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学校で人を育てるということ。~ 子どもを見守る「場」のつくり方 ~ 米原市立大東中学校 校長 河地 誠 氏(May 2024 Vol.011)

インタビューコンセプト

今回は「子どもの生きる力を育む」ことを主眼に置いた、学校教育の意義や学校と他機関連携のお話です。忙しくトラブルが起こりがちな学校現場ですが、目先のことや手段に捉われず、本質的な視点に立ち戻って考えることの大切さを伺いました。

インタビュイー紹介

河地 誠 ⽒
教諭時代は生徒指導と陸上競技の指導に全力投球。県教育委員会で生徒指導を担当すること7年、校長になって5年目。昨年度、校長を勤めながら図書館司書の資格を取得。現在は、米原陸上競技協会理事長と県中学校長会副会長。


目指すのは「学び」が伝染する学校

遠藤: 教育も、福祉と同じく広く深い領域ですよね。素朴な疑問として、「学校教育とは」ということから伺えますか。
 
河地: 王道的に言うと、生き抜く力をつけるために「学力・健康・心」の3つを育むことです。この「知・徳・体」が人生の基盤をつくります。ひと昔前は中学校で学んだ知識がずっと使えましたが、今はよく言われるように知識や技能だけでなく「自分の頭で考える力」も育てていく必要があり、今の学校の大きな課題です。しかし、自分で考える力は一朝一夕では身につきません。学校の国語の授業だけでは当然難しく、小さいときから生活の中でベースをつくっていく必要があります。小さいときから自分で考える機会がないと、中学校・高校でいきなり「さあ考えてみよう」では難しいですよね。
 
遠藤: とはいえ、やっぱり学校現場でも取り組んでいく必要があると思いますが、どのようにされているのでしょうか。
 
河地: 「教育は伝染」という言葉があります。これは言い換えると、教えるプロから学びのプロになるということです。親が子育てを学ぶから子育てができるように、教員も教育を学ぶから教育ができるようになる。より良い目的のために学び、違う手法にチャレンジする。その「学びの姿勢」が伝染するような学校にしたいと思っています。それが引いては自分で考える力を養います。
 そのような学校づくりのため、私は「教員もチャレンジしている姿を子どもに見せよう」と言っています。例えば、英語で学ぶ力をつけるという目標が同じであれば「手段は違ってもいい。むしろ持ち味が出せるよう、他人と違う教え方にチャレンジしてくれ」と伝えています。違いを出すようなチャレンジは大人も怖がりますが、ゴールが共有できていれば、やり方が違っても良い学校にしていかないと、先生同士が手段にばかり捉われ批判し合ってしまいます。あげく「学校はできていない」と言われ、先生は委縮し、子どもは失敗できなくなります。まずは大人が前向きな失敗をしていき、それを受け容れる社会をつくっていきたいですね。子どもたちはその大人の姿を見て学びます。 

子どもを真ん中に置いた連携

遠藤: 子どもが生きる力を身に付けるための学校教育ということですが、学校だけで生きる力を育めるわけではないですよね。関係機関とはどういった連携をされているんですか。
 
河地: 例えば、生活困窮により家庭学習ができない子を対象に米原市社協が毎週マンツーマンで勉強を教えてくれています。外国籍の子が増えてきたので、校内で日本語指導教室もしています。生徒のなかには精神や発達に関して医療にかかっている子が増えています。以前なら家庭の判断で医療にかかり、学校はそれをなんとなく知っているという状態でした。しかし、今年は何名かの親に対し「担任と養護教諭と一緒に医療に行かれてはどうか」とこちらから打診し、ドクターの知見から学校でどういう支援ができるかを考えてもらうこともしています。
 
