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ファンサービスをしない監督 落合博満は野球ファンに何を与えたのか 第42章

落合が監督就任時と監督退任時に残した全く同じ言葉

「球団のため、監督のため、そんなことのために野球をやるな。自分のために野球をやれ」

『嫌われた監督 落合博満は中日をどう変えたのか』(鈴木忠平著)

これは、落合が監督就任時に選手たちを前にして話した言葉だ。

そして、8年間の監督生活の最後、2011年日本シリーズ終了後に選手全員を前にして、落合は、こんな言葉を残している。

「自分のために野球をやれよ。そうでなきゃ……俺とこれまでやってきた意味がねえじゃねえか」

『嫌われた監督 落合博満は中日をどう変えたのか』(鈴木忠平著)

驚くべき一貫性である。
落合は、監督就任時、選手たちに個の成熟を求め、それが実を結んで退任するとき、その継続を求めたのだ。

そんな落合の理念を読みながら、私は、選手落合を知って以降、落合が毎年、目標を聞かれて、常に答えていたのが「三冠王」だったことを思い出した。
常に個の目標を掲げて野球をする落合に、マスコミは、「一匹狼」「個人主義者」とのレッテルを貼った。

それでも、私の知る限り、2回だけ監督のために野球をする発言をしたことがある。

1回目は、落合が1986年オフにロッテから中日に移籍したときの言葉だ。
「稲尾監督でできなかった胴上げを星野監督でしたい」

1987年には胴上げをできなかったが、移籍2年目の1988年にはそれを実現させる。
落合のシーズン成績は、打率.293、32本塁打、95打点。レギュラーになって以来、初めて3割を切り、無冠ではあったが、本塁打数は本塁打王になったポンセの33本に1本差だった。
そして、何より、勝利打点は、両リーグ最多の19個。大事な場面できっちり打ち、リーグ優勝に最も貢献した打者が落合だった。

しかし、その年のオフ、落合が日本ハムへのトレード話が持ち上がってきたことをYouTubeで明かしている。しかも、星野仙一監督がそのトレードに賛成していたことも。

星野監督の胴上げをするという約束を果たしたにもかかわらず、酷い仕打ちを受けた落合。
結局トレードは成立しなかったものの、タイトル無冠を理由に、落合の年俸は上がらなかった。

リーグ最高の勝利打点数を稼ぎ、本塁打王に1本差という超一流の打撃成績を残してリーグ優勝に貢献したにもかかわらず、だ。

落合は、そのときから、中日ではタイトル奪取だけを目標にするように切り替えたそうだ。

2回目の発言は、落合が1993年オフにFAで巨人に移籍したときだ。
「長嶋さんを胴上げするために来た」
落合がずっと憧れていた長嶋茂雄監督から、最高の評価で巨人に迎え入れられたとき、落合は、長嶋を胴上げするために野球をすることにした。

その言葉どおり、落合は、1994年、死球による怪我に苦しみながらも、1年間四番打者を務め、伝説の10.8で先制本塁打と決勝打を放って長嶋を胴上げした。

しかし、長嶋は、1996年オフに清原和博を獲得。落合のレギュラーをはく奪しようとする。

またしても、監督を胴上げしながらも、酷い仕打ちを受けることになった落合。

そんな苦々しい経験が落合を徹底した個人主義者に変えていったのだろう。

監督や球団のために働いて多大な貢献しても、必要でなくなれば捨てられる運命。

それを誰よりも身をもって経験していたからこそ、落合は、自分だけのために野球をするよう、選手たちを教育したのだ。

その結果、落合は、監督として8年間でリーグ優勝4回、2位3回、3位1回ですべてAクラスという、中日の歴史の中ではありえないほどの好結果を残す。

それは、選手たちの個の成熟を、監督落合という個が精密にまとめあげた至高の作品だった。

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