CHAGE and ASKAデビュー40周年にふさわしい作品の発売が決まりましたね。
『CHAGE & ASKA LIVE IN KOREA 韓日親善コンサート Aug.2000』DVD
しかも、発売日は、デビュー40周年記念日の2019年8月25日です。

日韓関係が著しく冷え込んだ今だからこそ、音楽で日韓の壁を壊してみせたCHAGE and ASKAの韓日親善コンサートは、日韓両国民に改めて視聴してほしい作品です。
芸術の日韓関係は、今の政治に引きずられて後退してはならないから。

実は、私がCHAGE and ASKAファンサイト『空色のハーモニー』を作り始めた頃、コラム用に書いたのが、この韓日親善コンサートの意義について、でした。

しかし、結局、コラムコーナーは開設しなかったため、その文章は、ずっと長い間、お蔵入りとなっていました。

それが今年、ついにコンサートDVDが発売になる、ということで、そのときの文章に少し手直しをして、発表させていただきます。

若い頃に書いただけあって、すごく真面目な文章になってます。(今もそれなりに真面目ではありますが…)
書いたのは、2000年11月4日です。
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 2000年8月26日夜、日韓の歴史が変わった。
 前日にデビュー21周年を迎えたアジア最大のアーティストCHAGE and ASKAが韓国で大規模日本語コンサートを成功させたからだ。

 場所は、ソウル市のオリンピック公園蚕室体操競技場。
 CHAGE and ASKAは、これまで台湾、香港、シンガポール、上海等で日本と同規模のコンサートを成功させ、アジア各国を熱狂の渦に巻き込んできた。
 だが、韓国で開催するのは初めてである。

 このコンサートは、まさに初尽くし。
 日本人初の韓国単独コンサート。そして、初の日本語大規模コンサート。しかも、会場は破格の1万人規模。

 日韓には、これまで語り尽くせないほどの遺恨がある。それは、言うまでもなく20世紀の初頭から半ばにかけての忌まわしい戦禍によるものだ。

 現在でも問題が続く従軍慰安婦、侵略、強制労働、日本語教育強制、韓国残留孤児と在日韓国人。これらは、すべて当時の日本が残した負の産物である。

 当然のように韓国は、戦後、日本の文化流入を固く拒んだ。
 ほんの数年前までは日本の歌はおろか、日本語を口にすることすら禁じられていたほどだった。
 そのため、韓国では、日本人歌手が英語で歌うべきところを日本語で歌って大問題になったり、FMで間違って日本の曲を流してしまって大問題になったりしている。

 ところが、最近、韓国が金大中政権になって、ようやく政治・スポーツの交流が盛んになってきた。1昨年からは日本の大衆文化開放政策を開始している。
 金大中大統領は、国際的な視野を持った開放的な人物である。外国からの文化流入に積極的だ。

 2002年サッカーワールドカップの日韓共催や韓国・北朝鮮の首脳会談実現、オリンピックの韓国・北朝鮮統一行進などは彼の政策の一環である。彼がノーベル平和賞を受賞したのも当然の結果だろう。

 そして、韓国の日本文化開放は、最終段階に来ている。
 ついに、韓国の文化観光省がMr.ASIAのアーティストCHAGE and ASKAを日韓親善大使に任命したのだ。

 2000年6月末には、第3次開放政策で2000席以内の屋内施設に限られていた日本人アーティストのコンサートを全面解禁。
 大規模コンサート開催の環境が整った。

 一方、CHAGE and ASKAは、これまでにも度々、韓国でのコンサート実現を果たそうと尽力してきた。
 そんな経緯もあったため、2000年8月に日本人初の韓国単独コンサート実現までこぎつけたのである。

 このコンサート前日の日韓共同記者会見には日韓からの記者が約150人。
 事態の重大さは明らかだった。

 当日、コンサート会場は、ものものしい警備の中、異様な雰囲気に包まれていたという。
 韓国人と日本人が同じ観客席に入り混じって日本の歌を聴く。その異様な雰囲気を振り払ったのも、やはりCHAGE and ASKAの素晴らしい歌声だった。

 「WALK」「LOVE SONG」「はじまりはいつも雨」「SAY YES」「YAH YAH YAH」「NとLの野球帽」「PRIDE」「On Your Mark」「太陽と埃の中で」など、4番打者ばかりを集めたという選曲は、観客を魅了した。

 そして、ASKAの挨拶で観客の声援はピークに達する。
「過去に刻まれた事実は知っているつもりです。僕らは、それから目を背けるのではなく、過去に起こった出来事を一緒に悲しむことができる世代でいたいと思っています」

 全21曲、3時間近くにわたったそのコンサートは、日本のCD発売が未だに禁止されている中で、信じられないほどの盛り上がりを見せた。
 一連の文化開放を進め、今回の公演を後援する朴智元・文化観光相も、自費でチケットを購入し、コンサートに参加したという。

 今回の26・27日のコンサートの収益金は、主催者の「韓国女性基金」を通じて慈善活動に使われることになる。

 そして、CHAGE and ASKAは、今回だけにとどまらず、来年には韓国・北朝鮮の国境北緯38度線上の板門店で、世界を代表するアーティストを招いての大規模コンサート開催を働きかけている。(※実現には至らず) 

 彼らは、政治活動として動いているのではない。ただ常に時代の最先端を切り開いてきたアーティストとして世界に国境なく自らの歌を聴いてもらおうとする姿勢で動いている。
 そのためには自らの音楽を愛する人がいるなら、世界のどこの国へでも行くという。

 狭い次元とは違うところで音楽活動を展開しているアーティストが、日本には少なくとも2人いる。

「これからは近くて遠い国じゃなくて、近くて近い国にしていこう」
 コンサート当日、ASKAが観客に語りかけた言葉は、政治家の政策以上の響きを持っていた。

 とはいえ、いまだ韓国では日本語のCD発売や音楽番組は禁止されたままである。今回のコンサートを冷ややかに見つめる人もいる。

 しかし、このコンサートは、確実に日韓の心の距離を近くしたと言えるだろう。
 韓国のマスコミは、今回のコンサートを特別扱いはしていなかったという。
 それは、もはや時代の流れの中にあって、日本人が日本語でコンサートを開いたところで、それほど大騒ぎするほどではないという変化を示している。

 特別なものではなく、海外の1アーティストが開いた、ごく普通のコンサートとしての扱い。それは、CHAGE and ASKAがアジア各国でコンサートをしながら目指してきた形だ。
 時代は、ようやくCHAGE and ASKAが走る速度に追いついてきている。
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今、読み返してみても、CHAGE and ASKAは、歴史の大転換期に、最も重要な役割を果たした、と言い切れますね。

彼らのコンサート後、2004年には韓国での日本語CD発売も解禁となりました。
徐々にではありますが、芸術面では「近くて近い国」に近づいているのです。
CHAGE and ASKAが壊した壁を再び作らせるわけにはいきません。

韓日親善コンサートのDVDをきっかけに、芸術面での交流が盛んになっていくことを願ってやみません。


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