遠藤: よく教育と福祉の連携における課題を聞きますが、実際にどうでしょうか。
 
河地: 私たちはどうしても「中学校の3年間」というスパンで考え、「この3年間で次の進路を自ら選べるような力をつけてほしい」という思いが強いです。例えば家庭での虐待という背景があっても、我々はどうにか短期間で納めてほしいと考えてしまいがちですが、福祉機関ではその子が大人になった後までも考えるので、ここで考え方や思いがズレることは現実的にあります。でも結果的には助かることも多いですよ。福祉機関の方から見て「長期的に考えて、今はこの対応で大丈夫」と言ってもらえると、私たちも安心できますから。
 
遠藤: 河地先生は滋賀県フリースクール等連絡協議会が立ち上がった時、県教委の生徒指導・いじめ対策支援室長として協議会との対話をスタートさせ、協議会主催のシンポジウムにも登壇されていましたよね。当時としては画期的なことだったと思いますが。
 
河地: そう。フリースクールはこれから無視できない存在になるのがわかっていたので、先手取ってやろうと思って(笑)。少々批判もありましたが。これは不登校に対する見立てに違いがあるんです。文科省調査による不登校の要因は「無気力と不安」ですが、これは教員が見立てたものです。一方親の見立てでは「教員との関係悪化」が主要な要因です。統計としては概ね有意な結果が出ていると思いますが、「100人の不登校の要因は100通り」です。個別ケースを見ると必ずしも型どおりの要因が当てはまらないから溝が生まれる議論になってしまいます。不登校の親の会とも懇談をしましたが、やはり対話が必要です。子育てをする目的とか、どんな大人になってほしいとか、そういうことを共有していけば紐解けると思っています。楽観的にはね。大変ですけど(笑)。
 
遠藤: そういえば、以前フリースクール等連絡協議会の谷川さんに取材したとき、スクールカウンセラーを増やしてもアカンと言われました。
 
河地: ある意味そうだと思います。カウンセラーをどこに使うのかという話ですね。全国に今30万人の不登校児童生徒がいて、予備軍が3倍いると考えると90万人です。その子どもたちの話をスクールカウンセラーだけで聞けるかというと、量的に難しいですよね。カウンセリングは悪く言えば「もぐらたたき」です。悩みが起こってからの対応であり、基本的に1対1の手段です。それでは増える悩みに対応しきれません。そうではなく、スクールカウンセラーを未然防止に使っていくことです。コミュニケーションや他者尊重、入試前のストレスマネジメントといったことをスキルとして、カウンセラーが子どもたちに全体指導として教えていくことが重要ではないでしょうか。
 
遠藤: 活動の性質を変えていくんですね。
 
河地: 現状はカウンセリングで手がいっぱいですが、どこかで切り替える必要があると思っています。
 
遠藤: 校長先生が号令をかければ良いというわけではないのでしょうか。
 
河地: そういう場合もありますが、教員を育てるのも私の仕事です。教員が自ら主体性を持って取り組めるよう、日々ボディーブローのように伝えています(笑)。
 
遠藤: なるほど(笑)。他に連携されているところはありますか。
 
河地: 警察とは頻繁に会っています。年度初めの挨拶はもちろん、何もない時から情報交換をし、顔の見える関係を作っています。でないと、緊急時に対応できませんから。
 緊急対応でよく覚えていることがひとつあります。かつて自殺を図ろうとした子がいて、毎週カウンセラーを入れたケース会議で対応を協議していました。ところで、しんどさを抱える子どもがいた時、我々は「しんどさを支えよう」と考えることがほとんどだと思いませんか。
 
