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京都へ行きたい理由


2月に泊まりで京都に行ったのに、また行きたい気持ちになっている。何故そんなにも京都に行きたいのか?奈良ではだめなのか?もっと別の場所では納得出来ないのか?とツラツラ考えてみたら、単純に市内の街並みが好きなのと、大きく変化していないように見える街へ行って安心したいのでは?と思い至った。

両親も祖父母も親戚縁者も誰も彼もが東京者で一番古い書き付けには御一新直後の記載があった。(実家の一番古い記録は天保の頃だった)
子供の頃は友達が「田舎のおばあちゃんち」へ行くのが羨ましかった。先ず田舎が無いし、父方の祖父母は家に居るし、母方のも都電に乗れば三十分くらいで会いに行ける距離に住んでいた。
自分の住んでいる街がひっくり返るくらい大変貌を遂げるなんて思っても見なかったし、実家を出てから随分経ってからも、まだまだ見慣れた家々はボロくても存在していた。
けれどもある日気がついたら本当に街の形が変わっていて、そこは全然知らない場所に様変わりしていた。

京都には頻繁に行ってはいない。特にコロナの外出自粛期間があったので今回の訪問は数年ぶりになった。都市景観条例があるからなのか、観光地としての基本的な姿勢なのか、勿論そこが生活の場である方にしてみれば彼方此方どんどん変わっていると云われるのだろう。でも、何年も空けて久しぶりに訪ねてみると街の眺めは殆ど変わっていない(様に見える)。
街の建物の並びや、通りの様子や、家並みを越して見える山々のシルエットやゆったりとした空の広さが自分の記憶と激しく違わない事に安心するのだ。変わらず在る様に見える場所に行って、あーあの日と同じだと安堵したいから行きたくなるに違いない。

もう一つ、町中で買い物をする際に聞こえてくる、そこで生活されている方々の会話が好きなのだ。日々の暮らしで交わされる、当たり前の言葉が聞こえる状況に飢えているのだと思う。
実家の周りに住んでいた人たちは、街の変貌と一緒に居なくなった。商店もしもた屋も取り壊されてビルに建て替えられビジネス街になった。パン屋も八百屋も惣菜屋も乾物屋も消えてしまったから、子供の頃から耳にしていた地元の言葉で話す人が何処にも居なくなった。今は母や母方の叔母と話す時だけ聞き慣れた東京弁で会話する。
京都へ行って大通りから一筋入った裏通りの商店で店の方と買い物客が普段の会話をしているのをぼんやりと聞いていたくなる。足を伸ばせばそこにあると知っているので、無性に行きたくなるのだろう。