遠藤: それ以外の発想が思い当たりません……。
 
河地: 私は、その子の「生きたい」と願う力を引き出すことが重要だと考えています。人間はどんなにしんどくなり死に追い込まれようとも、「生きたい」と思う何かを持っていると思っています。先ほどの子どもの対応で言うと、会議で校内の役割分担を行い、ある先生には学校内で死にたいと言ってきたら授業を抜けて良いからずっと話を聞いてやってくれと伝え、さらにその先生を支える先生も置きました。またある先生にはその子の良さ(ピアノができる、好きなアイドルがいる)をとにかく引き出してやってくれと、プラスを伸ばす役目をお願いしました。家族関係にも課題があったため、その子とお母さんの関係性が難しいと感じる時があったら、学校内でお母さんの役割をする先生をつくり、その子が保健室に来たら抱きしめてもらったりしました。「死にたい」と言ってきたときは警察にも動いてもらわなければいけないため、万が一の対応について警察とも協議しました。親の了解を得て病院に行き、私と担任とドクターで対応について相談し、月に1回ある診療で変化を見つけたら教えてほしいとも伝えました。もうひとつ踏み込んでやったのは、その子が「高いところから飛び降りたい」と言った時、可能性としてありえそうな施設に赴いて、「こういう子が来たら私の携帯と警察に電話してくれ」と管理者に頼んだことです。私自身、施設の非常階段や防犯カメラの状況も確認しました。そういった諸々の対応を行い、結局は無事に卒業して今は元気にやっています(笑)。これくらい学校として組織的に対応し、その上で行政・警察・医療の力を借りました。そしてそのためにこそ、普段から顔の見える関係、信頼関係をつくる努力をする必要があるということです。

積極的に「見る・聞く」姿勢で変化に気づく

遠藤: 河地先生が書かれた校長通信を見ていても、アセスメントをする力がすごいと思います。どういうところを見られているんでしょうか。
 
河地: 今、大東中学校には245人の生徒がいますが、ノートに一人ひとりのページを個別に作り、全員を把握しようという努力をしています。例えば、テストの点数を記録し、テストの点数が下がったのであればその理由は何だったのかといった情報を蓄積しています。こうやって情報を蓄積していくなかで、気になることや違和感・変化が出てきたら、必ずその子の様子を見に行きます。教室は1日に2回巡回しており、土日の部活も行けるのであれば試合の様子を見に行っています。そこで親と話し、つながりもつくっています。そうやって意識的に「見る姿勢」を保ちながら、気になる子がいれば、まずは担任の先生にどう思っているかを聞きます。私自身の見立てもあるので、ここで見立てのズレは生じてきます。近い距離で見ているからこそ事態を過大評価して伝える先生もいれば、過小評価して伝える先生もいます。それぞれの先生との見立てのズレも織り込んだうえで私は子どもたちを見ています。
 
遠藤: 子どもの様子を積極的にキャッチしようという姿勢が大事なのであって、「どうかな?どうかな?」と思って見ていたら気づけるものですか。
 
河地: 気付けます。見るだけでなく「聞く姿勢」も示すため、昼休みに校長室を開放しています。昨日は9人来てくれました。多いときは13人ほど来てくれます(笑)。普段から、「みんなの話を聞くのが最優先」だと伝えています。この姿勢で授業を見に行くと、子どもの方から「素の自分」を見せてくれます。話を聞くスタンスも重要です。よく「アンテナを張れ」と言われますが、これは危機管理のニュアンスが強く、「悪いとこ探し」に意識がすり替えられる危険があります。「悪いとこ探し」のスタンスを持ってしまうと不思議で、それが子どもに伝わってしまいます。そうなったら子どもたちは素の自分なんて見せてくれないですよね。だからこそ「良いとこ探し」というスタンスで子どもと接するのが大事です。加えて、私はよく「アンテナを張れ」より、「ソナーを打て」と言います。問題行動を起こして指導された子に対し、わざと「昨日は親に怒られたんちゃう?」と聞き、その反応を見ます。それに教師が予想する反応があるのかないかでまたアセスメントすることがありますよね。じっ…と見ているだけではわからないことも多いです。ありのままを受け止めなければならない時もあれば、反応を受け止めなければならない時もあります。
 
遠藤: ちょっと気になる子の様子を見に行った時、「やっぱりこれはおかしいぞ」と思うようなサインが子どもから出ているのでしょうか。

河地: サインと言うより「変化」です。定点観測を行い、「昨日と様子が違うな」ということに気づけなきゃいけない。そして、変化を察知したときにはぐっと見に行かなければいけない。虐待のマニュアルにあるようなアザがあるとか破れた服を着ているとか、そういったものも変化といえば変化ですが、より日常的なシーンで昨日と違うそぶりをしていないか、朝の校門であいさつが返ってくるのか、そういった点に着目する必要があります。
 
遠藤: 昨日と今日の変化、そしてその変化の理由を見るんですね。

期待すれば子どもは伸びる

遠藤: そこまで子どもに深く関わるのは、やはり子どもたちに生きる力をつけてもらうという点に帰結するんでしょうか。
 
河地: 子どもたちに幸せになってほしい。それが私の教育観のベースにあります。学力だけでは生きていけない。自分に対する自信、自分の立っている場所への誇りをつけさせてあげたい。そのために部活動の指導や校長業をやってきました。「勉強はできなくても自分にはこれがあるんだ!」と思えるようなものを見つけ、強みと興味を伸ばせと子どもたちには繰り返し伝えています。得意なことがあると他のこともがんばれるんです。強みは転移するんですよ。平均点をもとめる風潮だと強みの転移が起きません。強みや興味を見つけるためには、自分で自分のことを言語化する力が求められます。昨今よく「子どもの意見表明権」が叫ばれますが、私は以前から子どもたちに「自分の意見を言え」と何度も伝えてきました。
 
遠藤: 校長室の開放もそうですが、聞いてくれる人がいたら子どもは話すということですね。
 
河地: そうだと思います。大東中学校で定期的に生徒へのアンケートを行っていますが、「先生は親身に話を聞いてくれますか」という質問項目への回答が、前学期から14ポイント上がりました。意見を聞くという学校の文化が育ち始めていることがすごく嬉しいですね(2023年12月取材時)。
 
遠藤: 今まで30年来教師をされてきて、「ここ」で子どもの心に火がついた、とでも言うのか、子どもが自分の強みを自覚したと感じる場面があったと思うんですが。
 
河地: 思い出すのは部活指導をしていた時ですね。大東中学校で11年間陸上の部活動を指導していましたが、途中から勝てるようになりました。最初、私は100点を求めていました。「この練習をしたら結果が出る、しかし結果が出せなかったら君たちが悪い」と。これをやめました。技術指導は「悪いとこ探し」なんですよね。腕の振り方はこうしなさい、幅跳びの踏み切りの最後の一歩が大きいから狭めなさいというように、技術指導は矯正指導です。私は陸上経験が長いから、ぱっと見たら子どものどこができていないかはすぐにわかります。そしてそれを直すように指導するわけですね。
 
遠藤: いたって普通のような気がします。
 
河地: それである程度は勝てますが、てっぺんはとれません。ガラッと変えたのは、私の認識です。子どもたちの勝利を子どもたちの手柄と考え、子どもたちの敗北を私の失敗と考えるようにしました。あまり理解してもらえませんが、主体性と振り返りをルーティンにするのが私たちの仕事だと思います。例えば、100メートル走12秒を11秒にする方法は教えます。しかしその後のがんばりは本人に委ねます。100メートル走12秒を11秒にするためのがんばりを無理やりさせるからよくないのだと思っています。
 
遠藤: 100メートル走12秒を11秒にするためには時間がかかりますよね。その間のモチベーションを支えるというイメージですか。
 
河地: 先ほどのアセスメントと一緒で、子どもが落ち込んでいたら声をかけ、波に乗っているときは放っておきます。子どもを見て、そして期待することです。子どもを見て、その次に粗探しをしていてはいけません。期待を持って「この子は伸びる」と思って接していくことが教師の仕事です。たとえ悪いことをした子でもです。少年院に行かなければいけないような子どもとも関わってきましたが、どれだけ悪い子でも絶対に生きる希望を持っています。何回騙されても、それに期待するんです。その心がないと、しんどい子には関われません。
 
遠藤: 騙されたり、期待が外れたりすると、次に接するのが怖くなってしまうのではないでしょうか。
 
河地: 時に騙されてあげることも必要です。嘘を暴いて子どもをへこますことが、どうしてもネガティブに働いてしまう時があります。
 
遠藤: 目的論ですね。子どもの成長が一番の目的ですもんね。
 
河地: そうですね。何度裏切られても最後の1回のために関われるような気持ちがないと、しんどい子には関われません。
 
遠藤: 期待するのにも覚悟がいりますね。
 
河地: 覚悟……といっても、私たちが関わるのは中学生である3年間です。どのみちずっと関われるわけではないのだから、この3年間くらい、この子の人生にプラスになるようなことをしてあげたいと思います。きれいごとかもしれませんが、結局私の方が育てられたなと、今になって思いますね。
 
遠藤: 何度裏切られても期待を持って関わる、子どもの主体性を信じる、見守り続けるといった、これまでの話が総体となって「子どもの心に火をつける」ことがあったのだろうと思いました。子どもの方にも「しんどかったら声をかけてくれる」、「うまくいったら褒めてくれる」というように、見守られている感覚があったのかもしれませんね。
 
河地: 褒めることが足りていない大人は多いと思いますよ。結果が出てから褒めるだけでなく、努力して結果が出つつあるプロセスを褒めてあげることが重要です。子ども自身になぜうまくいったのかを言語化させ、うまくいくプロセスを自身で再現可能にしてあげることが大事です。人間というのは、はじめは他律的なものです。それを自律的にしていく。それも「子どもの心に火をつける」ということでしょうね。

人は、人の中で育つ

遠藤: 最後になりますが、今だからこそ伝えたい学校教育の重要性について伺えますか。
 
河地: 人は、人の中で育つ、ということではないでしょうか。ネットや人工知能で知識はつくかもしれませんが、人と関わるなかで揉めたり、悲しんだり、喜んだり、折り合いつけたり、そんなことをしながら育っていくことが学校の本質であり、そのなかに学習というものがあると考えています。ただ、学校に行けない子を否定しているわけではありません。別の選択肢はもちろんあって良いと思います。私は学校の担当者として、学校にできることをやり切りたいと思っています。だからこそ、子どもたちには「学校は楽しいか?」と繰り返し尋ねているわけなんです。
 
遠藤: 学習を支える技術や選択肢がたくさんあるのは良いが、人は人の中で育つ……。
 
河地: 学ぶ姿勢や何かに前向きに取り組む姿勢のように「空気」で伝わるものがあって、それを伝染させるのが学校という空間だと思います。オンラインでの優れた授業もありますが、直に触れるからこそ伝わるものがあります。それを伝えたいですね。
 
遠藤: 人と人とが面と向かってということですね。
 
河地: それが良さだと思います。それが、生きているという感覚とともに、生かされているという感覚につながると思っています。

編集者あとがき

今回取材にあたり、事前に河地先生が書かれた「校長通信」や「若い先生へのメッセージ」、「中堅教員ガイドブック」などをいただいておりました。これら3つだけでもA4サイズで250ページを超える分量があり、内容も濃いです。教育に不案内な僕でも多くの教訓と学びが得られました。これだけのアウトプットを積み上げる習慣と勉強量は大変なものだったろうと思います。のみならず、学びを生かして日常での実践もされておられます。勉強・発信・実践の三拍子揃った教育者が河地先生です。「教育」の重要性は言うまでもないですが、その広さと深さゆえ、これまであまり関心を寄せられずにいました。実はこの4月に教育委員会事務局に異動となりましたので、これを機に教育分野にも裾野を広げていきたいと思います。今回もお読みくださりありがとうございました。

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